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ひみつの庭♯シロツメクサ

シロツメクサの記憶は
広い草原などではなく
昔住んでいた団地での日々のことだ。


1歳の頃
母の実家の東京から
地方都市に引っ越してきた。

父の会社の社宅は
10棟ほどが連なった
5階建ての団地。

ベランダ側から階下を見下ろすと
横に長い小さい草はらがあって

春はシロツメクサで埋め尽くされる。
その向こうに小さな公園が併設されている。

不器用なのでシロツメクサの
花冠を作るようなことはできなかった。

どちらかというと木かジャングルジムの上に
登っていたい子どもだった。


団地の踊り場はいつも暗い。
コンクリートの階段。

分厚い玄関の扉は
開けるのが重たいし
閉めるたびに

どぉぉぉん だか
ぼぉぉぉん だか
どがぁん など
重厚感たっぷりの音が響く。

1階にはセキュリティ甘々のポストが10個。
そして最初の階段下にある謎の小さな扉が
いつも怖かった。

何か得体の知れないものが
潜んでいそうで。
いつも見ないようにしていた。

階段を降り
シロツメクサの草むらを通り過ぎて
公園へ向かう。

今はほとんど見かけない
円形のぐるぐる横に回る遊具…
好きでよく全力で回してたなあ。

さらに公園の向かいには
小さな文房具屋がある。

カラカラカラカラ

重い引き戸を開けると
目の前には色とりどりの駄菓子。

青、ピンク、黄色の蓋のヨーグル。
小さな小さな木のスプーン。
(へら?)

大人になってから食べたら
全然美味しく感じなかった。
昔は必死に全部すくおうとしてたのに。

しぃんとした空間に
他の客はいつもいない。

静寂が耳に痛く自分の靴音が大きく響く。
じゃりじゃりじゃり。

暗い迷路のような道を進み
山積みのノートやら消しゴムを見つけ
物静かな店主へお金を支払う。

静かな買い物を終え
わくわくしながら
公園へ駄菓子を食べに戻る。


小さな砂場とジャングルジム、
2つのブランコ。

砂場の上の緑廊に
くねくねと木が巻き付いている。

なんの木だったのだろう。

臆病な今の自分からすると
にわかに信じられないのだが

その木に登りてっぺんから
公園を見渡すのが日課であった。


梅雨の前には
団地の玄関先の段差に
蟻の大移動がよく見られた。

今でも好奇心旺盛なので
公園の蟻の動きを
観察してしまうことがあるのだが

こんなに大量の蟻がせかせかと
移動する珍事に

幼い私は釘付けで
どこまでも追いかけていった。

団地二棟分は
行列が続いていた気がする。

でももうそれ以降
蟻の大名行列には出会えていない。



シロツメクサを見て蘇る思い出は
そんなに楽しく心躍るものではない。

四葉のクローバーがないか探し回ったことと
(結局見つけられず)

草はらの近くに住み着いていた猫に
一度だけこっそり餌をあげたことくらいだ。

小学校高学年になるころ
再開発で団地を退去しなければならなくなった。

その頃少なくとも5〜6匹の猫が
団地内に住み着いていた。

一匹だけベージュのふっくらした猫がいて
ボスと呼ばれていた。

ボスを見かけるとラッキー、
なんて近所の子どもたちの間では言われていた。

私は猫を飼ってみたかったけれど
社宅はもちろんペット不可。

母は猫が苦手なので
論外という具合だった。

我が家で飼った生き物は
虫の観察で育てたカブトムシだけだった。


10歳ともなると
少しばかりお小遣いをもらっていたので

引っ越しの前に
スーパーで猫用の缶詰をひとつ
どきどきしながら買ってみた。

その日は運よくボスが現れて食べてくれた。

でも母に怒られるのが怖くて
最後まで食べ切るのを待たずに
ボスを残したまま
曇り空のシロツメクサの中を逃げ去った。


その後引っ越しをして中学に上がり
部活やら勉強やら塾やらで
毎日慌ただしくなる。

急に始まる順位付けの学校生活。

そして本や漫画にゲーム
私を惹きつける世界が
他にもたくさんあったので

ふるさとは徐々に遠ざかっていった。







その後
気がついた時には
住んでいた団地は無くなり
大きなマンションと駐車場になっていた。

私の住んでいた家も公園もひみつの庭も
跡形もなく無くなってしまった。

ヨーグルの文房具屋も
もう無かった。
ボスや他の猫たちはどこへ行ったのだろう。


シロツメクサで一面埋まる私の小さな庭はもう無い。

世界はうつろい変わっていく。
それは止められないことはわかっているのだけれど。

きっと今私たちが住んでいる家だって
100年後には跡形もないのだろう。

子どもたちにとってのふるさとに今いる私は
どんな記憶を一緒に作っていけるだろうか。

その思い出の中の家族みんなが
笑顔でいられたら良い。

この子たちにとってのシロツメクサの記憶が
少しでも幸せなものでありますように。

クローバー
[別名]白詰草(和名)
科・属:マメ科シャジクソウ属
性質・分類:多年草
原産地:ヨーロッパ~西アジア
出回り期:5月~9月(最盛時期は7月)
開花時期:4月~7月
用途:公園、野原、牧草、花壇
三つ葉のクローバーの花言葉:「愛」「希望」「信頼」

和名の「白詰草(シロツメクサ)」は江戸時代に船で送られてくる荷物の緩衝材に、干したシロツメクサが利用されていたことに由来します。

GreenSnapより


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