邪馬台国
畿内説と九州説
日本の歴史に邪馬台国の名はあるがその実態はあまり知られていない。
「まぼろしの邪馬台国」で知られる著者・宮崎康平氏のエピソードにも驚かされますが、この著書の影響で日本に「卑弥呼」の存在が再燃しました。
邪馬台国は畿内説の方が強いですが私もそう思います。
日本の歴史の記録は大化の改新から記録されています。
それ以前は文字がなく口頭で伝授されたと言います。
中でも「古事記」を口伝した稗田阿礼の記憶力は天武天皇に信頼され、太安万侶がこれを筆録したと言われています。
が、そうでしょうか?
平仮名は平安時代に作られたと言いますが、私は邪馬台国時代にはすでに存在していたと思います。
つまり、邪馬台国は中国の魏・呉・蜀と呼ばれた三国時代かあるいはそれ以前の夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢の国に滅ぼされたのではないかと考えられます。
そうでなければ仏教の経典である梵語を中国語に翻訳された文字を日本語としてその文字を使うとは考えにくいからです。
歴史は常に強者の記録です。
資本家の作る日本より国民が作る日本を歴史上に残したいものです。
➖野草庵➖