「水」
水が好きだ。
水について思いを馳せるとき、私はそのスケールの大きさにほとんど気が遠くなる。
私がよく考えることの一つに、
「地球上の水の量は、地球が生まれた時から変わっていないのではないか」
というのがある。
雨は川となって海へ注ぎ、そして海は水蒸気となって空へ上がり、また雨となって落ちてくる。
宇宙が真空というからには、私の考えもあながち間違ってないのだと思う。
水が形を変えながらぐるぐると回るそのサイクルの途中に、植物や動物がいて、そして人間もいる。
私の体を構成する約70%の水分は以前はどこにいたのだろう、と空想することは、ほとんど私の趣味。
恐竜がいた時代にざあざあと降っていた雨かもしれないな…。
あるいは、遠いヨーロッパで悠々と流れていた川かもしれない…。
はたまた南極の氷だった時もあるかも。
食卓の上のコップの水。
これは、私のおじいちゃんも飲んだお水だったかもしれない。
あるいは、原爆が落ちた時に人々が求めた水だったかもしれない。
あるいは、ジャングルの奥地でごうごうと落ちる滝だった時もあるのかもしれない…。
そして、今日降る雨。
雫は私の目の前を一瞬で通り過ぎていく。
この雫たちは今からどこへ流れていくのだろう。
海へたどり着くのだろうか。
紫陽花の茎の中へ流れていくのだろうか。
どこかで消毒されて、私のうちの蛇口へ流れてくるのだろうか…。
降りしきる雨を眺めながら、そんなとりとめもないことをぼんやり考える。
小さな頃から洗濯機の中で回る水を眺めるのが楽しくて仕方がなかった。
今でも、お風呂でたゆたうお湯に見惚れ、ただただ子どものように水をすくったり落としたり、浴槽の縁の水を繋げたり、うっかりものすごい時間を過ごしてしまうことがある。
水。
それは私にとって宇宙と同じくらい興味が尽きず、気が遠くなり、そして眠りへと誘うもの。