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葬儀・2
今の私たちが執り行う葬儀の形態は江戸時代に入ってから整ったと言われています。士農工商が廃止となり、「一家一寺」という幕府による寺請け制度の推進と農家の自立が寺=仏教と民衆の繋がりをより一層強いものとしました。
民衆が一家の菩提寺としてその寺の経済や寺院の維持経費を多方面から支えるなどして、葬祭や仏事をその寺院に委託していく関係が構築されます。
民衆の葬祭ごとは、それぞれの土地や風土、民俗と仏教があわさった地域性の濃いものとなって広がりをみせていきます。
①もともと、人の死は「大切なもの」として人々の心に刻まれていた
②だけど、その後の人体の変化に恐怖を覚えた
③鎮魂のために食べ物を供えたり花を供えたりして霊を浄め滅罪し地獄に堕ちないためにお経をあげてもらおうと考えた
④改めて儀式として、燈明を立てて香を焚き、棺を用いて白布を張り巡らせた場所で邪気を祓うお経をあげ火葬するもしくは土葬する。そして位牌を抱いた者が家督を継ぐものとして周知される。
今、このような形で葬儀が営まれるのは
これからも生きていく者として、知恵と叡知の成せる技、その結集なのだと思う。
葬儀とは、送る側の気持ちを形に表したものだ。
その土地の風習や人々の個性によって多少の違いはあるにせよ、「こうでなければいけない」という一律の確固たる決まりごとや、儀式としての過不足などあろうはずのないもの。
だって。
仏教に良く出てくるお釈迦様は、生き方は説いたけれども。
人が死んだら葬式っていうのはこうやってやりましょうね、なーんて一言も言い残していない。
人が後付けしたものなのだ。
ただ、大体の人たちが
「こんな形で見送ってあげたらいいんじゃない?」と思う項目が一致していたので、さらにその諸々を受け入れやすい形にまとめ、請け負って仕事と位置ずけたのが葬儀屋であったと。そういうこと、そして、わたしはその端くれで仕事してる。続
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