脇役の日記vol.3
ため息をつく。
仕事の始まりに、思っていたより進んでいない時間に、彼女の元彼と撮った写真に、彼女が元彼と折半で買ったニンテンドースイッチ空き箱に、薄毛が進行していく父親に、彼女の元彼の好きだったバンドTempalayにYogee New Wavesに、仕事の疲れに、高円寺を歩いているカップルに、上手く鳴らなかったコードに、東京に出て変わってしまったあの娘の髪色に、生活に、自分の凡庸さに、自分に、そして社会に。
ため息つくと幸せが逃げるよという言葉をよく聞く。自分の母親もよく言っていたし高校1年生の時後ろの席にいた女の子がよくため息をついたあと幸せが逃げないようにと大きく息を吸い込んでいた。
あの頃の俺はとてもその言葉が理不尽だと思っていた。ため息をつくから幸せじゃなくなるのではなく、幸せじゃないからため息をつくのだといつもそう思っていた。親に言われた時も、今が楽しいやつがため息つくわけないじゃん。こっちは嫌なことばっかりなのにため息すらつかせてくれないのかよ。とか何とか御託を並べていた。
愚痴もそうだ、愚痴を言うと不幸になるよとか言われていたが違う。不幸だから愚痴を言うのだろうと必ずそう言い返していた。そりゃあ上手く行ってる奴は愚痴なんか言わないよ。うまくいってるんだから。
ため息と愚痴は気軽に自分を不幸にできる。手軽まるで自分だけが恵まれていないかのように落とし込むことが出来る。わざわざ悲しい思いをしなくてもため息ひとつでいつでも嫌な気持ちになれる。不幸ぶることが出来る。と何となく最近は思っているのだがそれでもため息が止まらない。
だいたい幸せとはなんだ。俺の友達であり、同じくブログを書いている48テさんは、幸せはあとからふりかえって気がつくことだから今幸せと言っている奴は大して幸せじゃないんですよ。と言っていた。実は俺もそう思っていて、たまに誰かの惚気で幸せものです。とか見るたびに唾を吐く様な気持ちでいた。
ただ最近は幸せにも多様性があるという答えにたどり着いている。というのもめちゃくちゃ好きな音楽を聴いている時や、彼女と外出も出来ないからとりあえず家でご飯を作って食べている時、仕事が終わりタイムカードを押した時、夜中高円寺を徘徊していてこんな道あったんだ。となった時などに幸せという以外では例えられない感情になる時がある。またひとつ考えた。48テさんのいう幸せとこの幸せは何かが違うのでは無いか。
恐らく48テさんの言う幸せとは長期的なものであり、俺が感じている幸せは比較的短期的だったりその瞬間に感じる幸せなのではないか。
確かに自分のことを幸せ者だとは思ったことは無い。そういうことだろう。そういうことにしておこう。そういうことじゃなかったら、すいません。
この文を書いていて思うが48テとはどのようなネーミングセンスなんだろうか。この名前は俺が48テさんと新大久保で焼肉を食べながらペンネームを考えていた時に彼が急に言い出した名前だ。彼は狂っている。俺だったら絶対そんな体位をまとめて呼んだような名前はつけない。
彼は狂っているのだ。
しかし彼は時折道に迷っている俺を導いてくれる時がある。前職で悩んでいた時、途方もないコンプレックスに悩んでいた時、その他諸々。まあその辺はそのうち話す機会があったら話そうと思う。とりあえず狂っているけど正しいことも言う。そんな感じの人だ。
何の話だかわからなくなってまとまらなくなってしまった。こんなことばっかりで嫌になってしまう。また憂鬱になりそうなのでまた俺の好きな曲の歌詞を書いて終わりにしよう。
気づかないまま子供であれ
忘れたように子供であれ
君は僕の東京だったし
君は僕のだいたいだったよ
(きみは、ぼくの東京だった グッナイ小形)