しゃっくりの話
子どものころマジに半日以上しゃっくりが止まらなくなった日があって、あれは7、8さいのときだったと思うけど、怖かった。
その日は親戚の何か大きい集まりで誰かの家にいてみんなでちょっとゴーカな仕出し料理を食べていた。家族でそこに向かう道中からしゃっくり出始めてて、もともとしゃっくりよく出る子だったけどこの日のはトクベツしぶとく、息を止めても変な水の飲み方してもちっとも止まんなくて、食事しづらいし、親戚の子もいるのに恥ずかしいわで。わたしは恥ずかしいのに大人たちときたらニヤニヤしてるし。今ならわかるけど。子どもがしゃっくりしてるのって何かかわいいもん。
で、止まらないよーって父か母に訴えに行ったらやっぱりニヤニヤしながら「しゃっくり1000回したら死ぬって言い伝えがあるよねえ」なんて要らんこと教えてきて。え。ってなって。
さすがに1000回はいかないでしょって最初はそんなに怖くなかった。でも2時間しても止まんなくて、100回はゆうに超えてるなって思ったら怖くなってきた。1000、あるなって。
さすがに、酒も入ってた父だか母だかが面白半分で言ったことを丸ごと本気で信じていたわけじゃない、小さかったとはいえ。そこまでピュアじゃない。
でも、親戚の集まりはますます盛り上がり、誰かの言ったことで笑いがドッと沸き、子どもたちはトランプやゲームボーイでワイワイやってて、そんな場でわたしだけがうっすらと怯えてた。1000回目のしゃっくりに。
あれ?死ぬときってもしかしてこんな感じですごくひとり?と喧騒の中で思ったんだった。
結局その夜家に帰って眠るときにもまだしゃっくりは出ていて、次の日起きたら止まってた。当たり前だけど生きてた。でも寝ている間に1000回目のしゃっくりをして本当のアカリは死んだような気もした。前の晩にたったひとりで触れた死の概念の重厚さがしばらくわたしを離さなかったのだ。
ちなみに、「しゃっくり1000回で死ぬ言い伝え」は有名だったのか気になって検索したらすぐヒットした。ただし一般的なものは「100回で死ぬ」だった。100回なら毎回出ていた。チョロすぎる。いくらなんでも死のハードル低すぎないか。
最初から100回と言われていたら一笑に付していただろうか。「1000回」はわたしにとってちょうどいいリアリティある数字で、それが父か母のアレンジだったとしたら恐ろしいセンスだ。
結局何回までいったのかはわからずじまいだが、時間にして12時間以上。さすがにあれほど長時間続いたしゃっくりは後にも先にもない。