1/2完成のパズル
10代最後の学生時代に、1年間だけ学生寮に入っていました。
4人部屋だったのですが、その中のお姉さん(上級生をお姉さんと呼ぶ決まり)が、同郷の人で、今も仲良しです。
すっごく久しぶりに、お花とお酒を持って家まで遊びに来てくれて。(車じゃなければ一緒に飲みたかった!)
長くお話した中の一つに印象的だったのは、
「幸運の女神の前髪は、何でもいいからとりあえず掴もう!」
という話^^
そういえばそんなのをnoteにアップしたな、と思って、シンクロニシティを感じました。
お姉さんとはたくさんのシンクロがあって、深い縁を感じる存在。
同郷から同じ大学に行き、時期をずらして同じ会社で働き、結婚相手の会社も同じでした。別れたけど。ノーマン・ロックウェルが好きなのも同じ趣味でした。
しばらく会ってなくても、いつも会ってるかのように盛り上がれる友人が、私には何人もいてくれて。
あらためて、それって本当に貴重なことだと、嬉しく、ありがたく思っています。
人って財産なんですよね。
宝ものです。歳を重ねるほど。
自分の歴史にちゃんと責任を持っておきたいな、と思うのでした。
良い事も良くない事も。
やっぱりそう考えると、月並みだけど「今」を大事に生きるってことなんだよね。
私たちは今ここで生きている、
これ以上の奇跡なんてありません。
私がいつも思うのは、
「人生ってどこで誰に何に繋がるかわからないことが面白い」
ということ。
ひとつひとつが奇跡だからです。
それは、どの部分が欠けてしまっても完成しない、パズルのようです。
今がどんなに辛くても、悲しくても、
この瞬間は大きな大きなジグソーパズルのピースの一つです。
辛いといえば、独身時代に働いていた会社で、先輩からいじめを受けた時期がありました。
一日に何度もトイレの個室で泣いていた日々。
でもふと気づいたのは、私はこんな状況に置かれている自分を、かわいそうがっているんじゃないか?ということでした。
そこで、自分をかわいそうがることをやめることにしました。
自分の生を長い目で見たら、この今も、ジグソーパズルの1ピースなのではないか、と、その時思ったのです。
すると、心がフラットになり、自分にも相手にも何の期待も持たなくなりました。
そして、先輩が今までになく、くっきりと輪郭を現したのです。
見えてきた先輩は、それはそれは素敵な人でした。
人をいじめてしまうくらいですから、少し歪んだところはあるけれど、先輩という人間はじつは深みのある隠れた魅力を持つ人でもある、と知ったのです。
私たちはその後、時間をかけて友情を築きました。
真夜中の暗いバーで、未来や人生やアートを語り合うまでに。
今はもう連絡を取り合うこともなく、縁は途切れてしまいましたが、あの時のパズルピースは、いつもバーに灯されていたロウソクの火のように、小さく揺らぎながら光を放っています。
続く縁と、途切れる縁。
いろいろあってこそ、パズルは鮮やかに完成していくのですね。
友情が築かれようと、もしも辛い思い出で終わろうと、全てが自分の一部であるかぎり、大きなジグソーパズルはかけがえのない一枚の絵になるのだと思います。
今日が人生で一番若い日。ここから、絵をどう描きましょうか?
人生100年。
私のパズルは、やっと半分です。