使わない部分
生まれついて持っている
僕たちのカラダ
隅々まで活かすことが
できるかな?
一生使わないぶぶんも
あるかもしれないなあ
そう思うとさ
なんだかとても寂しいね
私たちが生まれ持った身体について、改めて考えたことはあるでしょうか。
この詩は、私たち自身の身体に秘められた可能性と、それに対する少しの寂しさを語っています。
私たちの身体は、無数の機能や能力を秘めています。手を動かし、足で歩き、心臓を鼓動させる。その一つひとつが、生きるために欠かせない奇跡です。
しかし、「一生使わない部分もあるかもしれない」という言葉が指すのは、私たちがその可能性をすべて引き出すことができないかもしれない、という現実です。
確かに、すべてを活かすことは難しいかもしれません。それは時に寂しさを感じさせる事実です。
しかし、別の見方をすれば、その未使用の部分もまた、私たちの「可能性」としてそこに存在し続けるのです。どれだけの力が眠っているかを知ることはできなくても、その存在を感じることで、私たちは自分自身の無限の価値を再認識することができます。
だからこそ、できる限り、この身体の隅々を意識して生きてみましょう。新しいことに挑戦したり、日々の小さな動きに感謝したり。それが身体への敬意であり、人生を豊かにする方法です。
寂しさを感じるのは、それだけ私たちが生きる可能性に対して真剣だから。
どうか、その想いを大切に、これからも身体を活かしていきましょう。
※このnoteに何かしらの価値を感じられましたらサポートいただけると幸いです。(以下、文字も写真もありません)
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