会話のノイズを減らす一呼吸の実践
「一呼吸おいてよく考え、慌てて適当な発言をしない」という自分の中の信条について、具体的な例や考え方を踏まえて掘り下げてみる。
この信条を意識するようになった背景には、会話の中で自分が無意識に「間を埋めるためだけの発言」をしてしまうことに気付いたから。会話が途切れると、ついその場を保つために当たり障りのない言葉を挟んでしまう。
そうした発言は結果的に内容に深みを与えず、むしろ相手の話の流れを邪魔してしまうこともある。こうしたことを繰り返しているうちに「空気を読んで当たり障りのない発言をするくらいなら、むしろ黙っている」方が良いと考えるようになった。
発言する前に一呼吸おいて考えるために、発言の意図や背景、相手にどう受け取られるかをできる限り想像し、批判される可能性も踏まえた上で言葉を選ぶ。また、自分の言葉に無意識に培われた偏見(アンコンシャスバイアス?)が含まれていないかにも注意を払う。
職場のミーティングで意見を述べる際には、普段とは異なる視点や相手の立場になって考えることを心掛ける。異なる視点を考慮することで、自分自身がその意見に固執しすぎていないか、周りの人々の意見を公平に聞いているかを確認することができる。
最近、職場で他のスタッフが上司から指示を受けている際、それを遮るように「自分はこのことについて分かっている」という意図の発言をしているのを聞いて、そのアピールって今必要なのか?と疑問を持つことがあった。
同時に、友人との雑談などで自分も「ただ自分が分かっていることを示すためだけの発言」をしているかもしれないと思い返した。こうした無駄なアピールを控えるだけで、ノイズが会話から取り除かれ、話の流れはスムーズに進み、全体のやり取りがより自然でシンプルになるのではないかと感じた。
また、会話中に他の人が話を進めている際に、話の流れを止めてまで自分の意見を挟む必要があるか、冷静に観察している。
例えば会議の場面で、自分の意見が本当に重要なタイミングであるかを見極め、「自分のターン」を待つこともコミュニケーションの一部だと感じている。コミュニケーション能力という言葉自体は少し抵抗があるものの、こうした「待つ姿勢」が会話を円滑に進めるために不可欠だと考えるようになった。
この姿勢を保つためには、相手の話に集中する努力も欠かせない。よくありがちなことだが、相手の話を聞かずに自分の言いたいことばかりが頭の中を占めてしまい、相手の話が終わるのをただ待つという「自分のターン待ち」の態度になってしまうことがある。
こうした態度は、本来のコミュニケーションの意味を失ってしまうと感じる。コミュニケーションは単に自分の言いたいことを伝えるためのものではなく、相手と一緒に共感や理解を深め、意見の違いを確認しながら、互いに認識を合わせる場だと思うから。
そのため、相手の話に耳を傾け、その中から共感できる点や、逆に自分と違う見方を発見することを大切にする。友人があるテーマについて話しているときに、まずは相手の意見を整理しながら聞き、自分の考えを明確にするための時間を持つように心掛ける。そうすることで、相手の視点を尊重しつつ、必要であれば自分の意見を述べる準備ができる。これにより、会話の質が向上し、互いにとって有意義なやり取りを生み出すことにつながる。
「一呼吸おいてよく考える」ことは、発言の内容やタイミングを慎重に判断するための時間を確保するだけでなく、自分自身にとっても冷静さを保つための重要な手段となっている。
このことを実践することで、会話のテンポなどは二の次で、コミュニケーションがよりシンプルで円滑になり、関係性においても互いの理解が深まると信じ、日々試行錯誤している。一方で、こういう慎重な姿勢が生きづらさの正体だったりするのかなと考えたりもするが、それも含めて自分なりのコミュニケーションを大切にしていきたい。