悩みと煩悩
♠️ 生き辛さとは?
悩みと煩悩が明らかに違うところは「意識」です。
認識できているものが「悩み」であって、
認識できていないものが「煩悩」です。
大晦日で除夜の鐘を百八つ撞きます。これは煩悩の数だと言われています。
が、実際にはもっと多いらしく「八万四千の煩悩」と言ったりするようです。
私もいまだにその「煩悩」がわからずにいます。
それもその筈です。認識できていないのですから。
だから、「悩みがある」ということは幸福なことなんです。
何故って?認識できているからです。
認識できるってことは解決できるということです。
が、不朽の名作「若きウェルテルの悩み」著者・ゲーテの三角関係恋愛問題は
一人の死によって終幕します。今で言うストーカー絡みもあります。
時代背景もあるのでしょうが、難しい問題だと言えるでしょう。
しかし、ここでは「悩み」としていますが事の奥に潜んでいるのが煩悩です。
残念ながら、ゲーテはこの煩悩には気が付いていなかったようです。
仏教では大まかに六分野を根本としています。
貪・瞋・痴・慢・疑・見
ですね。
これは仏教を学ばなければ決してわからない世界だと思います。
色々偉大なる心理学者も出現して新しい発見もありますが、
彼ら科学者は研究に打ち込むことによって、その「悩み」を解消しています。
解決ではなく、解消しているのです。
仏教はひたすら解決することを試みます。しかし、解決は自分自身であって、
同じ悩みにあっても他者とは同じように解決できません。
何故ならば、「因縁」が違うからです。
でも、「お悩み相談」することによって解消はできると思います。
自力本願
他力本願
違いはここだけです。しかし、最初の一歩は他力本願です。
宗教の怖さは、この他力本願から始まることです。
一度入ったら容易に抜け出せないのがこの世界です。
「恩を売り」「恩を買う」からです。
優れた教祖は決して「恩」を売りません。
「報恩」は自らの意思で行わなければなりません。
現代は精神疾患の方が増加傾向にあります。
また、自らを精神疾患と自覚されていない方も存在します。
こう言う私もどこか精神疾患のところがあるのかもしれません。
否、人は多かれ少なかれ精神疾患者なのかもしれません。
ローマの詩人ユウェナリスの『風刺詩集』は
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
と謳いましたが、
私は
「健全なる身体は健全なる精神に宿る」
と考えます。
スポーツ選手は頑健な身体を保持していますが、怪我をします。
病気もします。時には選手生命の危機に晒されます。
私もこの記事に出会わなかったら「悩み」と「煩悩」に気づかなかったかもしれません。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊