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今日は一日とあることの勉強。
なにかを取得するときというのはだいたい同じような段階をたどることがそろそろ分かってきたので、たとえ初期にぐんと伸びてもそのあとに停滞がきても、大きく浮かれたり沈んだりもしなくなった。しないでいいと思えるようになった。
でもそれでも急激にその世界に対して目が開かれ、感覚の深度がすすむと、わたしはもしかしたらこのことが性に合っているのかもしれないなどと調子に乗ったりもする。
自分を調子付けていたほうが良いパフォーマンスを発揮できるタイプなので、まあそれでいいのだけれど。
でも今日は、自分が踏み込んだのがまだまだ入り口付近にすぎず、まったく「習いたて」のような素直さしかもっていないことをしみじみ思い知らされた。
ちょっとかじった程度で浮かれている場合ではない。
背中をばしんと叩かれ、目が醒めた。
意識してなかったけれど疲れていたみたいで、帰ってきてちょっと横になるつもりが長い夕寝をしてしまった。
寝入りはちょうど夕陽が落ちてゆく頃で、どこの国の、何時の光なのかわからなくなるようなあかがね色の光が西の窓から流れ込んで部屋を満たした。
暮れて、染まってゆく空と、落ちてゆく太陽をまいにち見られるなんて贅沢だ。
暮れてゆく空の色は毎日違う。
海が毎日見られる場所に住んでいるひとは、海の存在にことさら胸を動かされたりしなくなってゆくんだろうかと子どもの頃に考えたものだけれど、空も海もおなじであることなどなく、色と色のそのあいだ、音と音のそのあいだに、かぎりなく広がってゆくものがあるのだと知るばかりだ。
目が覚めたらべっこう飴みたいな光はひとにぎりも残っていなくて、部屋は蒼い墨みたいに静かだった。
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