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【風俗街で育って】 夏に帰る 【束の間の帰省】

 出張先の宿を、生まれた街のビジネスホテルにした。
 大手ホテルチェーンのものだけど、できたのが早かったから、建物はグループの中では、かなり古い。それがいい。

 新しくできたオシャレな店は、どんどん潰れて入れ替わっていって、戦後にできた、古くてつぎはぎで、何を売っているのかわからないような店の方が生き残っている。
 日本人よりも出稼ぎの外国人の方が多くなったはずなのに、彼らが懐かしい街並みや空気を維持してくれている。雑多で猥雑。なのに温かい。

 賑やかな通りの裏に目をやると、じめじめした日陰の道におばあさんが椅子を出して、朝顔の鉢植えと猫を眺めながら、うちわであおいでいる。
 昭和の映画かな。脇に置いているのがスイカじゃなくて、ペットボトルのお茶なのだけが惜しい。

 私の家は、ここにはもうない。
 寝ているか、男性といるかな母と暮らしていたアパートも、そこよりも長く過ごした嬢の待機所兼託児所も、逃げ場にしていた駐車場や劇場も、大好きなお姉さんと行った小さな映画館も──、馴染みの場所は、ほとんどなくなってしまった。

 それでも、このなんともいえない、ユルくて気怠げで何でも許してくれそうな空気が
 負けて帰っても誰も咎めなくて、再起するために出て行く時も、誰も邪魔せず見送りもせず、興味も持たないような、

 ただそこに在って、否定も肯定もしないような空気が。

 父親はわからない、母親は私が通報して会えない所に送った、多分姉な人とも戸籍では他人で、まともな身寄りがない私がいても、誰も疑問に思わないし、そもそも関心も向けてこないこの街自体が、私の実家なんだと再認識する。

 だって、落ち着くから。
 こんな、ゴミとアルコールと地下鉄の匂いが混ざった、生暖かい風なんかが。

 お外の世界では上品に見えるらしい私の所作──立ち方、座り方、歩き方、話し方、頷き方、笑い方、食べ方、飲み方、注ぎ方、そして言葉遣い──それらを叩き込んでくれた、美しいキャバ嬢や風俗嬢達は、一人も残っていない。

 文字が綺麗なだけで仕事ができるように見えるから、バカでもいいから字だけは綺麗にとお習字を教えてくれた神主さんは、お婿さんに後を継がせて、介護施設に入っていた。筆ペンで手紙を書いて、お婿さんに預けてきた。

 母に使われて私にピアノを教えてくれていた、楽器屋のお兄さんは健在で、ビジュアル系から小太りなおじさんに、活動方針を変えていた。
 かけている曲は変わらず、メタリカの“Seek & Destroy“。メタルTシャツが今高く売れると話したら、売るなよと言いながら何着かくれた。

 今で言う『こども食堂』みたいに、風俗店の客達がおつりを多めに置いていって、風俗嬢の子供達が店の手伝いをしてまかないをもらっていた定食屋は、タピオカドリンクのお店になっていた。
 お店を売ったおばさんは近所のアパートで暮らしていて、毎日好きなものを飲めるらしい。私も一杯いただいた。

 あとは──、あとは。

 店も人も、ほとんどが入れ替わっていて、でも、空気だけが変わらず。
 それは、そこが風俗街だからだ。

 この街を形作るものは、時代も人種も問わない、人が持つ共通の欲と本能。
 だからそんな街が、男を繋ぎ止める為にコンドームに穴をあけた女に産み捨てられた私に、馴染まないわけがなく。

 どんな生まれ方でも、この街にいた人達に拾われて、守られて、愛されたと感じるし、今、孤独も無力さも感じない。

 ここで教わった言葉や所作のおかげで、不快な視線や言葉を向けられることもないし、ゴミ捨て場で拾ったノートやBOOKOFFで買った参考書のおかげで、高学歴な人達にバカにされることもなく、一緒に仕事ができている。
 困るのは、お見合いの話を持ってこられた時くらいだ。

 生まれ育ちや私生児であることを話しても、なぜか馬鹿にされない。
 そういう人は黙って離れていって、受け入れてくれる人達だけがそばにいてくれるから、いいフィルターになっている。
 野良育ちなわりには、上手く育った。そう思っている。

 本業でもネットでも、好きな本や物語を声に出して
 この名前の看板が持てなくなったら、色だけ変えて裏方に回って
 あとは毎日犬の散歩ができたら、それ以上望むこともない

 今、仲良くしてくれる人達が、元気で無事ならいいなと、あとはそれだけ。
 それだけのことを難しくするのが災害で、それなら今できることは、有事の際、助ける側に回るための、備えと力を身につけること。

 東日本大震災の時、防災対策庁舎から避難を呼びかけ続けていた遠藤未希さんが亡くなられたのと、今、同じ年なのを思うと、この声でどれだけのことができるのだろうかと

 自身がインフルエンサーを目指すよりも、裏方としてインフルエンサーの数字を大きくする側に回った方が、結果的には、より発信力を持てるのではないかと

 そんなことを思いながら、次の準備を始めようと決めた帰省だった。

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