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ゆるす
冠省
こんにちは。アラカン marです。
朝起きたら天気が良くてあたたかくて青空がきれいで風がさわやかで。
思わず布団の上でのびーっとしました。
起きてから鼻歌が止まらないんですが。。
「水戸黄門のテーマ」
人生楽ありゃ苦もあるさ~♪っていうアレです、あれ。
なぜなの?と自分でツッコみますが特に理由も思い浮かばず、ずーっとハミングしてました。
家事をさっさと終わらせて、身支度を整えてパソコン事情に詳しいと思われるお宅にお邪魔し、あれこれいじっていただきました。いまのところ安定して💻使えています。ありがとうございました。
かつてのわたしは、こんな風に気持ちの良い朝を迎えた、という記憶がありません。いつも泥のように身体が重くて痛いところがたくさんあって。
「また朝が来てしまった」「もう朝か」「起きなくちゃ」「朝ごはん支度しなくちゃ」「洗濯しなくちゃ」・・ノロノロと起きあがり、カーテンを開ければただただまぶしくて自分がみじめになる。
そうして始まった1日は、空もなく、道に咲く花にも目もくれず、その日にやらなくてはならないことを淡々とこなすだけ。だるくて、気づけば横になってしまい日が落ちるころには泣きたくなり。お買い物に行って夕飯を作る。
『喜怒哀楽』とは別の気持ちが私の身体を覆いつくしていました。
『恨み』『許せない』といった気持ちだったのかなぁと、今は識別しています。
恨みや許せないという気持ちの始まりは、怒りと悲しみでした。
浮気をされた・お金を入れてくれない・ギャンブルに没頭して借金を増やす・子供と遊ばない・いただきますもごちそうさまもない、まともに会話もない、寂しい・上げればキリがないほどたくさんの悲しみと怒り。それはそれは苦しい毎日でした。
離婚が成立してからも恨みや許せないという気持ちはますます大きく膨らんでいきました。自分だけが損をしたような、理由もなく自分だけが傷つけられたような、悔しいという想いとわたしの人生返せという叫びと、裏切られたという意識。そんな感情が私の身体の大半を占めていて苦しみ続けていました。
友人に聞いてもらったところで、それは自分のストレスの発散でしかなく、毎回毎回そんな話ばかり聞かされる友人は次第にわたくしと距離を取るようになりました。でも、次の人を見つけてはまた同じ話を繰り返し聞かせ、また孤独になる。そもそも、話したからって、私をこんな風に傷つけた人は何も変わりません。そんなに恨まれていることすら知らないかもしれません。いつまでたっても変われない自分が苦しいのに、相手は苦しんでいません。誰かに話して「あなたは悪くないよ」と言ってもらいたかった。それなのに『許せない気持ち』は醜く大きくなっていくばかり。心を預けていた人だけに、ショックが大きく深い深い闇に引きずり込まれていく・・
そんな時、たまたま一緒に居た男性に言われました。
「でもさ?嫌々結婚したの?誰かに無理やり結婚させられたの?自分も納得して結婚したんじゃないの?相手のことばっかり悪く言うけど、そういう人だって気づかなかったの?詐欺師だったの?なんで結婚したの??」・・・
一言も返せませんでした。
彼が言うには。話に聞く限り、相手の行為は野蛮であると思う。だけど、そんな人と結婚したって、なんで?どうして?結婚しなければよかったんじゃない???
そこで初めて気づきました。
馬鹿だったのはわたしだな、と。
こんな話をいつまでも垂れ流すことの恥ずかしさがこみ上げてきました。
その日から。わたしの考えが変わりました。
相手からきちんとした謝罪を受けたことはありません。ひとこと「ごめん」と言われたこともない。けれど私は、相手が謝ってくれたら許せたのでしょうか?何もなかったようにこれまでの出来事をすべて水に流し、素直に「許す」ことができたのでしょうか?いえいえ、その時のわたしはきっと。
「口で謝ってるだけで本当は悪いなんて思ってないでしょう?」とか「謝ればいいとか思わないで」とか「謝って済むことではない」とか。結局許さなかっただろうなぁと思うのです。
許すって、そんなに簡単なことじゃないですよね。
許せない、ということは、心がまだとらわれていること、なのだと思います。心がとらわれてしまうと、時が止まります。だって苦しいままだから。時が止まるということは、そこから先に流れた時間を無為に過ごしてしまった、のと同じこと。実際には、いくら苦しくても、生きていれば笑うこともある、感動することもある、楽しいこともある、好きになる人もいる、それなのに。その感情をきちんと感じとることができないままです。自分が自分らしく、のびのびと生きられなくなり生きづらさが続いてしまうのです。もったいないです。
傷つけられて、めちゃくちゃな人生を送る羽目になり、いつまでもたっても苦しい気持ちとしか向き合えない。誰に話しても心底理解や共感をしてもらえることもなく、今でもズタボロの人生しか歩んでいない自分の現実。それが、傷つけた相手ではなく、自分だなんて・・
許すって。相手を許すこととは違うんですよね。
相手は好き勝手に生きてますから、私とはもう無関係。
だから相手に謝ってもらって、自分が許す、っていうのとは違います。
子供が喧嘩して。「ごめんね」「いいよ」っていうのとは違うんですよね。
謝ってもらうのとも、仲直りするのとも、違うんです。
ましてや、相手を受け入れるとかも必要ないです。
『許す』を検索してみると
・さしつかえないと認める
・ゆるめる
と書いてあります。
わたしは相手のことはもちろん大嫌いでやられたことは忘れないけど、どこかで生きていてもそれは差支えないよ、私の人生にはなんの支障もないし邪魔にもならないし不都合でもないし妨げでもないし問題ないですよ、ということになりましょうか。こう考えることで自分が緩む。縛り付けられていて苦しかった身体を緩めてあげる。
自分の機嫌が悪いとき、誰かに自分のご機嫌を取らせようとする人って、結局なんでもかんでも他人のせいにしているんだと思うんですね。
自分の機嫌が悪いのは。相手が悪いから 周りが気が利かないから 親がダメできちんと育ててもらえなかったから 貧乏に生まれたから・・そんなわけで自分、いま機嫌が悪いんです。そうやって猛アピールされてもね・・
知らんがな!!一人で生きてくれ!!
私が苦しみ抜いても許せない、と思っていた人は2人。
1人は30年。
もう一人は15年かかりました(・・;)
もったいなかったな。 不一
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