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時にして、人は自分が必要なものを見る

秋田探訪の続きです。

不思議なことがあった大湯の環状列石のお話で終わっていました。
写真は今回、宿泊させていただいた鹿角のYUZAWAさんの朝食です。
完全ビーガンで、一つ一つ手間暇かけた、味が込められた朝食。


味噌汁の美味しかったこと!!!

食事って大事だと改めて。


さて、前回お伝えした「不思議なこと」の細かな詳細はここには、なかなか書きようがないのですが、それでも、大まかに。

環状列石を後にしようとした頃、
一本電話が。

本来であれば、合流をして一緒に案内をしてくださるはずの方が
事情で合流できず、
その方から、是非に行ってもらいたい場所がある、とのお電話。
大湯環状列石のある祠に、足を運んでもらいたいとのこと。
了解しましたと、静かに移動する私たち。

見るからに古いオヤシロ。
地元の方に守られてきたことが伝わります。

一つ目の鳥居を抜けた先にいる3人と、
二つ目の鳥居を抜けた先にいる3人。
まあ、ここで、そこにいた人たちの体験がそれぞれに違っているということが
起きたわけです。

時間の幅も違い、まるで小さな浦島太郎現象が起きたのです。

2つ目の鳥居を抜けた先にいる3人は、時間の幅が伸び、それを1だとすると、
1つ目の鳥居を抜けた先にいる3人は、時間の幅が縮まり、1が0.1になる。
私は二つ目の鳥居を抜けた先にいました。
私はそこで、後の人たちにある問いかけをしたのです。

時間はその場の持っている時間で流れています。
ですから、
問い、そして答えが戻ってきて、そのように行動、という当たり前の時間が流れました。
それは普段通り、だと感じたのですが、
二つ目の鳥居の前にいた人は、全てのことが同時に起き、
しかも、問いはあったけれど、答えはなかったのだとか。
なので、まるで、問いかけて、答えなど出ない前に、行動に出たように見えたと。

その上で、それだけではなく、
後からみんなで話をすると、さらに、それぞれが見たモノの色まで違っていました。

その時、その場を何度も確認しましたから、
自分たちが見たものはわかっています。
つまり、各々同じものが違って見えるという不思議な体験をしたのです。

自分の見たいものを人々は見る。というスピリチュアルが言っている言葉を
鵜呑みにするのは危険だと常々思っていました。
これって、
なんだか、様々なことに言い逃れができる感じに聞こえて仕方がありませんでした。
事実は一つだけど、真実はたくさんある。ということなのだろうと。

今回、何を思ったかというと、
「人は見たいものを見る」のではなく、
「時にして、人は自分が必要なものを見る」のだということ。

私には真っ白に見えたものが、別の人には赤く見えていたという事実。
同じ場に存在るはずなのに。
不思議な体験でした。

これも、全て、あの電話がなければ体験しなかったことです。
環状列石の博物館を出て、いざ、車に乗り込んで別の場所に行こうとするタイミングでのお電話でした。

何かが動いたとしか思えません。


黒マンタ山 入り口

そんな不思議な体験を後に、今日の最終地点
黒マンタ山の鳥居の前です。
ここから、山頂目指して山を登ります。

ここには、UFOがよく出現するのだとか。
ただ、とてもひっそりしていて、あたりに人影もない。

すぐ前の畑は真っ黒の土をしていて、鹿児島を思い出しました。

黒土

山に登ります。
標高280.6メートル
小高い丘のような山
心地いい風と、自然界の香りに包まれながら、しばらく進むと山頂です。

山頂には

薬師堂

ここも綺麗にされています。

しばらくここでうつろいながら、山を降りました。

後から聞いた話。

あぁ 
あそこは熊が出るから地元の人は登らないんだよー♪

なるほど、下の杖に鈴がついていたわけだ。

後からその聞いた話が真実味を帯びるのは、
車に乗り込み宿に戻ろうと車を走らせていた時に、
国道を熊が横切るのを発見。

国道ができてしまったけれど、
あのあたりは、熊の通り道なんだとか。

これは熊と共存している人たちのお話です。
私は
熊というだけでビビり、熊となんかとても共存できないと思ってしまいます。
が、
縄文やらカタカムナ人って、間違いなく、自然界と共にあり、
熊とも共存できていた人たちのこと。
この辺りから、身も心も入れ替え 組み替えしないと
なかなか彼らに相似させてもらえないのではないかと感じました。

これまで持っていた概念を覆し、
新しい発見や
新しいセオリーが見つかったら
すぐに手放す

これこそ、変わらないものなど何もない ということにイコールですね。

次の日
さらに新しい出会いと、謎解きの出会いが続きます。






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