【読感文_1】悪者見参
さてさて、記念すべき1冊目はコロナのニュースを横目に1ヶ月かけて昨日やっと読み終わった「悪者見参」。著者は名著「オシムの言葉」で有名な木村元彦(ユキヒコ)さん。
内容はユーゴスラヴィアサッカーを愛した木村さんが必死に追い続けた国家崩壊の貴重なルポタージュ。
(なぜ1か月かかったかって?単純に難しかったんです。読解力ないって大変。)
感想前に簡単にユーゴスラヴィアのご紹介を。
ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国(以後、ユーゴ)は1943年から1992年まで存在していた多民族国家で、内戦による崩壊までそれぞれの民族が協和国として共存しつつ各々のアイデンティティを維持していた。
現在は長年の紛争を経て国家が完全に分かれ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニア、クロアチア、スロベニア、ボスニアヘルツェゴビナ、コソボ*が国家として存在している。
*日本国はコソボ共和国を国家として承認しているためこちらでは含めています。
本著は「ユーゴスラヴィア連邦人民共和国」解体後、セルビアとモンテネグロによって結成された「ユーゴスラヴィア連邦共和国」を舞台に1998年から2001年頃まで、そして追章という形で構成されている。
セルビアはこの一連のユーゴ紛争で世界から文字通り‟悪者”に仕立て上げられたが、この本を読むとその観点はさまざまな要因と人々の政治的な思惑が重なって出来た「一つの側面」に過ぎないことも分かる。(今回ここのポイントに関して詳しく語るエネルギーは残念だが全くない。)
では本の感想 - 「民族」を嫌でも意識させる環境から見えるもの
ネタバレするほど内容の濃い感想は書けないが、本を通じて感じたことは「大切な人・モノ(民族≒国)のために、自分に何ができるか」ということ。ありきたりだが自分はこれに尽きてしまった。
単一民族国家である日本人は「民族」という概念をあまり考えることはないが、この本を読むと旧ユーゴの人々は嫌でも日ごろから「民族」という難しい概念を意識していたのだと感じさせられる。
多民族国家で仲良く共に過ごした同胞たちが、国同士の政治的対立で、ある日から互いを恨み合い、そしてそれが最終的には民族同士が血で血を洗う「民族浄化」の引き金になる。
迫害され、故郷に一生涯帰ることができなくなり、愛すべき我が家の壁は罵詈雑言の落書きと銃痕で埋め尽くされた選手もいた。
民族を発端とした政治的な不安定さはこのように人々に襲い掛かるのだ、とこの本では詳細の背景を含めてまじまじと知ることができる。
その一方で本著は彼らが自分たちの民族としての誇りを様々な方法で表現をしていたことにもフォーカスを置いている。
軍を結成して「民族浄化」をキーワードに自治区からセルビア人を排除する人もいれば、祖国の独立を信じ世界で活躍するチャンスを蹴ってまでコソボ代表チームを結成し、ピザ屋と選手の二足の草鞋を履く選手もいる。そして祖国が空爆のさなか日本に戻ってJリーグでゴールを決め、アンダーシャツに書き込んだ抗議のメッセージを堂々と発したセルビア人サッカー選手もいる。どの人も間違っていないと信じているからこそ「誰のために」「自分が何をすべきなのか」を考え、行動し続ける必要があるのだな、と。
旧ユーゴはクロアチアとボスニアヘルツェゴビナ、スロベニアに卒業旅行で行ったことがあったが、この本を通じて背景を知ったうえでもう一度行きたいと改めて感じさせてもらえた。
それくらい理解を深めたいと思える本だった。もう何周か読んでもっと深く語れるようになりたい。。。(早くコロナなくなってー。)
最後に
新型コロナウイルスによって今また世の中が大変な状況だが、そんな時こそ「人のために正しい行動を」と再認識することができた。
まずは出来る範囲から人様に迷惑をかけないためにも読書感想文をこつこつ発信しながら屋内トレーニングに勤しもうと決意した今日この頃だった。
もともと木村さんの本をきっかけに読書が大好きになったので、また定期的に。
(うん、もう少し文章構成力高めよう。中学生みたいな文章でごめんなさい。)
私が今回読んだのは新版。2018年時点までの記述も残っているので興味ある方は是非。
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