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食べ物を粗末にしてはいけません

 というのは昔から言われてきたことで、私は白飯はいつも一粒残さず食べるし、料理を残すこともほとんどない。買った食材も賞味・消費期限を守って捨てることはなく使う。

 しかし食べものに関して、私がそれを気をつけなかったとしても、無駄にする食材の分は微々たるもので、気を付けることに何か意味を見出せなくなることがある。

 パーティ会場でアルバイトをした時、美味しそうな食事がたくさん並ぶが、皆はお酒を片手に談笑し、料理に手を付ける人はほとんどいない。それらは仕事が終わった後に我々で食べるが、あまりに量が多いので食べ切れるはずもなく廃棄。

 今は小型スーパーでバイトをしている。深夜帯のシフトなのでその日消費・賞味期限の弁当や惣菜、冷蔵商品、パンなどを大量に廃棄する。最初はもったいないと思い、少しくらい持って帰りたいと思ったが、持ち帰ると窃盗となり犯罪になると店長から口酸っぱく言われたのでやらなかった。過去にそのようなことをした従業員がいるらしい。

 そもそも、スーパーは廃棄ゼロを目指しているものの、その逆説として「廃棄する前提」の商品を仕入れているのだそうだ。売れるであろう分だけ入荷するわけにはいかない事情があるとのこと。
 調べたところロス率(廃棄率)という言葉があるらしく、小売業の場合、仕入れた量のうち10%が廃棄になるようにしているとのこと。それは今後の仕入れ量を考えるのに必要らしく、10%を下回ったら「チャンスロス」というものでその商品が予想よりも売れていることがわかり、逆に上回ると売れていないことになり、売値、仕入れ量、内容などを考え直す必要があるとのこと。
 商品の質や売り上げ向上のためには止むを得ないことなのだろうが、仕入れするうちの1割は廃棄前提であることを知って、食べ物を粗末にしないとはどういうことなのだろうということを改めて考えさせられる。

 食べ物を粗末にしないとはどういうことだろうか? 私は単に捨てる量を減らしていくことだと思っていた。
 だがこの考えを突き詰めていくと、私は食べたものだって、うんこになって下水道に流している。食べ物を廃棄したところで、うんこと調理済み食材は、形が違うだけの捨てられる存在であることに変わらないのではないか。

 ここで、この広告を参照されたい。

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 以前SNSでバズった焼き鳥屋さんの広告だが、比内地鶏が食材として運ばれる一部始終をこのようにして表現した。これを見て私は切なくなり、大切に食べようと思える。

 鶏自身がどう思っているかはわからないが、少なくとも人間から見たら、この鶏は人間の食材となるために生まれてきたのだ。その目的をきちんと消費者が果たすことが「食べ物を粗末にしない」ということなのかもしれない。
 生産者が望んだ形で食材や料理が扱われていき、望まない形で扱われてしまうと「粗末にしている」ということになるのかもしれない。

 廃棄はどうだろうか? 食べられるために作られた惣菜と、廃棄されるためだけに作られた惣菜があるならば、後者の存在はあってはならないはずだ。しかし、廃棄されることで、「次の仕入れのデータになる」という点ではしっかり役目を果たされていて、決して粗末にされているわけではないのかもしれない。ただ、生産者が丹精込めて作った食材を、廃棄するために使われていることを知ってはどう思うだろうか? それが生産者の目的だっただろうか? お金がもらえれば、食材に対する愛情などは不要なものなのだろうか。それとも廃棄されることを知らずにいるのだろうか。生産している中にも廃棄されるものがあるとわかっていながらも愛情を注ぐことをしているのだろうか?

 まぁ、そこまで考えている生産者はあまりいないだろうし、自分の生産しているもの全てが廃棄されているということでもない限り、これは余計な詮索になるのだろう。

 茶碗にご飯粒が残っていることを、お米農家はどう思うか?
 料理を残したことを、料理人はどう思うか?
 せっかく買った食材が、賞味・消費期限切れで捨ててしまったら、その生産者はどう思うか?

 きっと食べ物の扱う形ではなく、気持ちの問題なんだろうなぁ。
 こうして一つ私は大人になっていくのだ。なんだか寂寥な気分。

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