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あの子にも空は青く見えていた

数年前、犬の色覚についてのTV番組か記事を目にした。
僕はそれまで犬には色覚が乏しく、彼らにとって世界とはただグレーの風景に見えるものだと思っていた。

けれどそれを見て、犬にはある程度の色が知覚できているらしいことを知った。たとえば空の青。

もう何年も前の話になるが、小学校の頃から実家で買っていたボルゾイを亡くした。ちょうど全く別の理由から心療内科に通いだした頃のことだ。

うちのボルゾイは、彼女は、12歳でこの世を去った。超大型犬としては大往生といえるのだろう。けれど当時の僕にはその事実は到底受け入れがたいことだった。そりゃそうだ。小さい頃からずっと一緒だったんだから。

僕は当時すでに上京していたために、死に目にも会えず、家に帰ったら犬は影も形もなくなっていた。最後にあったときには「今度散歩に連れてってやるからな」と、そう言って別れたのに。


ペットに関する有名な詩がある。
要約すると、亡くなった犬たちは天界の庭、虹の橋のたもとで苦しみなく安寧に過ごす、とういものだ。

しかしこの詩は僕を癒やしてはくれなかった。
人にしろ犬にしろ、葬儀などの形で実際に亡骸に対面することで死を受け入れる準備がはじまる。僕はその機会を永久に喪失してしまったのだ。


やや話が脱線するが、僕は空の青がとても好きだ。空が青いのは空気があり、水があり、光があるから。つまりこの星の生命が生きている証だと思うからだ。

同時に空はこの星の生命すべてから絶えず観測され続ける普遍的な存在ともいえる。

そんな空と、その青が好きだ。

話は冒頭に戻る。
犬の知覚は人間ほど精密ではないせよ、「青に近い、青らしき色」を認識できることを知った。

僕はどうしてか、それでとても救われた気がした。
ああ、あの子が見ていたのはグレーアウトした無機質な世界ではなく、青い空のある世界だったのだと。

どうしてそれを救いと出来たかは、うまく言葉にできない。
脈略のない気付きのようなものだったのかもしれない。

どうあれ僕は、大切な家族だった犬が、別れを告げられなかった犬が、せめて空が青く見えていた事実がとても嬉しかったのだ。

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