“平安らしさ”ができる前。
兼業作家ですから、ただいま業界新聞記者業と作家業とを両立しているわけですが、これがまあなかなかに忙しいもので。
どちらもルーティンワークでできる仕事ではありませんし、波の変化が大きな仕事でもあります。いきなり高潮をかぶることもあったりして、油断できない状況がつづいています。
そんななかですが、2024年大河ドラマの制作発表が発表されました。
毎度、つぎの大河は「何時代の」「誰だ?」が話題になりますが、これさすがに想像しなかったですね。
平安時代。紫式部。
何に驚いたって、自分の長編三冊目『あるじなしとて』がやはり平安時代、貴族社会を題材とした作品だったからです。
なんともタイムリー、嬉しい偶然ですね。
平安時代というと、皆さん何を想像するでしょう。
十二単の女房たちや束帯の貴族たちと、和歌や日記の雅で煌びやかな王朝文化。あるいはあやかしや怨霊が跋扈する妖しくも美しい伝奇的世界。
いくつか典型があるかと思いますが、そういったイメージ通りの平安時代が現出するのは、10世紀以降の平安中期となります。そのひとつ絶頂が、大河ドラマで描かれるであろう藤原道長の時代ですね。
でも、ちょっと考えてみてください。そんな煌びやかな貴族社会、王朝文化を支えるには、莫大な財力が必要です。それはどこから賄われたのでしょう。
歴史の授業では、「荘園」と習いますね。それもひとつ。
一方で、荘園は最盛期であっても、全国の土地の半分にようやく届くかどうかという規模に留まります。ほとんどの土地は国のものである「公領」なんです。
つまり、公的な社会システムによる経済がしっかり回っており、国全体が豊かになったからこそ、王朝文化が花開くことができたわけです。
しかし、道長時代から100年前。9~10世紀の朝廷は、財政破綻の危機にありました。地方の令制国の財源は尽き、中央政府の税収も極端に落ち込んでいました。
また、このころの日本は平安時代といえども、奈良末期から平安初期の気風をついで、まだまだ中国風の文化が色濃く残ってもいました。国風の文化を、という機運は高まりつつありましたが、まだ十分でない。
この過渡期を、菅原道真を題材に描いてみよう、というのが次に出版する『あるじなしとて』を執筆するきっかけなのですが……。
というあたりで、今回はここまで。