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【連載小説】トリプルムーン 16/39

赤い月、青い月、緑の月
それぞれの月が浮かぶ異なる世界を、
真っ直ぐな足取りで彷徨い続けている。

世界の仕組みを何も知らない無垢な俺は、
真実を知る彼女の気持ちに、
少しでも辿り着くことが出来るのだろうか?

青春文学パラレルストーリー「トリプルムーン」全39話
1話~31話・・・無料
32話~39話・・・各話100円
マガジン・・・(32話掲載以降:600円) 

※第1話はこちら※


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***第16話***

「外は暑くなりそうだから、思わずここへ逃げ込んで来ちゃいましたよ。」
「あらそうだったの。まあ、そうよね、現実からは時々逃げ出すくらいでちょうどいいから。あなた、ここは初めて?」


「ええ、そうです。街を歩いていたら、ふと目に留まったんで、何となく来てみました。面白いですね、なんていうか、どっちかって言うと珍しくてマイナーな作品を扱っていて。」

「そうね、映画ってとてもたくさん作品があるんだけれど、みんなが観るのはどうしてもメインストリームに流れる一部だけになってしまうから。なんか、他の小さな作品にもちゃんと光を当ててあげないと、って私なんかは余計なおせっかいを焼いちゃうのよね。」


 もしかすると、ここはこのおばちゃんが一人で経営しているのかもしれない、そんな口ぶりだった。
 小さいとはいえ、映画館を経営しているとなれば、やはりそれは映画に対する情熱や愛情がよほど深いのだろう。

 おばちゃんと話をしていると、そんな静かな熱がじんわりとこちらの胸にも伝わってくるようだった。俺は世間話の礼を言うと、シアターの中へと入っていった。


 映画は少し前の東欧の映画だった。主人公の探偵は秘密警察を引退したドイツ人の男で、昔は東側で暗躍していたようであった。
 男は理不尽な政治の策略に人生を翻弄されながら、様々な種類の傷を負い、様々な種類の皺を顔中に深く刻み込んでいた。

 現役を退いてからは個人の探偵業を始め、猫探しなんかをしながら北欧の静かな街で隠居生活のようなのんびりとした暮らしをしている。
 それがある依頼をきっかけに、どんどん大きな事件へと巻き込まれることになり、見たくもない種類の人間の顔や、おぞましい歪んだ感情なんかを、次から次へと覗き込むはめに陥っていった。

 映画には二重スパイの女が現れ、双子の女の子のバラバラ死体が発見され、二重人格の殺人鬼が凶行を重ねていた。
 映画の中では、しきりに裏の顔、表の顔、と言ったワードが繰り返されていた。

 この映画を作った監督自身も、もしかしたら二重人格に苛まれていたのかもしれない。そういった印象が色濃く映し出されている気がした。
 物語の終盤には事件の黒幕の男が現れ、主人公の探偵に自信たっぷりにこう言い放っていた。


「世界はね、コインみたいなものなんだよ。表があれば、裏がある。そういった因果なものなのだよ、私たちが生きるこの世界っていうものはね。」


 探偵はそんな黒幕のつまらない能書きにうんざりし、大きくため息を吐きながら面倒くさそうに言葉を返した。


「俺はコインなんかより、裏も表もないドーナツの方が好きだよ。」


 そう言って探偵は拳銃を撃ち放ち、やるせない事件に終止符を打っていた。

 悪くない映画だった。観ているあいだは少しも退屈することはなく、それでいて観終ったあとには悲しいけれど無性にドーナツを食べたくなる、そんな趣のある面白い映画だった。

 たしかに世界は、裏とか表とか、東とか西とか、0とか1とかで片付けられるほど簡単なものじゃないだろう。
 世界はそういう簡易な二次元的な区切りなんかじゃなく、もっと多次元で立体的でドーナツ的なもののはずだ。

 シンプルな素材で飽きが来ず、そして肝心なところで穴が空いている。きっとそういうことなんだと俺は思った。
 三十歳の誕生日にしては、なかなかいい学びを得た気がした。帰り際おばちゃんに面白かったよと礼を言うと、おばちゃんは嬉しそうに返事をし、去りゆく俺に手を振ってくれていた。



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