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《聖三稜玻璃》全譯本(含序、新版跋、作者介紹)

  基於2023/8/30完成的譯本,修正可能錯誤之譯文並修改部分細節使其更加通順。以下是NDL(日本國立國會圖書館)的原版詩集PDF、作為底本的青空文庫,以及對翻譯助益良多的松井潤氏(持有1947版)之作品解析,與藪野直史氏(持有1915版)對版本之不同、遣詞誤字的考察。



【夾頁.序詩】

※此處可見原版書本裝幀、夾頁的實體照片,本段序詩及註釋皆出於此。


太陽は神々の蜜である
天涯は梁木である
空はその梁木にかかる蜂の巣である
輝く空氣はその蜂の卵である。
       Chandogya Upa. III I.I.

*1

太陽乃諸神之蜜
天際乃房梁之木
天空為梁木之上的蜂巢
閃耀空氣則為群蜂之卵。
       歌者奧義書 III I.I.


こゝは天上で
粉雪がふつてゐる……
生きてゐる陰影
わたしは雪のなかに跪いて
その銀の手をなめてゐる。

*2

這裡是天國
有細雪飄落……
活著的陰影
我跪坐在雪中
舔舐那銀之手。



(*1)藪野氏註釋:以上引文摘自《歌者奧義書(Chāndogya-upaniṣad)》,此奧義書(以梵文書寫的一本與吠陀經有關的書,為婆羅門教經典)在眾多奧義書中也被認為是最初期・最古老而代表吠陀經的經典。 它屬於包含宗教儀式中根據旋律演唱的讚歌(sāman)的「娑摩吠陀(Sāmaveda)」中。
(*2)同上:寫在第二章夾頁上。可以認為此為山村暮鳥自身的原創詩篇。也就是說,這才是通往《聖三稜玻璃(せいプリズム)》世界的真正序詩



【序】致聖三稜玻璃(聖ぷりずみすと、、、、、、に與ふ )/室生犀星(1915)

尊兄の詩篇に鋭角な玻璃状韻律を發見したのは極めて最近である。其あるもの至つては手足を切るやうな刄物を持つてゐる。それは曾ての日本の詩人に比例なき新鮮なる景情を創つた。たとへば湧き上るリズムをも尊兄はその氣禀をもつて中途で斬つてしまふ。又多く尊兄に依つて馳驅される詩句のごときもまつたく尊兄の創造になるものである。寒嚴なる冬の日の朝、眼に飛行機を痛み、又、遠い砂山の上に人間の指一本を現實するは必ずしも幻惑ではない。尊兄にとつては女人の胴體のみが卓上に輝いてゐることを常に不審としないところである。他人が見て奇蹟呼ばはりするものも尊兄にはふだんの事だ。尊兄の愉樂はもはや官能や感覺上の遊技ではない。まことに恐るべき新代生活者が辿るものまにあ、、、、、の道である。玻璃、貴金屬に及ぶ愛は直ちに樹木昆蟲に亘り、人類の上に擴がつてゐる(#換行)尊兄は曾て昆蟲に眼をあたへてからもう久しくなつた(#換行)今、尊兄は怪しき金屬の内部にある最も緻密な幽暗な光と相對してゐる。今、尊兄は癲癇三角形の上に登つてゐる。まことに尊兄の見るところに依れば珈琲茶碗はへし曲り、テエブルは歪んでゐる。

 自尊兄所作詩篇中覺察尖銳的玻璃狀韻律已是非常近期的事情,其中一部,甚至已達可斬手斷足的刃物之鋒利。此乃舊時日本詩人未曾開拓的洞天之濫觴,好比翻騰而上的韻律都將被尊兄以此般鋒利的氣稟從中斬斷,而那些依憑尊兄馳騁的詩句,也全然化為尊兄之造物。
 嚴寒的冬日早晨,飛機刺痛眼睛,又——遙遠砂山上出現了一根人指的現實,未必是幻覺。對尊兄而言,只有女人胴體在桌上熠熠生輝並不令人忌疑。他人稱為奇蹟之事,尊兄看來不過司空見慣。尊兄的享樂已非官能抑或感覺的遊技。這便是駭人聽聞、新時代生活者將行的偏執狂monomania 之道。
 對玻璃、貴金屬的熱愛蔓延至樹木、昆蟲,現已然拓展到人類之上;尊兄予以昆蟲目光已久之當前,尊兄與源自怪異金屬内部最為緻密的幽光相互輝映。如今,尊兄正攀登癲癇三角形之頂。誠如尊兄視角所言,珈琲茶碗是彎曲的,桌子也是歪扭的。

 眞に嚴肅なるものは永遠の瞬間である。尊兄は自然(#換行)人間に對して充分に嚴格なまなこを持つてゐる。その氣禀の餘りに熾烈なるために物象を睨んで終ることがある。おどかして見やうとする心は正しき心ではない(#換行)私は尊兄の詩品におどかしを見るときほど不愉快なことがない。 そのとき尊兄に憂鬱が腐れかかつてゐる。態度のみで終るのだ。

 真正令人肅然起敬之物即永恆的瞬間。尊兄對自然與人類擁有極度嚴苛的洞察之眼,甚而為使那氣禀熊熊燃燒,凝視自然物象直至殆盡。欲偽裝自我使人畏懼之心並非其正心,我從未遇過比在對尊兄的詩評中看到此般解讀更令人不悅的事。被如此解讀之時,尊兄的憂鬱將趨於腐爛,以如此態度迎來終結。

 尊兄の藝術について難解であるといふのは定評である。寡聞なでさえ數多い手紙を未知既知の人から貰つた。ことごとく難解で、むづかしくて、ひとりよがりではないかといふ呌びである。ひとしきり私でさえ世評に動かされて、尊兄を不快におもつた。しかし私には言へないことを尊兄は言つてゐる。私には見えないものを尊兄は見てゐる。私の所持しないものを尊兄はもつてゐる。そこが私とは異つてゐるところだ。それだけ私とは偉いところの在る證左である。

 尊兄的藝術難以理解已是眾所周知之事,寡聞如小弟也收過眾多來自生人舊識的信件,悉數盡說難解、麻煩、「實在自命不凡」的呼聲,一時間搞得連自己為輿論動搖,以致尊兄不快。但,尊兄能說出我不得說的話,尊兄能看見我不得見的光景,尊兄能掌控我不得控的事物。此即之與我相異之處,此即與我相比,尊兄偉大所在之證。

 私は思つてゐる。尊兄の詩が愈々苦しくなり、難解になり、尊兄ひとりのみが知る詩篇になることを祈つてゐる。解らなくなればなるほど解るのだといふ尊兄の立場を私は尊敬してゐる。誰にも解つて貰ふな。尊兄はその夏の夜に起る惱ましい情慾に似た淫心を磨いて光を與へることである。尊兄の理解者が一人でも殖えるのは尊兄の侮辱とまで極端に考えてもよいのだ。すくなくとも其位の態度で居ればよいのだ。解らなければ默つれ居れ。この言葉を尊兄のまわりに呟くものに與へてやりたく思ふ。

千九百十五年六月、故郷にて    
室  生  犀  星

 我正如此認為。我祈願尊兄的詩愈加痛苦、愈加難解,乃至僅有尊兄一人能夠理解的詩篇。我尊重尊兄「他人能解者愈少,自身能解者愈多」之立場。別讓任何人搞懂!尊兄如同夏夜中湧現的惱人情慾般將淫心打磨、發光,直到縱使僅僅出現一個理解者,對尊兄都叫侮辱的極端。你們安分守己也罷,無法理解就閉上嘴看著。我欲向對尊兄嘮叨不休者如是說。

千九百十五年六月,於故郷    
室  生  犀  星

譯註*NDL掃描本p.66可見,發行者使用本名室生道照)


1.囈語

竊盜金魚
強盜喇叭
恐喝胡弓
賭博ねこ
詐欺更紗
涜職天鵞絨(びらうど)
姦淫林檎
傷害雲雀(ひばり)
殺人ちゆりつぷ
墮胎陰影
騷擾ゆき
放火まるめろ
誘拐かすてえら。

盜竊金魚
強盜喇叭
恐嚇胡弓
賭博小貓
詐欺更紗*
瀆職天鵝絨
姦淫蘋果
傷害雲雀
殺人鬱金香
墮胎陰影
騷擾皚雪
放火榲桲
誘拐卡斯特拉



(*)譯註:更紗,原產自印度的印花棉質布料,通常印有人物、花鳥等圖樣。


2.大宣辭

かみはりがね
ぷらちなのてをあはせ
ぷらちなのてをばはなれつ
うちけぶるまきたばこ。
たくじやうぎんぎよのめより
をんなのへそをめがけて
ふきいづるふんすゐ
ひとこそしらね
てんにしてひかるはなさき
ぎんぎよのめ
あかきこつぷををどらしめ

髮毛針金
白金platinum之手相抗
以白金之手列砲
霧煙繚繞捲菸草。
從桌上銀魚眼中
瞄準女子的肚臍
噴泉湧出
即便他人不知
空中閃亮的先端
銀魚之眼
使紅色酒杯cup舞蹈。


3.曲線

みなそこ
ひるすぎ
走る自働車
魚をのせ
かつ轢き殺し
麗かな騷擾をのこし

水底的
午後
奔跑自動車
乘坐著魚
立即輾殺
徒留亮麗噪音。


4.手

みきしろがね
ちる葉のきん
かなしみの手をのべ
木を搖(ゆす)る
一本の天(そら)の手
にくしんの秋の手。

樹幹是白銀
落葉的金
延展悲哀的手
搖動樹木
僅一隻天之手
肉身的秋之手。


5.舞(だんす)

あらし
あらし
しだれやなぎに光あれ
あかんぼの
へその芽
水銀歇私的利亞ヒステリア
はるきたり
あしうら
あらしをまろめ
愛のさもわる、、、、
烏龍(ウウロン)茶をかなしましむる
あらしは
天に蹴上げられ

暴風雨
暴風雨
垂柳上發光
嬰兒的
臍芽
水銀歇斯底里hysteria
春日來臨
足心
捲起風暴
是要在愛的茶炊samovar
讓烏龍悲傷嗎
暴風雨被
踢到天上去。


6.圖案

みなそこに壺あり
壺のなかなる蝙蝠は
やみよの紋章
ふねをのぼり
朧なる癲癇三角形
くされたる肉にさく薔薇
さてはかすかな愛の痙攣。

水底有壺
壺中的蝙蝠
是闇夜的紋章
登上舟坂
朦朧的癲癇三角形
在腐肉上綻放的薔薇
以及微弱的愛的痙攣。


7.妄語

びおろん、、、、の空間
孕める牝牛の蹄

眞實なるものには、すべて
或る一種の憂鬱がある。

くちつけのあとのとれもろ、、、、
麥の芽の青

またその色は藍で
金石てざはり

ぶらさがつた女のあし
茶褐で雪の性

土龍(もぐら)の毛のさみしい銀鼠
黄の眩暈(めまひ)、ざんげの星

まふゆの空の飛行機
枯れ枝にとまつた眼つかち鴉。

小提琴violon腔中的空間
懷孕的母牛的蹄

一切真實的事物,皆有
某種憂鬱。

接吻過後的震音Tremolo
麥芽的青

還有那色澤是靛藍的
金石的觸感

懸垂的女子的腳
是茶褐的雪的性

鼴鼠的毛的孤寂的銀鼠色
黃色的眩暈,懺悔的明星

冬日空中的飛機
滯留枯枝的獨眼鴉。


8.烙印

あをぞらに
銀魚をはなち
にくしんに
薔薇を植ゑ。

在青空
放生銀魚
在肉身
種植薔薇 。


9.關於愛(愛に就て)

瞳(め)は金貨
足あと銀貨
そして霙ふり
涕(はなみづ)垂らし
物質の精神の冬はきたつけが *
もういつてしまつた 。

瞳孔是金幣
足跡是銀幣
雨雪齊降
水涕流淌
物質的精神之冬好似來臨*
卻又已然離去。



(*)譯註:譯者無法確定「…きたつけが」的意義。若將「きたつけ」與可能是轉折的が拆出並現代化成「きたっけ」,能夠找到方言有所使用,但此詩集並沒有可能使用方言的根據及必要。若視為「来た着け」,作「來到並依附」之意,文法也怪異。

  根據松井氏撰文,「日本国語大辞典には「たつけ」は、過去・完了の助動詞「た」に終助詞「け」が付いたもので、 詠嘆的に回想する、また記憶を確かめる気分の話しことば、とあります。/日本國語大辭典解釋,「たつけ」中,過去式助動詞「た」後的終助詞「け」,是詠嘆式的回想,或用於嘗試再次確認記憶的單字」,這邊便使用此譯法。


10.青空中(青空に)

青空に
魚ら泳げり。

わがためいき
しみじみ
魚ら泳げり。

魚の鰭
ひかりを放ち

ここかしこ
さだめなく
あまた泳げり。

青空に
魚ら泳げり。

その魚ら
もてり

青空中
魚群游泳。

我嘆息中
真情深切
魚群游泳。

魚的鰭
放出光

此處彼處
無命無定
眾多游泳。

青空中
魚群游泳。

那些魚
擁有心。


11.向未來 (À FUTUR)

まつてゐるのは誰。土のうへの芽の合奏の進行曲である。もがきくるしみ轉げ廻つてゐる太陽の浮かれもの、心の日向葵の音樂。永遠にうまれない畸形な胎兒のだんす、、、、そのうごめく純白な無數のあしの影、わたしの肉體からだ底のしれないだらけ……銀の長柄の投げ鎗で事實がよるの讚美をかい探る。

在等的人是誰。是沙袋中芽的合奏的進行曲。痛苦掙扎輪轉的太陽的飄升之物,心中日向葵的音樂。永不降生的畸形胎兒的dance,那無數騷動著的純白足影,我的肉體因此擁有無底的千瘡百孔……用銀長柄的標槍探索著源自於現實的讚美。

わたしをまつてゐるのは、誰。

在等我的到底、是誰。

黎明のあしおとが近づく。蒼褪めともしびがなみだを滴らす。眠れる嵐よ。おお、めぐみが濡らした墓の上はいちめん紫紺色の罪の、神經のきみぢかな花が顫へてゐる。それだのに病める光のない月はくさむらの消えさつた雪の匂ひに何をみつけやういふのか。嵐よ。わたしの幻想の耳よ。

黎明的足音近了。蒼白褪色的燈火滴落淚水。沉眠的暴風雨呦。哦哦,恩惠濡濕的墓之上紫紺深色的罪之靄瀰漫,神經性急的花正在顫抖。可是即便如此病態無光的月是想從草原上消失的雪的氣息中嘗試找到什麼地吟唱嗎。暴風雨啊。我幻想的耳啊。

わたしをめぐる悲しい時計のうれしい針、奇蹟がわたしのやはらかな髮を梳る。誰だ、わたしを呼び還すのは。わたしの腕は、もはやかなたの空へのびてゐる。青に朱をふくめた夢で言葉を飾るなら、まづ、醉つてる北極星を叩きおとせ。愛と沈默とをびおろん、、、、の絃のごとく貫く光。のぞみ。煙。生(いのち)。そして一切。

圍繞著我的悲傷的時鐘上快樂的指針,奇蹟梳理我溫順的頭髮。是誰、在呼喚我歸去。我的雙臂,已經,向彼方的天空伸去 。若想以青藍在包容了朱紅的夢中以話語妝點,首先,要先擊倒醉酒的北極星。如小提琴violon的弦般穿透愛與沉默一同穿透光。希望。喫煙。生命。以及一切。

蝙蝠と霜と物の種子(たね)とはわたしの自由。わたしの信仰は眞赤なくちびるの上にある。いづれの海の手に落ちるのか、靈魂(たましひ)。汝(そなた)は秋の日の蜻蛉(とんぼ)のやうに慌ててゐる。汝は書籍を舐る蠧魚と小さく甦る。靈魂よ、汝の輪廓に這ひよる脆い華奢(おしやれ)な獸の哲理を知れ。翼ある聲。眞實の放逸。再び汝はほろぶる形象(かたち)に祝福を乞はねばならぬ。

蝙蝠與霜與萬物的種子就是我的自由。我的信仰存在眞紅的唇上。直到何日才會落入海的手中呢、靈魂啊。汝似秋日蜻蜓般匆慌。汝似舔舐書籍的蠹魚微小重生,靈魂呦。沿汝之輪廓爬行知曉脆弱而精緻的獸之哲理吧。有翼之聲。真實的放逸。汝再次向毀滅的形象祈求祝福。

靡爛せる淫慾の本質に湧く智慧。溺れて、自らの胡弓をわすれよ。わたしの祕密は蕊の中から宇宙を抱いてよろめき伸びあがる、かんばしく。

自靡爛淫慾的本質中湧現的智慧。沉溺,並忘卻自己的胡弓吧。我的祕密自花蕾中擁抱宇宙,搖搖晃晃地伸展出去、芬芳地。

わたしのさみしさを樹木は知り、壺は傾くのである。そして肩のうしろより低語(ささや)き、なげき見えざる玩具(おもちや)を愛す。猫の瞳孔(ひとみ)がわたしの映畫(フヰルム)の外で直立し。朦朧なる水晶のよろこび。天をさして螺旋に攀ぢのぼる汚れない妖魔のの香。

樹木知曉我的寂寞,壺傾斜了。然後它從肩後對我低語,悲嘆喜愛看不見的玩具。貓的瞳孔在我的膠卷外矗立。陷入朦朧的水晶的喜悅。攀登指向天空的螺旋不受玷汙的妖魔的肌膚之香。

いたづらな蠱惑が理性の前で額づいた……

惡作劇的蠱惑在理性面前磕拜……

何といふ痛める風景だ。何時(いつ)うまれた。どこから來た。粘土の音(ね)と金屬の色とのいづれのかなしき樣式にでも舟の如く泛ぶわたしの神聖な泥溝(どぶ)のなかなる火の祈祷。盲目の翫賞家。自己禮拜。わたしのぴあの、、、は裂け、時雨とほり過ぎてしまつたけれど執着の果實はまだまだ青い。

何等令人痛苦的風景。這是何時誕生的呢。是從何處來的呢。 黏土音與金屬色不知何時成為了悲傷的樣式卻仍如小舟般漂浮的我神聖的泥溝中向火焰的祈禱。盲目的鑑賞家。自我禮拜。雖說我的鋼琴piano已破,時雨已過,執著的果實仍青翠。

はるかに燃ゆる直覺。欺むかれて沈む鐘。棺が行く。殺された自我がはじめて自我をうむのだ。棺が行く。音もなく行く。水すましの意識がまはる

在遠方燃燒的直覺。受騙而沉沒的鐘。前往棺木。被謀殺的自我首次誕生了自我。前往棺木。無聲無息地前往。豉蟲的意識在旋轉。

黎明のにほひがする。落葉だ。落葉。惱むいちねん。咽びまつはる欲望に、かつて祕めた緑の印象をやきすてるのだ。人形も考へろ。掌の平安もおよぎ出せ。かくれたる暗がり泌み滲み、いのちの凧のうなりがする。

感受黎明的馨香。是落葉啊。落葉。心煩的一念間。嗚咽糾纏的慾望,曾經,燒卻了潛藏的鮮綠印象。也想想人偶吧。讓手掌的平安也游泳而出吧。從被隱藏的黑暗中泌出、滲出,生命的紙鳶在風中鳴響。

歡樂は刹那。蛇は無限。しろがねの弦を斷ち、幸福の矢を折挫いてしくしくきゆぴと、、、、が現代的に泣いてゐる。それはさて、わたしは憂愁のはてなきたどり急がう。

歡樂短暫。蛇無限。白銀之弦已斷,幸福之箭已折,啜泣的邱比特Cupid流下現代眼淚。在此之外,我也踏上了無際的憂愁之路匆匆。

おづおづとその瞳(め)をみひらくわたしの死んだ騾馬、わたしを乘せた騾馬――記憶。世界を失ふことだ。それが高貴で淫卑なさろめ が接吻の場(シイン) となる。そぷら(、、、)ので。すべてそぷら、、、ので。殘忍なる蟋蟀は孕み、蝶は衰弱し、水仙はなぐさめなく、歸らぬ鳩は眩ゆきおもひをのみ殘し。

瑟瑟發抖的那眼瞳大大睜開的我死去的騾馬、我騎乘過的騾馬――記憶。乃失去世界之事。那便成為了高貴又淫卑的莎樂美接吻的一幕Scene。因為是女高音Sopra。一切皆因女高音Sopra。趨於殘忍的蟋蟀懷孕、蝴蝶衰弱、水仙無以慰藉,不復歸的鳩鳥只剩愈發炫目的思慕殘留。


おお、欠伸(あくび)するのはせらぴむか。黎明が頬に觸れる。わたしのろくでもない計畫の意匠、その周圍をさ迷ふ美のざんげ。微睡の信仰個條(クリイド)。むかしに離れた黒い蛆蟲。鼻から口から眼から臍から這込むきりすと、、、、。藝術の假面。そこで黄金色(きんいろ)に偶像が塗りかへられる。

哦,在打呵欠的是熾天使嗎。黎明撫摸我的臉頰。我只是個碌碌無為的計畫的意匠的周圍漫漫徘徊的懺悔。微睡的信條。多早以前已遠離的黑色蛆蟲。從鼻自口至眼向臍爬行的基督Christ。藝術的假面。在那裏有被黃金色塗改的偶像。

まつてゐるのは誰。そしてわたしを呼びかへすのは。眼瞼(まぶた)のほとりを匍ふ幽靈のもの言はぬ狂亂。鉤をめぐる人魚の唄。色彩のとどめを刺すべく古風な顫律(リヅム)はふかい所にめざめてゐる。靈と肉との表裏ある淡紅色(ときいろ)の窓のがらす、、、あるかなきかの疵を發見(みつ)けた。(重い頭腦(あたま)の上の水甕をいたはらねばならない)

在等的人是誰。呼喚我回去者又為何物。在眼畔匍匐幽靈之物的無言狂亂。在鉤上輪迴環轉的人魚之歌。色彩為了給出致命一擊老式的顫律在深遠之處覺醒。我在靈魂與肉體的表裡中淡紅色的窗戶的玻璃glass上發現了飄渺不定的傷痕。(必須謹慎對待沉重腦袋上的水甕才行)

わたしの騾馬は後方(うしろ)の丘の十字架に繋がれてゐる。そして懶(ものう)くこの日長を所在なさに糧も惜まず鳴いてゐる。

我的騾馬栓在後方山丘的十字架上。然後在煩悶的長晝之中向著無可作為不留餘力地吼叫著。


12.樂園

寂光さんさん
泥まみれ豚
ここにかしこに
からみ
冴えて
わが瞳(め)の噴水
いちねん
山羊の角とがり

寂光燦燦
染泥豚
此處復彼處
蛇纏繞
秋嚴寒
吾瞳中噴泉
一念間
山羊的角尖。


13.發作

なにかながれる
めをとぢてみよ
ともなくながれるものを
わがふねもともにながれる。

何物當漂流
請闔眼觀之
無聲漂流物
吾舟亦隨之漂流。


14.曼陀羅

この
きにうれ

ひねもす
へびねらはる

このみ
きんきらり

いのち
かなし。

此身
登樹梢

終日
為蛇睨遙。

此身
金閃耀。

命定之樹
何其悲傷。


15.在悲傷中 (かなしさに)

かなしさ
なみだかき垂れ
一盞の濁酒ささげん
秋の日の水晶薫り
餓ゑて知る道のとほき
おん手の
おん足の泥まみれなる。

在悲傷中
淚如雨下
獻上濁酒一盞。
秋日水晶薰香
飢餓方曉路遙上
君手中蘆葦
君足下染泥。


16.岬

光り
岬のしたにむらがる魚ら
岬にみち盡き
そら澄み
岬に立てる一本の指。

岬閃耀
岬下魚群聚
行向岬盡頭
天清澄
岬上矗立一根指。


17.十月

銀魚はつらつ
ゆびさきの刺疼(うづ)き
眞實
ひとりなり
あざやか
雪近し。

銀魚歡躍
指尖刺痛
真實
孑然一身
山色鮮明
雪將至。


18.印象

むぎのはたけのおそろしさ……
むぎのはたけのおそろしさ
にほひはうれゆくゐんらく
ひつそりとかぜもなし
きけ、ふるびたるまひるといき
おもひなやみてびはしたたり
せつがいされたるきんのたいやう
あいはむぎほひとつびとつ
さみしきかげをとりかこめり

麥田的不安……
麥田的不安
那芬芳是成熟的淫樂
沉靜無風
聽呀,古舊正午的吐息
苦惱沉思,善美滴落
被殺害的金色太陽
愛在一粒粒麥穗中
被孤寂的影子包圍。


19.持戒

草木を
信念すれば
雪ふり
百足(むかで)ちぎれば
ゆび光り。

若是
相信草木
雪降
若掐碎蜈蚣
手指發光。


20.光

かみのけに
ぞつくり麥穗
滴る額
からだ青空
ひとみに
ひばりの巣を發見(みつ)け。

髮毛中
全麥穗
滴落額
身青空
瞳孔中
發現雲雀巢。


21.氣稟

鴉は
木に眠り

豆は
莢の中

秋の日の
眞實


きんいろ。


眠於木


在莢中

秋日的
眞實

丘上田
金黃。


22.模樣

かくぜん
めぢの外
秋澄み
方角
すでに定まり
大藍色天
電線うなる
電線目をつらぬき。

廓然
視線之外
秋日澄澈
方角
已然決定
大藍色天
電線低吼
電線眼並聯。


23.銘記(に)

廢園の
一木一草
肉心
磁器
晶玉
天つひかりの手
せんまんの手
その手を
おびえし水に浸し
あざやか

廢園的
一木一草
肉心
磁器
晶玉
天光之手
千萬隻手
那手
膽怯浸水中
眼眸明亮。


24.黃昏時分(くれがた)

くれがたのおそろしさ
くりやすみ玉葱
ほのぐらきかをりに浸りて
青き芽をあげ
ものなべての罪は
ひき窓の針金をつたはる

黃昏時分的恐懼
廚房一隅的洋葱
沉浸薄暗的薰香中
青芽生長
萬物的罪孽
順拉窗的鐵絲流傳。


25.問候語salutation(さりゆてゑしよん)

純銀霜月の
光にびしよ濡れ
いちねん
智慧の玉乘り
頭蓋(あたま)がないぞ、おい、
玉は陰影(かげ)を引き
みちばたの草にかくれた

在純銀霜月的
光中濕濡
一念間
智慧的踩球雜技
怎麼沒頭蓋骨呀,喂,*
球拉扯著陰影
藏身路傍草叢中。



(*)譯註:漢字頭蓋,但注音是あたま,會和たまのり的たま有雙關?還是無關,只和智慧一詞關聯?為什麼球能拉扯影子?


26.鑿心抄

ふかみ
さみしら
栗鼠鳴き
瞳(め)を永遠につらならせ 。

  *

立てる十字架
立てるは胸の上
ひねもす
にくしんの蟲を刺し。

   *

しろがねの
ほんねんのかねは
こずゑ
しづかなり
わがそら
わがてのうへ
ゆれゆれて
したたる。

   *

やまにはやまのしんねん
ひとにはひとのりんくわく

秋日當深
寂寥當中
松鼠鳴叫
目光永遠追隨。

   *

豎立十字架
豎立於胸上
夜以繼日
穿刺肉身的眾生

   *

白銀的
原初銅錢
在樹梢
靜靜掛。
吾之天空
於吾手心
搖搖晃晃
滴落 。

   *

山有山的信仰
人有人的輪廓。


27.肉

病める冬の夜天
聖靈のとんねる、、、、
ふおく、、、悲しめ斷末魔
純銀食堂車
卓上に接吻あり
卓上永生はかなしめ。

癩病折磨的冬夜天
聖靈的隧道tunnel
叉子fork是悲哀的臨終
純銀的餐車
在桌上接吻
在桌上永生多悲哀。


28.晝

としよりのゐねむり
ゐねむりは
ぎんのはりをのむ
たまのりむすめ
ふゆのひみもだえ
そのはなさき
ぶらさがりたるあをぞら。

老人的坐睡
坐睡把
銀針生吞
踩球的少女
冬日下悶痛
此光景前
青空被懸吊。


29.於汝(汝に)

大空
純銀
孕み
水脈
一念
腹に
臍あり。

大空
純銀
船脹
水脈
一念
腹上
有臍。


30.磷素(素)

指を切る
飛行機
麥の芽青み
さみしさに
さみしさに
瞳(め)を削げ
空にぷらちなの脚
胴體紫紺
冬は臍にこもり
ひるひなか
ひとすぢのけむりを立て。

割傷手指
飛機
麥芽青澀
在寂寞中
在寂寞中
削刺眼瞳
空中白金 platinum的腳
胴體紫紺
冬天閉鎖臍中*
日正當中
細煙浮游而立。



(*)譯註:不知是籠もり還是子守?字典中有一條例詞「こもり【籠もり】」符合前者,而後拼出單字搜尋,可獲得一個熟語:冬籠り。湊合後面的「日正當中/細煙浮游而立。」是否想描繪「冬季時人們關在家裡,空曠的天空下只有細煙飄升」的寂寞畫面?


31.午後

さめかけた黄(きいろ)い花かんざし
それでもだいじさう
髮に插してゐるのは土藏の屋根の
無名草
ところどころの腐つた晩春……
壁ぎはに轉がる古い空(から)つぽの甕
一つは大きく他は小さい
そしてなにか祕密におそろしいことを計畫(たくら)んでゐる
その影のさみしい壁の上
どんよりした午後のひかりで膝まで浸し
瞳の中では微風の纖毛の動搖。

即使是被冷落的黃花簪子
還是要慎重以待
插在頭髮上的是土藏屋頂的
無名草
無所不見腐爛的晩春……
靠牆滾過的老空甕
一個大而其他的小
又暗中盤算著什麼恐怖的計畫
在那影子孤寂的牆上
昏暗午後的天光浸泡及膝
瞳中微風纖毛的動搖。


32.風景

  純銀馬賽克(純銀もざいく)

いちめんなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。

滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
幽微麥笛聲吹響
滿滿一片油菜花

滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
雲雀絮鳴喋不休
滿滿一片油菜花

滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
滿滿一片油菜花
白日高掛月蒼茫
滿滿一片油菜花。



(*)譯註:我希望可以讓這首詩在遇到「滿滿一片油菜花」時有喘息片刻、毛茸茸、童真、純淨的感覺,故使用疊字形容(此外の也出現了兩次);遇到各段倒數第二行則用突然出現卻又能融入菜花田(4/3,長度相同)較為成熟的語感翻譯,1&3段最後一字選擇相同母音進行收束。
這是我最喜歡的其中之一首詩,個人而言,暮鳥大膽重複了多次同句和共三次架構卻不讓人疲憊,放到現在也絕不過時且易懂。


33.誘惑

ほのかなる月の觸手
薔薇の陰影(かげ)のじふてりあ、、、、、
みなそこでなくした瞳
それらが壺にみちあふれる
榲桲のふくらみ
空間のたるみ
そして愛の重み
蟲めがねの中なる悲哀。

朦朧暈月的觸手
薔薇陰影的白喉Diphtheria
消失在水底的瞳孔
從壺中滿溢而出。
榲桲的浮腫
空間的鬆弛
以及愛的沉重
蟲眼鏡放大鏡中的悲哀。


34.冬

ふところに電流を仕掛け
眞珠頸飾りのいりゆじよん、、、、、、
ひかりまばゆし
ぬつとつき出せ
餓ゑた水晶のその手を……
おお酒杯
何といふ間抜けな雪だ
何と……凝視(みつむ)るゆびさきの噴水。

在懷中裝置電流
真珠首飾的幻象illusion
光線繚亂
突然月亮出現
渴望著水晶的那隻手……
啊啊酒杯
何等愚蠢的雪呀
何種……凝視指尖的噴泉。


35.祈

つりばりぞそらよりたれ
まぼろしこがねうを
さみしさに
さみしさに


そのはりをのみ。*

(*)譯註: 在原詩集中,這一句是單獨位於最後一頁的,沒有和前面四句連接在一起,故雖青空文字檔是接合的,此處手動將其分開傳達閱讀原書的感覺。

釣針自天空垂下*
虛幻金黃的魚群
在寂寞中
在寂寞中


吞下了針。



(*)譯註:即釣鉤。為了回扣到最後一字,以及前面所使用過的「針金(金屬絲線)」、「悲傷的時鐘上快樂的指針(À FUTUR)」、「拉窗的鐵絲(黃昏時分)」、「銀針生吞(晝)」等,預設有關連性。比起鉤,個人感受針更具有一種冰冷且強烈地直線刺穿而宛如稜鏡般的風味,故譯吊針。



【跋】摘要(覚え書)/草野心平(十字屋書店版,1947)

※此為出版後32年、暮鳥逝世23年再編的新版詩選的後記,草野心平責編,十字屋書店出版。原文自ころがろう書店之商品照逐字鍵入。

 本詩集は『三人の處女』より七篇『晝の十二時』より十八篇『聖三稜玻璃』より三十三篇をえらび編んだものである。

 『聖三稜玻璃』は暮鳥の全詩集の頂點を示すものであるが『三人の處女』と『晝の十二時』はそこにいたる直前の、しかもなだらかすべりこんでいった姿勢もよく分り實際には劃然とした區切りなどはない。福島縣平に居住してたこの頃の作品を一轄して聖三稜時代とよぶのがむしろ適切ではないかと思ふ。

  本書為《三人的處女》摘七篇、《正午十二時》摘十八篇、《聖三稜玻璃》摘三十三篇之選編詩集。

  《聖三稜玻璃》展示了暮鳥全詩集的頂點,不過《三人的處女》與《正午十二時》在達到此巔峰以前、平緩滑入的姿勢也易於理解,實際上兩段時期之間也沒有什麼激烈的劃分。在福島縣.平居住的此時期的作品或許可統稱為「聖三稜時代」會更加適切。

 三十三才の時に書いた『半面自傳』のなかで暮鳥は次の方に語ってゐる。

 「……大正五年一月詩集『聖三稜玻璃』を出版した。その五月パンフレット『プリズム』を發行したが一年足らずにほらび、それに加へて自分の藝術にする惡評はその秋に於て極度に達した。或る日自分は卒倒した。」

 極度の惡評はそれらの詩の鮮新斬鬼をそのまま映寫するものとしてむしろいまは惡評を投げつけた人々の前にたちはだかる

  暮鳥三十三歲時所寫的〈半面自傳〉中說了以下這段話。

  「……大正五年一月詩集《聖三稜玻璃》出版。同年五月也開始發行小冊詩集《Prism》*,卻還不到一年就停辦了;不僅僅如此,針對我自身藝術的惡評在那年秋天達到了極點。這一切致使我某日情緒潰堤。」

  那般極度惡評,比起說反映了惡評者對《聖三稜玻璃》的創新感到慚愧之程,不如說是他們投出的惡評如今反而矗立阻擋於惡評者自身之前。

 詩集『聖三稜玻璃』は近代日本詩の最もかがやかしい古典の一つである。それは最早論をまたない。けれども實は上梓されたその當時既にその命運をもつてゐたものであった。

  時間の助力なしには分らない暗愚さのなかに永いことしてと寒氣してゐたのこの詩集が三十年を經た今日再刊されるといふことは改めて一つの考案にもなり興味ふかい。

昭和二十二年七月三日
           草野 心平

  詩集《聖三稜玻璃》是近代日本詩最為輝煌的經典之一,已是無可爭辯的事實,此一命運,是出版當時就便注定終有一天會迎來的結果。

  若沒有時間的助力恐怕會永遠凍結在不被瞭解的暗愚當中的這部詩集,在經過了三十年後的今日能夠再次出版,也將再次激盪讀者思考,勢必將成為有趣的體會。

昭和二十二年七月三日
           草野 心平


(*2段)譯註:搜尋了一下小冊詩集《Prism》是什麼,得到以下資訊。

  簡單來說,似乎是同樣有發行的迷你版詩集,如在此之前就有過總共僅10頁、詩5篇的小冊詩集。又根據後文「發行したが一年足らずにほらび」來看,也許這項是某種定時發行的迷你刊物或摺頁?

(*2段)譯註:ざんき,斬鬼音同慚愧(日語詞),不知是否為誤字或舊用法。
  這段話好難分割,我是這麼讀的:極度の「惡評」は、それらの詩の「鮮新」(よりの)斬鬼を、そのまま映寫する【もの】として、むしろ、いまは「惡評を投げつけた人々」の前に、たちはだかる。
  修改如此後,可以解讀成「並非讓批評者對自己的評價懺悔,而是這本詩集默默承受了你們的想法,並在三十多年後的現在站在了你們這些批評者面前終於證明自己的價值」之感?



【作者介紹】山村 暮鳥(やまむら ぼちょう)/福島縣立圖書館兒童圖書研究室

山村 暮鳥(やまむら ぼちょう)
(1884年1月10日から1924年12月8日)

1884年(明治17)年1月10日、群馬県西群馬郡棟高村(現群馬町)に農家の長男として生まれる。本名は土田八九十(明治22年4月18日以降は小暮八九十)。

詩人、宗教家。1899(明治32)年、堤ヶ岡尋常小学校の代用教員を勤め、1901(明治34)年前橋聖マッテア協会の英語夜学校に学ぶ。1902(明治35)年、キリスト教の洗礼を受ける。

1908(明治41)年、聖三一神学校卒業後、日本聖公会の伝道師として各地で伝導活動をした。神学校在学中に小暮流星の筆名で雑誌「白百合」に短歌を投稿。以後、「早稲田文学」「文章世界」「創造」「新潮」等に作品を発表する。

山村暮鳥(1884/1/10-1924/12/8)
  1884(明治17)年1月10日,在群馬縣西群馬郡棟高村(現群馬町)誕生,為農家長男。本名土田八九十(明治22年4月18日後為改姓小暮)。

  詩人、宗教家。1899(明治32)年,在堤之岡尋常小學校擔任代課教師 ,1901(明治34)年在前橋聖馬提亞協會的英語夜校進學。1902(明治35)年受洗成為基督徒

  1908(明治41)年從聖三一神學校畢業後,於日本聖公會擔任傳道士在各地進行傳道活動。神學校在學中使用小暮流星為筆名,在《白百合》雜誌上投稿短歌。此後,也在《早稻田文學》、《創造》、《新潮》等處發表作品。

1912(明治45,7月改元して大正元)年9月から1918(大正7)年1月にかけて福島県石城郡平町(現いわき市平)の日本聖公会平講義所の伝道師となる。その間、1913(大正2)年6月に結婚。同年、処女詩集『三人の處女』(新声社)を出版。その序文で島崎藤村は「新しい香気と、淡い柔らかな呼吸とに満ちた詩集だ」と評している。
1915(大正4)年発行された詩集『聖三稜玻璃』(人魚詩社)では、それまでの日本の伝統詩にはない独創特異な形式を用い、近代詩の変革に画期的な役割を果した。1917(大正6)年、巻頭に「半面自伝」を載せた随筆集『小さな穀倉より』(白日社・感情詩社)を出版。

  1912(明治45,7月改元為大正元)年9月起至1918(大正7)年1月,在福島縣石城郡平町(現磐城市 .平)的日本聖公會平講義所擔任傳道士。在此期間,於1913(大正2)年6月結婚。同年,處女詩集《三人的處女》(新聲社)出版。序文由島崎藤村所寫,評為「嶄新的香氣與淡薄柔軟的氣息滿溢的詩集」。
  在1915(大正4)年發行的詩集《聖三稜玻璃》(人魚詩社)中,採用了截至當時為止日本傳統詩所沒有的獨創特異形式,對近代詩的變革產生了劃時代的作用。1917(大正6)年,卷頭記載了「半自傳」的随筆集《來自小小的穀倉》(白日社・感情詩社)出版。

1917(大正6)年、巻頭に「半面自伝」を載せた随筆集『小さな穀倉より』(白日社・感情詩社)を出版。

1918(大正7)年、人道主義的な作風に転じた詩集『風は草木にささやいた』(白日社)を刊行。この転換期に、磐城の詩人三野混沌の影響があることを草野心平は指摘している。磐城の風土と交友が、全盛期の暮鳥に与えた影響は大きい。

1924(大正13)年、茨城県大洗町で結核により永眠。翌年、詩集『雲』が出版された。いわき市文化センターには暮鳥「雲」の詩碑がある。

  1918(大正7)年,轉換成人道主義作風的詩集《風對草木竊竊私語》(白日社)刊行。草野心平指出,在風格轉換期間,暮鳥有受到磐城的詩人三野混沌影響。在磐城的風土與交友,對全盛期的暮鳥造成很大的影響。

  1924(大正13)年,在茨城県大洗町因結核病永眠。翌年,詩集《雲》出版。磐城市文化中心立有暮鳥〈雲〉的詩碑。


※補足資料
郷土いいとこ再発見 (inetcci.or.jp)
東京教区について – 日本聖公会東京教区 (nskk.org)


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