第200回 天神、学問の神になる の巻
年月がたち菅原道真が怨霊だったことを実感する世代が少なくなると、いつのまにか「藤原氏を祟る怨霊」が「藤原氏を守護する神様」に変貌します(真逆やん!)
民衆の間では、道真が学問優秀で詩の名手だったことから「学問の神・詩歌の神」として崇拝されるようになります。
その後 天神は学問以外でも「書道の神」「連歌の神」などと変貌を続け、さらには「招福」「戦勝」「世継ぎ(男子)出産」「交通安全」…
うっ、こじつけやん…と思えるほどオールマイティーな神として祈願されるようになります。
しかし、歴史上の有名人が天神にさまざまな祈願をし成就した実績が噂として広がり、その結果 「天神=オールマイティーな神」のイメージになったようです。
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■道真はなぜ京都の中でも北野の地に祀られたのか?
北野天満宮。
一の鳥居をくぐると真っ先に登場するのが道真ママの祠『伴氏社』。
しかし明治の神仏分離令で「寺っぽいものアウト~!」といわれるまでは、ここに道真ママの廟(お墓)『伴氏廟』がデーンとありました。
現在はすぐ隣の東向観音寺に移設されています。
…そしてここから北野天満宮の最大の秘密(?)が。
怨霊道真は調伏しても念仏唱えても神として祀っても鎮まりませんでした。
最終手段として… 道真サンが絶対に頭が上がらない「ママ」をもってきたのではないか?というのが私のマンガ的推測です。
道真ママはその名も残らない無名の女性。 それが北野天満宮のトップにドーンと大きな廟(お墓)で登場するのです。これが鎮魂の目的でなくてなんでしょうか。
つまり当時の人々は怨霊道真を鎮めるため「お坊さんで勝てないならママならどうだ!」とママのお墓を持ってきた…と考えられるのです(なるほど!)
多治比文子に降りた天神の宣託は「私が昔よく遊んでいた北野に祀ってくれ」 でした。
しかし道真と北野の地にそこまで縁があったという史実は…どうも見当たらないようです。
では実際のところ、なぜ北野の地が選ばれたか?
元々北野には雷神や天神地祇が祀られており、道真が雷神と習合したので北野に祀られた…と、いわれています。しかし一見筋が通っているようでどうもそれだけでは根拠が弱いようにも思うのです。
これはネットで拾った情報でまだ裏取りはできていなのですが、北野は道真ママの実家、つまり伴氏の領地だったという情報があります。
もしそれが事実だとしたら道真は北野で生まれたということになります(当時の女性は実家で出産した)。
つまり当時の人々は「道真を生まれ故郷の北野にママ付きで祀った」というわけです。
どうでしょう。これ、最強の鎮魂法じゃないですか!
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