天才と希死念慮
こんにちは、おおさわです!
『天才と希死念慮』のタイトルなんて岩波新書のタイトルにありそうなのは置いておいて(笑)
僕は現在コミックエッセイの商業出版のためネーム(漫画の下書き)を描いています。
実は漫画の下積み(絵を描いたり、漫画を作ったり)が0なんです。ネームを作るアプリを利用してネームを書き、イラストレーターに送り一緒にキャラデザインなどを作っています。
第1章は遊び半分で作りました。
頭に浮かぶ漫画のページのイメージをただコマ割りしたり、セリフを書いてストーリーを作ります。
歩いていると漫画のページの映像が見えてきて書いたりしています。
しかし今コミックエッセイにしているのは統合失調症の闘病記。
自分からトラウマを思い出させて苦しい気持ちを呼び起こす作業になります。
映像でリアルに伝わるだけダメージも大きく、抑うつ状態に毎回なりますし死にたいという気持ちにもなります。
さて天才についてです。
僕は小さい頃から映像が脳内で見れたのか分かりませんが美術の成績は一番下。
頭では映像として見ることはできましたが、絵で表現できずにいました。だから芸術的センスはないと思っていました。
しかし転機が訪れます。それは大学のパソコンの授業でパワーポイントを発表するものでした。頭でパワーポイントのページやアニメーションなどを組み立てて表現でき、楽しかったのを覚えています。
視覚優位と呼ばれるもので発達障害の人に多いそうです。
漫画を描いたことがないのにネームを描いて、いきなり商業出版を勝ち取ってしまうのはさすがに天才と言ってもいいのではないでしょうか。
しかし出版社の編集担当の方から修正の指示が来た時はイメージが湧かずに苦しんでいました。
しかも3章は1章と2章と違い、映像思考を使わずに描いていました。やはり映像で見えるものとは違うため編集担当から「視覚的に伝わるように補足を入れて」との指摘が来ました。
映像思考でネームを作ればクォリティの高い作品は作れますが一ヶ月近くは反動で鬱気味になる。
映像思考という天才さと希死念慮を向き合いながら作らないといけません。
まだ模索中ですがなんとか乗り切る方法を見つけたいと思います。