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葬儀・3
しかし。
良くあることですが。
1つの葬儀の形式が常套的になってくると…
「あいつよりは良い戒名が欲しい」とか
「あの人よりもっともっと立派に見せたいから祭壇を超特大にしよう」とか
お金をかければ叶うことなのであれば、お金を払って他人より少し上を行きたい!という
葬儀を出す側に「争う気持ち」が生じてくる。
それまでは夜にひっそり行っていた葬儀を
・日中見せびらかすように大がかりな葬列を組んでみたり
・座棺から寝棺に変え、白木であつらえた一回限りの輿に遺体を入れて大人数で抱えて運んでみたり、いつしかその大きさが財力の象徴として認知されたり
・様々な葬具を作らせたり
金や銀で出来た蓮の花とか
・生花をさして車仕立てにした花車を飾ってみたり
・鳩を放ってみたり(そんなんで貸し葬具屋ができたり)
・地域の人に料理を振る舞ったり(料理屋さん)
・葬列を組んで近隣の人々に小銭を振り落としてみたり
・菓子包みとか饅頭とか弁当を配ってみたり(返礼品屋さん)
いつの頃からか、号令をかける葬儀屋さんとそれを請け負う業者さんという立場が確立される。
自分の店により多くの注文を入れてもらいたいから、請け負う側は自ら率先して袖の下を包んで渡してみようと思ってみたりで、賄賂が発生。
あれれれ?
なんだか、もともとの恐れや優しさから始まった葬儀の、形式は同じようなものでも、気持ちがなにか違う?感覚になりましたよね?
それでも葬儀は葬儀なのです。続
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