「ただいま」を言えなかったから
帰る場所は、いつだって記憶の中にしかなかった。
実家を出てから初めての帰省。慣れ親しんだはずの実家のドアを開けたとき、心の中にあったのは「ただいま」ではなく「おじゃまします」だった。僕はもうそこを自分の家だとは思えなくなっていた。
寂しさもあった。裏切ったような後ろめたさもあった。しかし同時に不思議な解放感もあった。ようやく自由になれたという解放感。家とそこに紐づく家族という場は、あの頃の僕にとって確かに呪縛だった。その呪いは解けつつあるが、まだ終わりは見えない。
実家を出てから、思えば僕はずっと帰る場所を探していた。東京での暮らし。いや、「暮らし」と呼ぶにはあまりに無機質な時間の堆積。
表札のない家。匿名の誰かとしての自己。住む部屋を使い捨てるように引っ越す日々。根無し草。
「今ここ」に帰る場所を見出だせない僕は、自ずとそれを過去に求めた。自分を取り巻く小さな世界が壊れて変わってしまう、その手前の日常。今はもう取り壊されてなくなってしまった生家の記憶。それが僕の「帰りたい場所」だった。場所も人もその心も壊れてしまう前の、「ただいま」と言えていた頃の記憶。
その情景は繰り返し夢にあらわれた。そして治療のなかでも幾度となく話題にのぼった。幸せな記憶のはずなのに、それは悪夢だった。帰りたい場所に帰れないことを、目が覚めるたびに思い知らされるのだから。
そういう日々をなんとか泳ぎきった先の今。ようやく「ただいま」と言える家と場ができた。あらかじめ一員として組み込まれた家族ではなく、いちから新しく作った家族。
現実がそうやって組み変わったからか、生家の夢を見ることはなくなった。「あの日に帰りたかった自分」は、「今ここ」の家族によって、ようやく救われたのかもしれない。やっと家に帰れたのかもしれない。
そういう痛みや傷、気持ちの色々を持ち寄ることで、新しい場所を作れることを知った。心を分かち合うことで生まれるものが、どれだけ助けになるかをこの身で知った。
生きようとすればするほど、この世界には強い雨が降るようにできているらしい。だからこそ、いっときでも雨をしのげる場所が要る。そういうものをつくりたいし、守りたい。雨を止ませることはできなくても、傘を差し出すことはできる。
「ただいま」を言えなかった僕は、長い時間をかけてようやく「帰る」ことができるようになった。不慣れで気恥ずかしいけど、今は確かに「ただいま」を言える。
そういう僕だからこそ、今度は誰かに「おかえり」と言いたい。
そこに門限はない。帰ってこなければいけない決まりもない。あるのはただ、「いつでもおかえり」という言葉だけだ。