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友愛の果てに痺れるキスを(−23日)

また先月の話。

出会った時から気になっていたのに、いつの間にかすっかり忘れてしまっていた、そんな存在が私にはたくさんある気がする。
思い出せていないだけで、多分、たくさん。



新作上映記念で過去作品のYouTube配信が決定!
というお知らせがSNSで流れてきた。
ちらっと目をやると、
リリィシュシュのすべて
の文字。

なんだか聞いたことがあるタイトルだった。
たぶんどこかのバンドの誰かが1番好きな映画、として挙げていたような気がする。
そんな曖昧すぎる記憶をなんとか呼び起こそうとページをスクロールして、私はその美しい響きの名前と再会した。

『リップヴァンウィンクルの花嫁』

黒木華主演の映画。
内容はよく知らない。
タイトルの文字羅列が美しかった。
予告で流れたウェディング姿の黒木華の表情が美しくて目を惹かれた。

"気になる"存在になるにはそれだけで充分だった。

上映当時あんなに観たい!と思っていたのに、わたしはそんな存在をすっかり忘れてしまっていたのだ。



当時から気になっていた素敵なタイトルの映画作品と再会して数日経ったとある休日。

私は近場のコンビニでお酒とポップコーンを買い込んでいそいそと家に戻った。
遮光カーテンをびしっと閉め、単三電池4個分のガーランドライトの灯りをつける。
PCをモニターに繋ぎ、モニターと小型スピーカーを繋ぎ、買ってきたポップコーンの袋と缶チューハイのプルタブを開けた。

映画にそこまで明るくない私にとって、映画を観るということは特別なことなのだ。
こんなちっぽけな空間に漂うキャラメルポップコーンの匂いだけでわくわくしてしまうほどに。

そんな甘い香りに包まれて、何年越しかの"気になる"を受け取る準備ができた。



(※以下、ネタバレ含みます)



簡単に知らない世界を見せてくれる映画という存在を、私はどちらかというと好きだと思う。
でも熱中するほど好きにはならなかった。
どうしてもカメラに制御される目線。姿形が目でわかるから見終わった後必ず誰もが同じ姿を呼び起こす、そんな視覚的制限がなんだか面白くなかったのかもしれない。
それはそれとして、
言葉の間や表情、空気なんかは、文字表現よりも何倍もリアルで、そういうところは面白いし興味深い。そしてときには追体験をしているような苦しさを覚えることもあった。

リップヴァンウィンクルの花嫁も同様に、
苦しかった。

主人公の七海は自分の意見を大きな声で言えないような、控えめでおとなしい女性。
友人や恋人との会話も当たり障りのない返事をしていたりする。
義母に責められたとき、言葉に詰まり、涙を堪えてしゃくりあげてる様子なんかは、見ているこちらがいたたまれない気持ちになった。
怒りと悲しみと涙を我慢して、頭に溢れ出る言葉とは裏腹に喉の蓋に重しが乗っかってるみたいな、苦しくてしゃくりあげるような嗚咽を吐き出すのが精一杯で、喋れなくなるその感覚を、わたしは嫌というほど知っていたから。

YESもNOもはっきり言わない、しっかりとした自分の意見を持っていない七海は、帰る場所がなくなった時、ネット経由の友人に助けを求めたりする。
その様子が危なっかしくて、オールも錨も備えずに海を揺蕩うボートのようで、
私が思う、
"こうありたくない人間"そのものであり、
"過去のわたし"そのものだった。


物語を自分ごとのように捉えるのはとても危険だ。
物語はあくまで他人事で、フィクションで、第三者目線で観なくてはいけない。
そう理解しているはずなのに、自分に似通った部分を七海に見てしまったとき、
途端に苦しくなった。

しかし素知らぬ顔で物語は進む。
結婚式の代理出席で偽の家族を演じ、そこで出会った"真白"という天真爛漫な女性と仲良くなる。
その後とある大きなお屋敷の住み込みメイドとして働き、2人はそこで再会する。

いわゆる普通の生活をしていたら出会わなかったであろう2人。することはなかったであろうお屋敷のメイド仕事。住むことはなかったであろう大きなお屋敷。広い庭。立派でかわいいメイド服。猛毒を持つ危険生物の水槽に囲まれたベッドルーム……

自分を投影しかけていた七海の物語に、
ありえないフィクションが一気に流れ込んできた。
そのおかげで私はまた自分と物語を乖離して見ることができた。
物語にのめり込み、物語の手をとろうとしたわたしに、伸ばした手を掴まないどころか、
これはフィクションなんですよ、
と突き放された感覚だった。

そして私は一気に目が覚めた。
それと同時にいわゆる普通の生活を壊してくれる"真白"という存在と出会えた主人公のことがとてつもなく羨ましく思えた。

真白は天真爛漫であっけらかんとした女性で、平凡な日常を変えてくれる突飛なスパイスみたいな存在に思えた。
それでいて掴みどころがなくて、なにか抱えてるものがあるんだろうな、と感じさせるミステリアスさを併せ持っていた。


物語は進み、
七海は真白の秘密を知る。
彼女は友達が欲しいと願っていた、だからお屋敷のメイドとして七海を雇った、という事実も。

真実を知った七海は、真白の心の穴をあたたかさで埋めるようにそっとじっと寄り添っていく。


印象的だったのは、
ウェディングドレスを着てはしゃぐ2人。
そしてその姿のままベッドに横たわり、愛の言葉を語る場面。

「結婚しよっか」
「真白さんとならしてもいいかも。」

「私が、一緒に死んでほしい、って言ったらどうする?」
「………死にます。」
「…ばーか!」

そんな会話。
2人はウェディングドレスのまま向き合って抱きしめあってキスをする。


その光景を見て、ただぼんやりと、美しい、と思った。
男女間の恋や愛や欲とは違う、女性同士のそれは、芸術的な美しさがある、と思った。

それほどまでに互いのことを心から大切に思えて、言葉で足りない感情を表した、
"最大限の美しい愛の表現"だと私は思った。


そんな美しい夜のまま物語は終わらなかった。
夜が明けると七海を抱きしめたまま、真白は死んでいた。
ベッドルームのそばにあった水槽、そこで飼っていた猛毒生物を手に持って自殺していた。

それでもエンドロールは流れない。
彼女の物語はまだ続いていく───



……ここまで語っておいて、だが、
映画の感想に対してどうも苦手意識がある。
カメラ(視点)の移動、照明、台詞、目線、距離感、背景……ワンシーンの中でも気になるところが多すぎるのだ。結果、感想としてどの言葉を選び取ればいいのかいつも頭を悩ませている。
これは多分映画レビューに関する引き出しが少ないせいもある。(映画に関して勉強不足ゆえ)

気になる存在は2時間ちょっとで気になっていた存在へと変わった。
映画の感想はやっぱり苦手なんだけど、
それでも敢えて言葉にすると、
心のモヤモヤがきれいさっぱり晴れない、そんな終わり方がリアルで好感を持った、というのが本音。
そして、夫に見捨てられ、職を失い、友人が死んでも、それでも続いていく日常に残酷さを覚えた。でもそれは現実では当たり前のことで、フィクションの中に織り交ぜられているリアルが、ときに気持ち悪くそして心地良かった。

見終わったあと、暫くぼーっとした後あれこれと考えを巡らせる物語はいい作品だと私は思う。



この作品の中でも特に、真白と七海のキスシーンについてはいろんな感想を抱く人がいるんじゃないかと思う。
私はその場面を芸術的で美しいと感じたし、最大限の愛の表現だと感じた。
決して恋愛的な欲的な意味ではなく。
親愛の愛。

でもどうやら2人の関係を百合だと捉える人が多いらしい。
そして、これは最高の百合作品だ!!と紹介している人が多数の支持を集めているのを見かけたりもした。
それをみて、その言葉だけ一人歩きしてこの作品を形取るのはあまりにも勿体無いなぁ…と思ってしまった。
そう捉えるのがダメだとか、そういう話ではなく。
むしろ捉え方は人それぞれであっていいと思うが、百合作品という分類でこの作品が多数の人に支持される見解になってる、という事実になんだか納得いかなかったのだ。

最初からそんな狭い視野で見るのは
あまりにも勿体無い。


もちろん映画に限らず。
小説も、音楽も。
そして人間も。



「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」

真白の印象的な台詞。

映画を見終わってから、ぐるぐるといろんな考えが巡るけれど、
結局のところ「リップヴァンウィンクルの花嫁」の感想は、この一言で十分なのかもしれない。


狭い我が家の精一杯の鑑賞空間。
キャラメルポップコーンを食べると
手がベタベタすることを学びました。

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きいろ。
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