エンゲージメント調査の功罪と改善の盲点
ブルシット・ジョブがどのようにして生まれるのか、その仕組みを垣間見た気がした。
最近、会社でエンゲージメント調査が実施された。昨年度の調査結果からエンゲージメントが低かった項目について、今年度は改善されたとの結果報告があり、次年度は各部署の「強み」をさらに強化するよう指示があった。これに基づき、部署の強みが何であるかをヒアリングする場が設けられた。
エンゲージメント調査は、社員の仕事への意欲や満足度を評価するもので、社員の働きがい向上や組織改善を図るためのツール。特に項目別の満足度やモチベーションの状況が集計され、その結果をもとに会社全体や各部署の改善ポイントを特定する役割をもつ。
ヒアリングの経緯を聞きながら、ふと疑問が湧いた。
強みの強化を進めた先には、今度は別の項目が「弱み」として浮き彫りにされ、それを改善するよう求められるのではないかと。そうなると、結局は次から次へと改善項目が増えていき、同じ場所を堂々巡りしてしまうのではないかと不安になった。
さらに疑問は続く。そもそも昨年度は低かったエンゲージメント項目が今年度は「改善された」といっても、それは昨年度の調査と比較してパーセンテージが少し上昇しただけである。
共有された結果からは、統計的に有意な差が本当にあったのかはわからず、単なる誤差の範囲かもしれない。それにもかかわらず、さも大きな改善があったかのように捉えられ、強みの強化という方針が打ち出されることに違和感を覚えた。
こうしたエンゲージメント調査結果に対する改善活動が、意図的に堂々巡りになるよう仕組まれているのか、あるいは単に無意識で行われているのかは不明だが、もし前者であれば悪質と言えるし、後者であればその計画性に幻滅を覚える。
この取り組みが、目的もわからないまま形式的に続けられることで、いずれブルシット・ジョブ化してしまうのではないかという懸念が頭をよぎった。
ブルシット・ジョブは、社会的に見てほとんど意味がなく、やりがいや達成感も感じられない仕事を指す。つまり、存在意義が不明確で、ただ惰性で続けられている業務のこと。こうした仕事は、従業員の士気を低下させ、組織全体の生産性を下げる原因にもなる。
エンゲージメント調査やその後の「改善活動」も、調査結果を正しく分析されている前提であれば対応策も妥当になりうる。しかし、その前提がすっ飛ばされた対応策ならば、実感がわかないまま当初の目的や効果が曖昧になっていき、最終的に意味のない仕事の一環になりかねない。
これまで効率化や生産性の向上が声高に叫ばれてきたにもかかわらず、実際にはこのような意味のあるかどうかもわからない取り組みが増え続け、むしろ本来の業務の効率化を妨げているように感じる。こうしたエンゲージメント調査や改善活動が、本当に従業員のためになっているのか、少し考え込んでしまった。
こういうことに目が付くようになったのは、自分自身の性格から来る懐疑心なのか、それとも会社に対する不信感の現れなのか、上司の話を聞きながら、ぼんやり思っていた。