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『コップの中の』
コーラを飲み干して、自室を見回す。
「行ってきます」
他に人もいないのに、小さく声をかけて出かけるのは、特別な仕事の日のルーティンだ。
宇宙の片隅で生命を繋ぐ時代。スペースコロニー「オアシス」は人々の故郷だ。
メトロライナーで居住区を抜け、研究施設の集まるエリアへチェックインする。
ここの、エネルギー開発ラボが私の職場。
私はユリ。オアシスの人々の生活を支えるエネルギーを、研究・開発している部署の技術者だ。
ドックで発進準備中の作業艇に乗り込む。
「おはよう、トモ」
振り返ったアシストロイドのTOMO(トモ)は、ご機嫌な笑顔を見せた。
「おはよ~ちゃ〜ん! ユリちゃん今日もカワうぃ~ね~♪」
……朝からこのテンションか。
頭を抱えそうな私に構わず、イェーイ♪ と寄って来たトモは、ハイタッチ、ロータッチ、変な角度からの握手を経て、手をヒラヒラ~とさせながら離れて行った。
「まだそのモードが続いてんの?」
「お気に~って、こゆこと言うんだね~。バイブスぴったしマッチングぅ~」
歌うように言いながら、嬉々として作業に戻る。
研究一筋で育ってきた私には、友達が少なかった。
周りも私と似たような、科学オタクと研究の変態ばかりで、面白いと言えば面白いが、コミュニケーションに長けたタイプとは言い難かった。
自分専用のアシストロイドをもらえる身になった時、AIを友達のような存在に育てたいと考え、私は彼をTOMOと名付けた。
オプションで特性も持たせた。
仕事以外で自分が興味を惹かれるのが歴史ものだから、トモもそうだと話が合って楽しいな。
自分は流行に疎いから、トモがそういう事に敏感だと、色々教われて刺激になるかも。
その組み合わせのセンスが悪かったのか。
はたまた、育つ過程で受けたノイズがそうさせたのか。
トモは、歴史を学び、時代時代の流行にハマりまくる、おかしなアシストロイドに育ってしまった。
今は地球歴21世紀初頭の、若者の流行がお気に入りらしい。
数週間前まで、トモのボディパーツは女の子だった。
ガングロで茶髪に白メッシュ。ルーズソックスを好んで履いていた。
アモラーとか言うらしい。
それが突然、チャラ男とか言う文化に強烈なシンパシーを感じたらしく、ボディパーツを男にチェンジして、こんな調子で過ごしている。
「髪色変えた?」
「イイっしょ~? 金髪からピンクへのグラデーちゃん」
「綺麗ね」
行ってから、ああ……と溜息をつく。
綺麗ね……とか。すでに私も、このキャラに染められてるじゃん。
「出発だよユリちゃ~ん」
トモの声かけに頷いて、私は作業艇のコクピットに着いた。
限られた空間と資源の中で生きる我々に、リサイクル技術は必須だ。それでも、再利用の手立てが見つからず、廃棄するしかない物もあった。
宇宙空間に撒かれていく廃棄物は、オアシスの周りを星屑のように漂う。それを悔しい思いで見つめながら、諦めず研究に研究を重ねた。
長きに渡る研究員たちの努力が実り、ようやく全ての廃棄物を資源化する事に成功した。
撒かれた廃棄物を回収するため、オアシスにアームが付けられた。
まだ稼動し始めたばかりのシステムの調整のため、私は定期的に宇宙空間に出る任務を受けたのだ。
生み出された努力の結晶である新エネルギー、「リサイクロム」で動く作業艇に乗って。
と言っても。
リサイクロムで動く作業艇は、無人でのテストには成功しているが、有人飛行はこれが初めて。
「発進します」
緊張気味の声で、管制塔に告げた。
「ユリちゃん、おめざ~?」
トモの呼ぶ声で、意識が戻る。
コクピットのシートが、保護カプセルに変型し、私はその中で横たわっていた。
何事? 状況が掴めない。
手元のボタンを操作して、保護カプセルを座席の形へ戻す。
「事故ったっぽいね~」
コクピットのパネルを操作しながら、トモが言った。
「俺もデータ破損してるっぽくて~、水面下で復元作業中~。アシストロイドだけど、ちょっとした記憶喪失、的な? 取り敢えずぅ、座標検索してるぜ~」
場違いな程のんきな声色だけど、私が知りたい事は、質問する前に彼の方からどんどん喋ってくれる。
約20時間前あたりのデータが破損しているとの事。それから今の今まで、私はカプセルに守られて眠り続けていたらしい。
頭痛のような疼きを指で押さえながら、私はモニターに広がる暗い世界を見つめる。
遠くに煌めく光は無数にあれど、見知らぬ宇宙だった。
「どこまで飛ばされたんだろう……」
「座標、出た」
「どこ?」
食い気味に問う。トモは無表情で、ふむ……と唸った。
「飛ばされてない。ここ。オアシスの座標」
嘘だ。やめて、そんなの。
オアシスは? 消えて無くなったの?
考える暇も与えてもらえなかった。
突然、目の前に白い壁が立ち塞がったのだ。
つるりとした、あきらかに人工物。
「緩くカーブしてるね〜。円柱状と思われマッスル」
手元を操作しながらトモが言う。
「柱? デカすぎない? 何の建造物よ」
もう泣きそうになりながら突っ込む。
柱には、無数の透明の物質が張り付いている。
「ガス状の、気泡のような物質だね~」
早速、分析してくれた。
艇内に警報が鳴り響く。
「6時の方向から、ガス状の物質が無数に接近ちう! ユリちゃん掴まって!」
トモが言い終わるか終わらないかのタイミングで、作業艇が大きく揺れた。
嵐に揉まれるようにガス体が舞う。
作業艇はそれらにぶつかり、流され、やがて呑み込まれた。
巨大な気泡の中に取り込まれたまま、どんどん運ばれて行く。
暗い世界に、恐ろしい速さで大きな光が近づいて来る。いや、こちらが向かっているのか。
余程大きな恒星があるのか、それに引き寄せられるように運ばれる。
まるで宇宙の果ての果て、端っこに辿り着いたかのように、暗い世界と光の世界の境界線上に居た。
嵐に流されていた気泡は唐突に失速し、衝撃に耐えかねて破裂した。
耳をつんざく爆音と共に、作業艇は光の世界へ放り出された。
「おかしい。座標変わらないよ! こんなに流されたのに」
トモの声が叫んでいる。
Gに耐えながら目を見開き、モニターを凝視する。
研究者の好奇心が、私の意識を支えていた。
本当に、光の世界と暗い世界の境い目があった。
おびただしい数の気泡が、作業艇を包んだ物と同じように次々と破裂を起こしている。
爆風に放り出されて、距離が離れる程に視野が広がって、その境い目はまるで水面のように見えた。ボコボコと気泡が押し出される様は、地獄の煮え湯を思わせる。
あの白い円柱が、両方の世界を突っ切って伸びていた。
トモが作業艇の制御を取り戻し、揺れを安定させた。
強いGから解放されて、ゆっくりと上昇する。
距離を取って、更に大きく視野が広がる。
暗い世界は見知らぬ宇宙だったが、光の世界には見覚えがあった。
巨人が居た。
彼女は、ストローでコップの中のコーラを飲み干した。
「コップの中の宇宙……」
「俺たち、あそこから来た訳ね~」
「だから座標がオアシスなのよ」
私は確信した。
「ここ、私の部屋だもん」
「デカいユリちゃんも、カワうぃ~ね~♪」
トモは、両手の親指と人差し指でフレームを作って、巨人を眺めている。
「行ってきます」
巨人が、そっと言って、部屋を出て行った。
「あれは、昨日の私だ……」
「タイムスリップ&サイズ縮小って。やんごとなくない~?」
リサイクロムの暴走が、時間軸とボディサイズを狂わせたという事なのだろう。
小さくなった私たちは、昨日の私のコーラの中にタイムスリップした。
さて、これからどうする?
まずはラボの仲間たちにコンタクトを取らねばよ。
このミクロちゃんを何とかしなければ。
「ねぇスゴくない~?」
トモが楽しそうに言った。
「リサイクロム、動力用のエネルギーとしてはまだ難ありだけど~、まさかの人口問題解決だよね~」
言わんとしてる事はわかるが、でもミクロちゃんのままは嫌。
「みんなこのサイズになっちゃえば、居住区、一部屋1センチ角でも豪邸じゃーん。カワうぃ~♪」
やめて。ミクロちゃんは嫌だってば。
「みんなちいちゃくなっちゃえば、これで標準サイズだかんね~♪」
あ、そうね。
じゃなくて!
「取り敢えず、ラボへ移動ね。仲間たちに気づいてもらわねば始まらないわ」
「ラジャ! デカいユリちゃんに追い付いて〜、ポッケに入れてもらっちゃいましょ〜」
相棒トモは陽気に言って、作業艇の舵を切った。
こんな状況だけど、このキャラに救われる思いがしていた。
オプションでトモに持たせた特性。センス悪かったかと思ってたけど……。
「あんた最高」
思わず笑ってしまう。
「知ってる〜♪」
とびきりのウインクが返ってきた。
END