帰る場所をつくる、という誓い
なにかドラマチックな出来事があったわけではない、どちらかといえば平凡で粛々と運んだ結婚式。それでも、ふたつの家族の歩んできた道の交差点として、今でもそのときの気持ちはしっかりと思い出せる。
僕と妻の結婚式は、軽井沢の石の教会で挙げた。もともと学生時代に二人で観光したときに雰囲気が気に入ったのと、石の教会をつくった内村鑑三の掲げる「無教会主義」という思想に共感したこともあって、ここにした。
無教会主義は教会という場のあり方についての考え方で、曰く、たとえ建物がなくとも、教会の集会に参加できなくとも、信仰心を持って人が集えばそこはどこでも教会たりうる、というものだ。
この思想は家庭環境が良くなくて、自分の家を「居場所・帰る場所」と思えなかった僕の家族観と合っていた。どんな場所にあっても、そこに家族がいれば帰る場所なんだ、と。
僕は結婚式に父親を呼ばなかった。否、呼べなかったといったほうが正しい。被虐待体験を持っているから、その原因となった父が式にいることがどうしようもなく嫌だったのだ。
方や妻は父親を高校時代に亡くしている。だから「来た」のは、写真としてのお義父さん。そしてお義母さんと妻の弟。僕の家からは母と僕の弟が来た。そして立会人のようなポジションで、僕と妻の共通の友人が一人。全部で6+1人の小さな結婚式だった。
それは、傷を抱えたふたつの家族がひとつに交わった式だった。
石の教会のヴァージンロードは少し変わっている。
真っすぐ歩いてくるのではなく、入り口から壁沿いを回り込むように回廊があり、そこを通って祭壇に向かう。教会の人に聞いた話では、そのルートは新婦の成長の軌跡を表しているのだという。
彼女が回廊をゆっくり進むのを見ながら、いろいろなことを思い出した。ふたりで中野の商店街を歩いたこと、井の頭公園によく行ったこと、自分の家族のことを話した時のこと、死にそうな時に家に何日も泊めてもらったこと。
結婚までの付き合いが長かったせいか、劇的な気持ちの変化はなかった。じんわりじんわりと「ああ、夫婦になったんだな」という実感があとからやってきた。
人が集えばそこが教会。家族がいればそこが帰る場所。
あれから5年が経ち、今では3歳の子どももいる。
僕は帰る場所になれているだろうか。
僕は帰りたい場所になれているだろうか。
そんなことをふと思った。
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