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《藍色的蟾蜍》Ch3.濕氣的小馬(27之27)

  兩個月不見,這次完成了第三章翻譯,意外遇到了很喜歡的作品,不過等以後有機會再來閒聊。我對註記沒有什麼標準,這次也不特別標記譯註了,總之能看懂就好。

 濕氣の小馬
大正四、五、六年頃の作品で、そのうち「朱の搖椅子」から「むらがる手」までは「ARS」に載つたものである。

大正四、五、六年左右的作品,從〈朱紅的搖椅〉到〈群聚的手〉為止是這時在《ARS》上刊登的。

※因為定本目次被重新編輯,「〈朱紅的搖椅〉到〈群聚的手〉」的區間,指的是作者自選版的排序,不過除了順序調動前十三首是一樣的。以下依照自選順序列出(左自選.右定本):
1.朱の搖椅子2.
2.法性のみち3.
3.曼陀羅を食ふ縞馬4.
4.金屬の耳5.
5.妬心の花嫁6.
6.白い象の賀宴8.
7.黄色い馬1.
8.蛙にのつた死の老爺7.
9.日輪草9.
10.ふくらんだ宝玉10.
11.足をみがく男11.
12.夜会12.
13.むらがる手13.

1.黃色的馬(黄色い馬)

そこからはかげがさし
ゆふひは帯をといてねころぶ。
かるい羽のやうな耳は風にふるへて、
黄色い毛並(けなみ)の馬は馬銜(はみ)をかんで繫(つな)がれてゐる。
そして、パンヤのやうにふはふはと舞ひたつ懶(*1)惰(らんだ)は
その馬の繫木(つなぎ)となつてうづくまり
しき藁(わら)のうへによこになれば、
しみでる汗は祈禱の糧(かて)となる。

那裡投射出陰影,
夕陽解開腰帶、躺了下來。
飄飄羽毛似的耳迎風顫動,
黃色毛皮的馬 咬著馬銜被栓了起來。
接著,如棉絮般輕柔舞蹈的懶惰
成了那馬兒的繫木蜷縮著,
若躺在稻草睡窩上,
滲出的汗水成了祈禱的糧食。

大正4年1月6日午後/〈ARS(アルス,拉丁語「藝術」之意)〉大正4年4月號(第1卷1號)

(*1)(譯註:全集中「懶」字表記「忄頼」,採用AF.自筆清書稿。目前搜尋不到此異體字。)

2.朱紅的搖椅(朱の搖椅子)

岡をのぼる人よ、
野をたどる人よ、
さてはまた、とびらをとぼとぼとたたく人よ、
春のひかりがゆれてくるではないか。
わたしたちふたりは
朱と金との搖椅子(ゆりいす)のうへに身をのせて
このベエルのやうな氛氣(ふんき)とともに、かろくかろくゆれてみよう、
あの温室にさくふうりん草(さう)のくびのやうに。

爬上山崗的人呀,
漫步原野的人呀,
還有那些 輕輕叩門的人呀,
春天的光 不正在搖曳著嗎。
我們兩人一起
倚於朱紅和黃金的搖椅之上,
隨著這宛如薄紗的氛氣,輕輕地、輕輕地搖晃著,
就像那溫室裡盛開的風鈴草的花托一般。

大正4年2月8日午後/〈ARS〉大正4年4月號(第1卷1號)

3.法性之路(法性のみち)

わたしはきものをぬぎ、
じゆばんをぬいで、
りんごの實のやうなはだかになつて、
ひたすらに法性(ほふしやう)のみちをもとめる。
わたしをわらふあざけりのこゑ、
わたしをわらふそしりのこゑ、
それはみなてる日(ひ)にむされたうじむしのこゑである。
わたしのからだはほがらかあけぼのへはしる。
わたしのあるいてゆく路のくさは
ひとつひとつをとめとなり、
手をのべてはわたしの足をだき、
唇をだしてはわたしの膝をなめる。
すずしくさびしい野邊のくさは、
うつくしいをとめとなつて豐麗なからだをわたしのまへにさしのべる
わたしの青春はけものとなつてもえる。

我脫下著物、
脫下襦絆,
變得如蘋果般赤裸,
一心尋求法性之路。
笑著嘲弄我的聲音,
笑著譏諷我的聲音,
這些全是被烈日燜烤的蛆蟲之聲。
我的身體明朗地奔向曙光。
我行過的路上的草
一一株皆化作少女,
伸出手擁抱我的腳,
伸出嘴唇舔我的膝。
涼爽而寂寞的原野的草,
化成美麗的少女 以豐麗的身體
在前方迎接我。
我的青春化成野獸而燃燒。

大正4年1月1日/〈地上巡禮〉大正4年2.3月合併號

4.咀嚼曼陀羅的斑馬(曼陀羅を食ふ縞馬)

ゆきがふる ゆきがふる。
しろい雪がふる。
あをい雪がふる。
ひづめのおとがする、
樹をたたく啄木鳥(きつつき)のやうなおとがする。
天馬のやうにひらりおりたつたのは
茶と金(きん)との縞馬である。
若草のやうにこころよく その鼻と耳とはそよいでゐる。
封じられた五音(いん)の丘(をか)にのぼり、
こゑもなく 空(くう)をかめば、
未知の曼陀羅はくづれ落ちようとする。
おそろしい縞馬め!
わたしの舌から、わたしの胸からは鬼火(あをび)がもえる。
ゆきがふる ゆきがふる。
赤(あか)と紫(むらさき)とのまだらの雪がふる。

雪下著 雪下著。
白雪下著。
藍雪下著。
馬蹄聲響著,
像啄木鳥啄木一樣響著。
輕巧如天馬般降落的是
茶與金相間的斑馬。
如嫩草般愉快 它的鼻與耳輕輕擺動。
登上被封閉的五音之丘,
無聲地 咀嚼起空(無物),
未知的曼陀羅(*1)便瀕臨崩塌。
多可怖的斑馬!
從我的舌尖、從我的胸口中,鬼火燃燒起來。
雪下著 雪下著。
紅紫交雜的雪下著。

大正4年1月7日夜

 (*1)根據《デジタル大辞泉》,空(くう)在佛教中有「無實體/本質之物」,而曼陀羅的意思是「具有本質之物」。

5.金屬的耳(金屬の耳)

わたしの耳は
金絲(きんし)のぬひはくいろづいて
鳩のにこ毛のやうな痛みをおぼえる
わたしの耳は
うすぐろい妖鬼の足にふみにじられて、
石綿(いしわた)のやうにかけおちる
わたしの耳は
祭壇のなかへおひいれられて、
そこに隱呪をむすぶ金物(かなもの)の像となつた。
わたしの耳は
水仙の風のなかにたつて、
物の招きさからつてゐる。

我的耳朵
被金絲縫箔染了色,
銘刻如鴿子柔羽的痛楚。
我的耳朵
被淺黑妖鬼之足踐踏,
如石棉剝落。
我的耳朵
被迫入祭壇之中,
成為締結隱呪的金屬雕像。
我的耳朵
立於水仙的風中,
忤逆物質的邀約。

大正4年1月29日午後/〈ARS〉大正4年4月號(第1卷1號)

6.妒心的花嫁(妬心の花嫁)

このこころ、
つばさのはえた、角(つの)の生えたわたしの心は、
かぎりなくも温熱(をんねつ)の胸牆(きようしやう)をもとめて、
ひたはしりにまよなかの闇をかける。
をんなたちの放埓(はうらつ)はこの右の手のかがみにうつり、
また疾走する吐息のかをりはこの左(ひだり)の手のつるぎをふるはせる。妖氣の美僧はもすそをひいてことばをなげき
うらうらとして銀鈴のそよがせる
ことなれる二つの性は大地のみごもりとなつて、
谷間に老樹(らうじゆ)をうみ、
野や丘にはひあるく二尾(ふたを)の蛇をうむ。

這顆心,
長出翅膀、長出犄角的我的心
無盡追尋著溫暖的胸牆,
一心奔向午夜的黑暗中。
女人們的放蕩映在我右手的鏡中,
而疾行的吐息之芳香讓我左手的劍顫動。
妖氣的美僧拖曳衣襬 歎訴言語,
悠悠地 搖起銀鈴之魔(*1) 。
習慣了的兩種性 成為大地的隱密(*2) ,
在山谷之間孕育古樹,
在田野和丘陵上孕育雙尾蛇。

大正4年1月2日夜/〈地上巡禮〉大正4年2.3月合併號
*草稿初題名《砲弾の嫁》(砲彈的新娘)。將「砲弾の」刪除改成《妬心の花》(妒心的花)後,又全劃掉改成《妖気の美僧》(妖氣的美僧),最後在全部劃掉一次改成《妬心の花嫁》。

 (*1)佛教中的魔王,支配欲界的第六天。作為其業果,產生了妨礙悟道的煩惱.疑惑.懈怠等影響我們。(デジタル大辞泉)

 (*2)水籠もる:隱藏在水中,亦作將秘密隱藏在心中。(デジタル大辞泉)

7.乘蛙的死的老翁(蛙にのつた死の老爺)

灰色の蛙の背中にのつた死が、
まづしいひげをそよがせながら、
そしてわらひながら、
手(て)をさしまねいてやつてくる。
その手は夕暮をとぶ蝙蝠のやうだ。
年(とし)をとつた死は
蛙のあゆみのろいのを氣にもしないで、
ふはふはとのつかつてゐる。
その蛙は横からみると金色(きんいろ)にかがやいてゐる、
まへからみると二つの眼(め)がとびでて黑くひかつてゐる。
死の顏はしろく、そして水色にすきとほつてゐる。
死の老爺(おやぢ)はこんな風にして、ぐるりぐるりと世界のなかをめぐつてゐる。

乘在灰色青蛙背上的死,
稀疏的鬍子隨風飄動、
且微笑時
朝著手前來了。
那手就像黃昏中飛翔的蝙蝠。
年邁的死
毫不在乎青蛙緩慢的步伐,
輕飄飄地坐著。
從側面看,那青蛙金光閃閃,
從前面看,兩隻眼睛突出又發著黑光。
死的臉是白皙的,且在水色中澄澈。
死的老翁以這樣的方式,笨重地在世界中四處巡遊。

大正4年4月15日/〈ARS〉大正4年5月號(第1卷2號)

8.白象的賀宴(白い象の賀宴)

香氣をはく無言のとき、
晝閒(ひるま)は羽團扇(はうちは)のやうに物のかげをおひたてて、
なにごとひとつらに足のあゆみを忍ばせる
この隱密の露臺のみどりのうへに、
年とつた白い象は謙讓の姿をあらはして、
手(て)もない牙(きば)の樂器をかなでる
女象(めざう)の足は地をふんで、
あやしい舞踏にふけり
角笛麻睡(*1)はとほくよりおとづれて
たのしい賀宴の誇りちらす

香氣瀰漫的無言時刻,
白晝如羽團扇緊迫物影,
萬物排成一列悄悄前行。
這隱密露臺的綠色之上,
年邁的白象謙恭地現身,
用無手的牙演奏起樂器。
母象的足輕踏大地,
陶醉於怪誕的舞步,
角笛的催眠從遠處響起,
散播歡樂賀宴的榮耀。

大正4年2月3日午後/〈ARS〉大正4年4月號(第1卷1號)

 (*1)( 麻睡・魔睡 )失去知覺般的睡眠狀態,彷彿被魔力捲入的沉睡。(精選版 日本国語大辞典)

9.日輪草(日輪草)

そらへのぼつてゆけ、
心のひまはり草(さう)よ、
きんきんと鈴(すゞ)をふりならす階段をのぼつて、
おほぞらの、あをいあをいなかへはひつてゆけ、
わたしの命(いのち)は、そこに芽をふくだらう。
いまのわたしは、くるしいさびしい惡魔の(わな)につつまれてゐる。
ひまはり草よ、
正直なひまはり草よ、
鈴のねをたよりにのぼつてゆけ、のぼつてゆけ、
空(そら)をまふ魚(うを)のうろこの鏡(かゞみ)は、
やがておまへの姿をうつすだらう。

登上天空吧,
我心中的日輪草啊(*1),
登上叮鈴搖響的階梯,
進入廣闊天空 那藍又藍的中心,
我的生命將在那裡萌芽。
現在的我,被痛苦、孤寂的惡魔之網包覆。
日輪草啊,
誠實的日輪草啊,
循著鈴聲 向上攀登、向上攀登,
天空中舞動的魚的鱗之鏡,
也終將映出你的身影。

大正4年1月21日夜/〈ARS〉大正4年7月號(第1卷4號)
*草稿題名《日まわり草》

(*1)「心的日輪草啊」其實是個人一般跟隨原文簡略、避免超譯的習慣,但如此選擇這邊的譯文惠念起來有點衂口,故暫用「我心中的日輪草啊」。

10.膨脹了的寶玉(ふくらんだ寶玉)

ある夕方、一疋のおほきな蝙蝠が、
するどい叫びをだしてかけまはつた
茶と靑磁との空は
大口をあいてののしり
おもい憎惡をしたたらし
ふるい樹のうつろのやうに蝙蝠の叫びを抱(だ)きかかへた
わたしは眺めると、
あなたこなたに、ふさふさとした神のしろい髮がたれてゐた。
幻影のやうにふくらんだ寶玉は、
水蛭(みづびる)のやうにうごめいて
おたがひの身(み)をすりつけた
ふくらんだ寶玉はおひおひにわたしの腦をかたちづくつた

某個傍晚,一隻巨大的蝙蝠,
發出尖銳的叫聲四處盤旋。
茶與青瓷色的天空
張開大口大罵,
滴下沉重的憎惡、
如古老的樹洞 將蝙蝠的叫聲抱在懷中。
我遠遠地看著,
此起彼落,神成簇的白髮懸掛著。
像幻影一樣膨脹了的寶玉,
如水蛭般蠕動,
互相摩擦彼此的身體。
膨脹了的寶玉漸漸塑造起我的腦。

大正4年5月12日夜/〈ARS〉大正4年7月號(第1卷4號)

11.拭足的男子(足をみがく男)

わたしは足をみがく男である。
誰のともしれない、しろいやはらかな足をみがいてゐる。
そのなめらか(かふ)の手(て)ざはりは、
牡丹の花のやうにふつくりとしてゐる。
わたしのみがく桃色のうつくしい足のゆびは、
(いき)のあるやうにうごいて、
わたしのふるへる手(て)は涙をながしてゐる。
もう二度とかへらないわたしの思ひは、
ひばりのごとく、自由に自由にうたつてゐる。
わたしの生の祈りのともしびとなつてもえる見知らぬ足、
さわやかな風のなかに、いつまでもそのままにうごいてをれ。

我是拭(*1)足的男子。
撫著不知屬於誰的、潔白而柔軟的足。
那光滑的足背觸感,
宛如豐潤的牡丹花。
我所撫拭的桃色的美麗足趾,
像是有生命般地動了起來,
我顫抖的手不禁流下淚水。
再也不會回來的我的思念,
如雲雀般 自由自在地吟唱。
成為了為我的生命祈禱的燈火的
燃燒、陌生的足,
在清新的風中,願它永遠如此活動下去。

大正4年4月30日夜/〈ARS〉大正4年7月號(第1卷4號)

 (*1)磨く/研く/琢く(みがく):細心呵護使之變得更加美麗。(デジタル大辞泉)

12.夜會(夜會)

わたしの腹のなかでいま夜會がある。
壁にかかる黄色(きいろ)と樺(かば)とのカアテンをしぼつて
そのなかをのぞいてみよう。
まづ第一におほきな眼をむきだして今宵(こよひ)の主人役(あるじやく)をつとめてゐるのは焦茶色(こげちやいろ)の年とつた蛇である。
そのわき氣のきいた接待ぶりをしめしてゐるのは白毛の猿である、
(猿の眼からは火花のやうな眞赤な閃光(ひらめき)がちらちら走る)
それから、古(ふる)びた頭巾(づきん)をかぶつた片眼の法師
秋のささやきのやうな聲をたてて泡をふく白い髯をはやした蟹、
半月の影をさびしくあびて、ひとりつぶやいてゐる金(きん)の眼(め)のふくろふ、
ゐざりながらだんだんこつちへやつてくるのは足をきられた鰐鮫(わにざめ)だ。
するとそよそよとさわだつて、くらいなかからせりあがるのはうす色の幽靈である、
幽靈はかろく會釋して裾をひくとあやしい樂のねがする。
かたりかたりといふ扉(とびら)のおと、
ちひさな蛙ははねこみ
すばしつこい蜥蝪(とかげ)はちよろりとはひる。
またしても、ぼさぼさといふ音がして、
鼬(いたち)めが尻尾(しつぽ)でおとづれたのである。
やがて車(くるま)のかすれがきこえて、
しづかに降りたつてきたのは、あをじろい顏の少女(せうじよ)である、
この少女こそ今宵の正客である。
少女はくちをひらいて、おそなはつた(わび)をいふ。
その馬車の馬のいななきが霧(きり)をよんで、ますます夜はくらくなる。
さて何がはじまるのであらう。

我的腹中正舉行著一場夜會。
我將垂掛牆上、黃與樺色的簾幕升起,
試圖窺探其中的景象。
首先第一位是大大睜著眼睛、擔任今夜主人的焦茶色的年邁的蛇。
伴於其側、似乎機伶地做出接待動作的,是一隻白毛的猿,
(猿的眼中閃爍著如火花般的鮮紅閃光)
接著是戴著陳舊頭巾的獨眼僧人,
發出如秋風低語般的聲音、吹著泡沫的長了白鬍子的蟹,
寂寞地沐浴半月的陰影、獨自嘟噥著的金眼的貓頭鷹,
膝行著漸漸向此前來的是被截去雙足的鱷魚。
隨後是沙沙騷動、從黑暗之中升起的是淺色的幽靈,
幽靈輕輕點頭致意,拖曳衣擺、響起怪誕的樂音。
咔嗒咔嗒,門扉發出聲響,
一隻小青蛙跳了進來,
俐落的蜥蜴迅速爬行而入。
再一次,發出亂糟糟的聲音,
鼬鼠們響著尾巴到來。
終於,聽見車輪嘶啞的聲音,
悄然從車裡下來的,是一名面色蒼白的少女,
這名少女正是今夜的正客。
少女張開雙唇,為自己的遲來致歉。
那輛馬車的馬的嘶鳴喚來濃霧,夜色愈發深沉。
接下來究竟會開始什麼呢。

大正4年5月9日夜/〈ARS〉大正4年6月號(第1卷3號)

13.群聚的手(むらがる手)

空(そら)はかたちもなくくもり
ことわりもないわたしのあたまのうへに、
(いかり)をおろすやうにあまたの手がむらがりおりる
街(まち)のなかを花とふりそそぐ亡靈のやうに、
ひとしづく胚珠(はいしゆ)をやしなひそだてて、
ほのかなる小徑(こみち)の香(か)をさがし、
もつれもつれる手の愛にわたしのあたまは野火(のび)のやうにもえたつ。
しなやかに、しろくすずしく身ぶるひをする手のむれは、
今(いま)わたしのあたまのなかの王座をしめて相姦(さうかん)する。

天空無形地雲迷,
毫無理由地在我的頭上,
如同下錨 頭之手群聚降落。
像在街道灑落大片花雨的亡靈一樣,
哺育著一滴胚珠,
追尋著幽微小徑的香氣,
糾纏不清的手之愛中,我的頭如野火般燃燒。
柔韌、潔白冰涼顫抖的手的群聚,
如今於我頭中的王座之上緊縛相姦。

大正3年11月2日/〈ARS〉大正4年5月號(第1卷2號)
*清書稿有兩種,詩集《藍色的蟾蜍》中用第二種,其他皆為第一。詩句第四行,草稿及第一清書稿為《街のなかに》,第二則為《街のなかを》。

14.青白的馬(靑白い馬)

いちはやく草(さう)は手をたれて祈りをささげた。
靑白い馬は水にうつる頭(あたま)の角(つの)に恐れて、草のなかをかけめぐり
そのあへぐ鼻息は死人の匂ひのやうに萬物をくさらせる。
眼は沼のをどみのやうにいきれて泡だち、
足は銀の細工のやうにうすぐもる光をはなつ。
靑白い馬は
黑(くろ)の馬よろひをつけて、ふたたび水のうへに嘆息ふきかける
その あたまのうへに芽(め)をだした角(つの)は
惡のよろこびにいきいきとして 食物(しよくもつ)をとる

迅速地 草兒垂下雙手、呈上祈禱。
青白色的馬對映於水中的角恐懼,在草上狂奔,
那喘得痛苦的鼻息彷彿死人的芳香使萬物腐朽。
眼神如沼澤的沉澱泛起泡沫,
四足則如銀製工藝品散發出朦朧光輝。
青白色的馬
裝上黑色馬鎧,再次在水面上散亂嘆息。
牠的額上那發了芽的角
因邪惡的喜悅而蓬勃 攝取營養。

大正4年6月24日午前

15.怪物(怪物)

からだは翁草(おきなぐさ)の髮のやうに亞麻色の毛におほはれ
顏は三月の女鴉(をんなからす)のやうに憂鬱にしづみ、
四つの足ではひながらも
ときどきうすい爪でものをかきむしる
そのけものは ひくくうめい寢ころんだ
曇天の日没は銀のやうにつめたく火花をちらし、
けもののかたちは 黑くおそろしくなつて、
微風とともにかなたあゆみさつた

身軀覆蓋著如翁草般的亞麻色毛髮,
面容如三月的女鴉般沉沒於憂鬱,
雖以四足匍匐前行
卻不時用薄薄的爪抓撓物質。
那怪物低聲呻吟著 隨意躺下。
陰雲密布的日落如銀般散落冰冷火花。
怪物的身姿 變得愈加黑暗可怖,
伴隨微風漸行漸遠。

大正4年6月28日午前

16.盲目的蛙(めくらの蛙)

闇のなかに叫びを追ふものがあります。
それはめくらの蛙です。
ほのぼのとたましひのほころびを縫ふこゑがします。

あたまをあげるものは夜(よる)のさかづきです。
くちなし色の肉(にく)を盛(も)る夜(よる)のさかづきです。
それはなめらかにうたふ白磁のさかづきです。

蛙の足はびつこです。
蛙のおなかはやせてゐます。
蛙の眼(め)はなみだにきずついてゐます。

黑暗中有個追逐叫喊的東西。
那是一隻盲目的蛙。
隱約間有縫補著靈魂裂縫的聲音傳來。

仰首之物是夜的酒杯。
盛滿栀子花色的肉的夜的酒杯。
那是一支柔滑地歌唱著的白瓷的酒杯。

青蛙的腳是跛的。
青蛙的腹部消瘦。
青蛙的眼睛因淚水而受傷。

大正5年11月17日

17.使花綻放的雕像(花をひらく立像)

手をあはせていのります。
もののまねきはしづかにおとづれます。
かほもわかりません、
髪のけもわかりません、
いたいたしくひとむれのにほひを背おうて、
くらいゆふぐれの胸のまへに花びらをちらします。

雙手合十默默祈禱。
物質的招呼悄悄來到。看不清面容、
看不清頭髮,
令人心生憐憫、背負著一團香氣,
在陰沉黃昏的胸前撒下花瓣。

大正5年〈11〉月/〈異香〉大正6年1月號創刊號

18.窗框(窓わく)

あをい菊、
きいろい菊、
菊は影のいのちである。
菊はふとつてゆく、
菊は裂けてゆく、
菊は死人の魂をよんで、
おほきな窓わくをつくる。
その窓わくに鳥(とり)がきてとまる。
窓わくは鳥(とり)と共寢(ともね)する。
鳥は足をたて、
羽(はね)をたて、
くちばしをたてたが、
眼(め)のさきがくらいので、そこにぢつとしてゐる。
永遠は大地の鐘(かね)をならしてすぎてゆく。

藍色的菊,
黃色的菊,
菊是影子的生命。
菊逐漸膨脹、
菊逐漸開裂、
菊呼喚死者的靈魂,
創造了巨大的窗框。
在那窗框上 鳥兒飛來棲息。
窗框與鳥兒共眠。
鳥兒豎起腳、
豎起翅膀、
豎起喙,但
眼前一片黑暗,於是牠靜止不動。
永恆在大地的鐘聲中悄然逝去。

大正5年11月30日/〈異香〉大正6年1月號創刊號
*草稿初題名為〈菊〉。消除後改為〈まどわく〉。在同人雜誌〈異香〉上則是〈窓わく〉。

19.迎接黑色的手吧(黑い手を迎へよ)

小雨(こさめ)をふらす老樹(らうじゆ)のうつろのなかに
たましひをぬらすともしびうまれ、
野のくらがりゐざりゆく昆蟲の羽音をつちかふ
かなしげに身をふるはせる老樹よ、
しろくほうけたる髮もなく、
風のなかによそほひをつくる形(かたち)もなく、
ただ、つみかさなる言葉のみがのつかつてゐる。
老樹はめしひの手をあげてものをささげる。
その手はふくろふの眼のやうにうすぐらく、時として金光(きんくわう)をおび
さわだてる梢(こずゑ)のいただきにかがやく。

在降下小雨的老樹的空洞中
濕潤了靈魂的燈火誕生,
栽培原野陰暗處中緩慢前行的昆蟲翅聲。
悲傷地顫抖身軀的老樹啊,
既無凌亂的白髮、
也無於風中整裝的身影,
唯有,積累的言語乘坐著。
老樹舉起盲目的手獻上祀物。
那手如貓頭鷹的眼睛般淡黯,
時而盤繞金色光芒,
在騷動的梢頂閃耀。

大正5年7月12日

20.冰冷的春的憂鬱(つめたい春の憂鬱)

にほひ袋(ぶくろ)をかくしてゐるやうな春の憂鬱よ、
なぜそんなに わたしのせなかをたたくのか、
うすむらさきのヒヤシンスのなかにひそむ憂鬱よ、
なぜそんなに わたしの胸をかきむしるのか、
ああ、あの好きなともだちはわたしにそむかうとしてゐるではないか、
たんぽぽの(ほ)のやうにみだれてくる春の憂鬱よ、
象牙のやうな手(て)でしなをつくるやはらかな春の憂鬱よ、
わたしはくびをかしげて、おまへのするままにまかせてゐる。
つめたい春の憂鬱よ、
なめらかに芽生(めば)えのうへをそよいで[太松1] 消えてゆく
かなしいかなしいおとづれ

似乎隱藏著香袋的春的憂鬱啊,
為何要這般 拍打我的背脊?
潛伏淡紫色風信子之中的憂鬱啊,
為何要這般 刮撓我的胸口?
啊啊,那心愛的友人似乎即將離我而去,
如蒲公英棉絮紛亂的春的憂鬱啊,
用象牙般的手優雅舉止的春的憂鬱啊,
我只是俯首,任你為所欲為。
冰冷的春的憂鬱啊,
輕柔拂過萌芽梢頂之後消逝的
哀傷又哀傷的訪者。

大正6年4月2日夜/〈詩與音樂(詩と音楽)〉大正12年3月號創刊號
*草稿初題名〈にほひの〈良〉い春〉。改成《春の香気》 ,接下來又刪除後兩字、改為《白い手》。作者選《藍蟾蜍》所用清書稿原先為《春の白い手》,後來刪去並在欄外標示了現在的題目。

21.風信子之歌(ヒヤシンスの唄)❌

ヒヤシンス、ヒヤシンス、
四月になつて、わたしの眠りをさましてくれる石竹色のヒヤシンス、
氣高い貴公子のやうなおもざしの靑白色のヒヤシンスよ、
さては、なつかしい姉のやうにわたしの心を看(み)まもつてくれる紫のおほきいヒヤシンスよ、
とほくよりクレーム色に塗つた小馬車をひきよせる魔術師のヒヤシンスよ、
そこには、白い魚のはねるやうな鈴が鳴る。
たましひをあたためる銀の鈴が鳴る。
わたしを追ひかけるヒヤシンスよ、
わたしはいつまでも、おまへの眼のまへに逃げてゆかう。
波のやうにとびはねるヒヤシンスよ、
しづかに物思ひにふけるヒヤシンスよ。

風信子啊,風信子,
四月來到,喚醒我睡眠的石竹色風信子、
如高雅貴公子般的容顏的青白色風信子啊,
還有 如懷念的姊姊般守護著我心的紫色巨大風信子啊,
遠方駛著塗著奶油色的小馬車前來的魔術師的風信子啊,
就在那裡,如白魚躍動般的鈴聲響起。
溫暖了靈魂的銀鈴響起。
追逐著我的風信子啊,
我會永遠 於你的眼前向前奔逃吧。
如波濤般飛躍的風信子啊,
靜靜沉入煩憂(*1)的風信子啊。

大正6年3月12日
*無草稿、清書稿有兩種。《藍蟾蜍》未採用的清書稿(以下稱第一清書稿)中,包含題名、詩句在內皆為〈ヒアシンスの唄〉,不過《藍蟾蜍》用的清書搞(以下稱第二清書稿)中「ア」全部被作者自行訂正成了「ヤ」。

(*1)原文是「物思ひ」,近幾首詩經常使用到もの(物),因為直譯「物體」「東西」都甚為不順,雖為同一字仍分用「物質」「祀物」等。
  「物思ひ」一詞,亦可字面翻譯成「對物的思索/思念」等等,此處要從原文才能感受到各個「物質」間的聯繫。

22.茉莉花之夢(ジヤスミンのゆめ)❌

うすあをいふぢいろのはだへもや
うつとり上気した女へびの眼のやうに
みだらにしたたる香氣をはく
つよいつよいジヤスミンのねむりの香氣、
ちやうどそれはひたひおさへてうなだれる尼僧のひとりごと、
ああ つよいつよいねむりの香氣。

淡青的紫藤色肌膚的霧靄,
如癡迷、興奮的女蛇之眼,
吐著淫靡滴落的香氣。
如此強烈 茉莉花的睡眠的香氣,
那正是緊按額頭、垂首的尼僧的獨語
啊啊 何其強烈的睡眠的香氣。

大正6年11月28日/〈黃帽子的蛇(黃色い帽子の蛇)〉大正〈7〉年(發行月不明)

23.母韻之秋(母韻の秋)

ながれるものはさり
ひびくものはうつり、
ささやきとねむりとの大きな花たばのほとりに
しろ毛のうさぎのやうにおどおどとうづくまり、
寶石のやうにきらめく眼をみはつて
わたしはかぎりなく大空のとびらをたたく。

流動之物遠去,
迴響之物倒映,
在低語和睡夢大大的花束旁
如白毛兔子不安地蹲伏,
寶石般閃耀光芒的眼睛盯著
我叩響無垠大空的門扉。

大正6年〈10~11〉月/〈黃帽子的蛇(黃色い帽子の蛇)〉大正〈7〉年(發行月不明)

24.濕氣的小馬(濕氣の小馬)

かなしいではありませんか。
わたしはなんとしてもなみだがながれます。
あの うすいうすい水色をした角をもつ、
小馬のやさしい背にのつて、
わたしは山しぎのやうにやせたからだをまかせてゐます。
わたしがいつも愛してゐるこの小馬は、
ちやうどわたしの心が、はてしないささめ雪のやうにながれてゆくとき、
どこからともなく、わたしのそばへやつてきます。
かなしみにそだてられた小馬の耳は、
うゐきやう色のつゆにぬれ、
かなしみにつつまれた小馬の足は
やはらかな土壤の肌にねむつてゐる。
さうして、かなしみにさそはれる小馬のたてがみは、
おきなぐさの髮のやうにうかんでゐる。
かるいかるい、枯草のそよぎにも似る小馬のすすみは、
あの、ぱらぱらうつ Timbaleタンバアルふしのねにそぞろなみだぐむ。

難道不令人悲傷嗎。
我的眼淚不論如何也止不住流落。
我 騎在擁有淡淡通透的水藍色的角、
那小馬溫柔的背上,
將我似山鷸般瘦削了的身體全然託付於之。
我始終愛戀的這匹小馬,
每當我的心靈如無盡細雪流逝
總會不經意間突然冒出,來到我身邊。
悲傷之中成長的小馬的耳,
被茴香色的露水濕濡;
悲傷之中被包裹的小馬的腳
沉睡於柔軟的土壤肌膚上。
以及,被悲傷牽走的小馬的鬃毛
如翁草般漂浮著。
輕又輕、如枯草搖擺的小馬的前行,
在零落敲響的天巴鼓Timbale的旋律中不自覺地泛起了淚。

大正5年8月26日/〈新日本〉第6卷11號

25.森林上方的和尚(森のうへの坊さん)

坊さんがきたな、
くさいろのちひさなかごさげて
鳥のやうにとんできた。
ほんとに、まるで鴉(からす)のやうな坊さんだ、
なんかの前じらせをもつてくるやうな、ぞつとする坊さんだ。
わらつてゐるよ。
あのうすいくちびるのさきが、
わたしの心臟へささるやうな氣がする。
坊さんはとんでいつた。
をんなのはだかをならべたやうな
ばかにしろくみえる森のうへに、
ひらひらと紙のやうに坊さんはとんでいつた。

那和尚來了哪,
提著一個草色的小小籃子。
像鳥一樣地飛來了。
那還真是,像烏鴉一般和尚,
像是帶來某種前兆的、讓人不寒而慄的和尚哪。
他在笑著呀。
那薄薄的嘴唇尖端,
好像想要刺進我的心臟去。
和尚飛走了。
在如女人裸體般排列的
那片顯得過分蒼白的森林上方,
和尚像紙片一樣啪噠啪噠地飛走了。

大正5年
*此詩篇除了《藍蟾蜍》所用清筆自書稿,還有一章雜誌的剪報貼在了原稿用紙上,但誌名不詳。

26.追逐草葉的眼(草の葉を追ひかける眼)

ふはふはうかんでゐる
くさのはを、
おひかけてゆくわたしのめ。
いつてみれば、そこにはなんにもない。
ひよりのなかにたつてゐるかげろふ
おてらのかねまねをする
のろいのろい風(かざ)あし
ああ くらい秋だねえ、
わたしのまぶたに霧がしみてくる。

柔軟地在空中飄浮的
草葉,
我的雙眼追逐其後。
走近一看,那裏卻什麼也沒有。
立於晴空中的蜉蝣
模仿著寺廟的鐘聲
緩慢又緩慢的風吹。
啊啊 真是陰暗的秋天呀,
薄霧正滲入我的眼瞼。

大正5年

27.喪服的魚(喪服の魚)

透明の水はうすあをい魚をはらみました。
ともしびはゆらゆらとして星のまばたく路をあゆみつづける。
こがねいろの波は香氣をふき
あさみどりの葉はさびしいこゑをあげる。
ゑみわれる微笑の淵におぼれる魚のむれは、
たたまれてゐる秋の陶醉のなかににげてゆきます。

透明的水中孕育了淡青色的魚。
燈火搖盪著 在星辰閃爍的路上前行。
黃金色的波浪呵出芳香,
淺綠的葉揚起寂寞之聲。
耽溺於微笑滿溢的深淵的魚群,
逃進了藏在心裏的秋日陶醉之中。

大正6年6月1日/〈黃帽子的蛇(黃色い帽子の蛇)〉大正〈7〉年(發行月不明)
*清書稿及P稿詩句最終行左側都橫書記載著「(但し流產の詩である)」(但是是流產的詩),不過作者自身在作為定稿的P稿上將其抹消了。
(譯註※P稿為雜誌揭載詩)



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