
クーピーでいえば白(クリーム1)
【クリーム1】
高崎雪乃は、夕食の準備をしていた。
スラリとした高身長、黒髪のショートカットで、すっきりとした顔立ちの女性だ。
自宅の一軒家は、職場の銀行からは車で約20分ほどの場所にある。子供3人の部屋と、夫婦の寝室、リビングとキッチン、和室が2部屋。
和室は、いずれ介護などで両親が同居した場合に用意したものだが、今のところはゲストルームとして使用している。
今日は、そこで長男と友人が過ごすことになっていた。
「おばさん!よろしくお願いします」
「おじゃましまぁす」
「こんばんは…」
どやどやとやってきたのは、高校生男子4人。長男を入れて5人と、弟たち中学生2人…男性が1名、女性が2名、総勢10名の食事会だ。
自身の両親も訪ねて来るというので、増えてしまった。子供の友達がくるから…と、やんわり断りを入れたつもりなのだが、ちょうどいい、デパートで果物かスイーツでも買って行ってやろう、と父親が言った。
まあ、旦那の両親よりは気を遣わなくても良いのだが…。
夕飯のメニューは焼肉だ。男子はこれを出しておけば良い。そんなことを言ったら怒られるかな?
みんなでどこかに食べに行けば、と提案してみたけど、金がかかるからここで良い、と、長男は言う。
どうにも、すっきりしないな…。
思いながら野菜を切り、3セットに分けた。弟たちは食べる場所は一緒だが、分けてあげないと食べ損ねる。兄たちの勢いに負けるからだ。それでも、一緒に遊ぶのは楽しいらしい。ゲームに負けても、雑な扱いをされても、何故か一緒にいたがる。
男の子って面白いな…。と、雪乃はいつも思う、そして、羨ましい。男世界は良いな…。
「何か、お手伝いしますか?」
不意に後ろから声をかけられて、雪乃はビクッと身体を震わせる。
「…びっくりした。陽彩(ひいろ)くんか…。うん、ありがとう。でも、あとは、お肉出せばいいだけから、大丈夫、大丈夫。」
「いつも、すみません」
と、陽彩は恭しく頭を下げる。長男とは幼稚園からの付き合いだ。
「今日も泊まって大丈夫ですか?」
と、雪乃を見上げた顔のパーツは、派手ではないがそれぞれが整って、きれいな顔立ちをしている。
「うん、もちろん。そのつもりで呼んでるんだから。お父さんにも良いお肉用意してもらったし、気なんか使わないでよ。…それより、おばさんの顔に飽きてきたんじゃない?」
と、雪乃は彼の顔をのぞき込んで聞いた。
「うん…。結構見てる。でも、平気」
と、陽彩はキュっと口角を上げて、屈託のない子供の顔で笑った。
…似てきたな…。
雪乃は思う。奈央(なお)に…笑顔が似てきた…。
「あはは、そっか良かった。じゃあ、ゆっくりしていきなよ。お父さんは、相変わらず仕事忙しいからなぁ…」
と、雪乃は言う。お父さんとは伊能のことだ。彼はシングルファーザーで、男手一つで陽彩を育てているため、彼が仕事で帰れないときは、なるべく家へ連れてくるように長男に頼んでいる。高校生だ、一人でも平気だ、と彼、陽彩は言うのだが、雪乃がどうにも放っておけないのだ。
「仕事…ね。それだけじゃないと思うけど」
先ほどの可愛らしい笑顔を消して、陽彩は吐き捨てるようにして言った。微妙な年齢だ…。父親が普段どうやって過ごしているかなど、本当は知りたくないだろう…。
だが、周囲の人間は気にしない。特に子供同士などは辛辣だ。
伊能のように大きい会社の社長なら、親同士が仕事関係でつながることは良くあるし、聞きかじっただけの噂話を子供に聞かせる親もいる。父親が周りからどう言われているかなど、簡単に耳にするのだ。
「うん…。いろんなこと言う人はいるよ。大きな会社の社長さんだからね。でもね、結局みんな、嫉妬してるんだよ」
「…嫉妬?」
「そう、仕事もできて、お金もあって、カッコいいからなぁ、文(ブン)さんは。みんな悔しいんだよ。羨ましいだけ。心がちっちゃい人間の言うことなんか、気にしなくていいよ」
「かっこいい?ていうか、やばい奴なだけだろ」
陽彩は口を尖らせて、プイ、と横を向いた。
「こらこら、やばくない。う〜ん…本当は、陽彩くんを大事に思ってるよ。なかなか言葉にできないだけで、変なところで不器用と言うか、ね?」
「…そうか?逃げてるだけじゃん?」
と、陽彩は窓の外を眺めた。雪乃の勤める帝都銀行は、伊能のマンションから近い。元々は伊能の妻、奈緒と仲が良く、家族同士でのつながりができた。雪乃の家は職場よりも山側の高台になる。海側の埋め立て地は遠いが、高いマンションやホテルが立ち並ぶ様子は、高台にあるここからも良く見える。窓からは、伊能が手掛けるマンションの明かりも、小さく見えた。
あの一角で、父親は何をしているのか…。
考えてみても良くわからない。毎回違う女と歩いているとか、ひどい暴言を社員に言っている鬼社長だとか、詐欺まがいのことでもしないと不動産屋はうまくいかないらしい、とか…。
大人が話しているのを聞きかじった同級生やサッカーチームの人間が、面白がって自分に聞いてくる。
「え?あの五木…なぁ、お前の父ちゃんヤリ〇〇だって、有名だぜ」
「俺も聞いた。モデル張りのスタイルの女とイチャイチャしてるってぇ」
「金持ちだもんな、そりゃモテるよ。でも、一人ぐらいコ〇してるって噂」
「一人くらいってなんだよ、うける。見た目やばいもんな。あれはヤ〇ザと変わんねぇよ」
「やべ!じゃあ、俺たちこんなこと言ったらコ〇されちゃうかも~」
「あ、悪い!許して。もう近寄りませんので…」
ぎゃははは…。
高校の話したこともない同級生だ。小さい頃から仲の良い雪乃の息子、高崎風太と同じクラスで繋がり、紹介された。
「ごめん…あんな奴らだって知らなかった…」
と、風太は目をこわばらせて謝ってくれた。彼が悪いわけじゃないのに…。陽彩は申し訳なくなる。自分のせいで友人が傷ついてしまうから。
「大丈夫、あんなくだらない奴ら…もう二度と話すこともないよ」
と、陽彩は気にしてないふりをした。
色々、陰で言われてるのは知っている。中学の時から、周りの空気が微妙に変わっていることに気が付いた。ある出来事があったからだ。その頃から、少し慣れては来ているけど…。
「…う…違う。俺、もっとお前にいろんな人と話して欲しくて…。あいつら明るくて面白いから…お前も笑うかなって…あんなこと言うなんて…ごめん…」
と、風太は泣いた。自分のせいで友人を泣かせてしまったことが陽彩は苦しい。彼の存在が自分を支えてくれている。本当は学校なんて来たくないけど、風太が一生懸命誘ってくれるし、気にかけてくれるから。
なのに…。彼に迷惑ばかりかけてしまう…。
「なんで、風太が泣くんだよ。お前が泣くと俺、笑っちゃうじゃん…」
と、陽彩は精いっぱい笑った、つもりだ…。本当は、泣きそうになるのを必死でこらえていた。自分が情けなくて、風太に申し訳なくて。
(あんな風じゃなかった…。)
陽彩は風太の背中をポンポン、と優しく叩くと「大丈夫」そう言って笑った。そして、噂の元となる父親のことを思う。
仕事に対して真面目ではあったが、人を寄せ付けないような、人を傷つけてまで自分の地位をあげるような人じゃなかったはずだ…。
(あの時から…)
おぼろげだが、幼い頃のことを思い返しても嫌な思い出はない。肩車をして近所の公園や海沿いを散歩してくれた。サッカーを一緒にやってくれたし、仕事は忙しかったが、誕生日や学校の行事にも、なんとか仕事を抜けて参加してくれていた記憶がある。もっと、良く笑っていたはずだが…。
「…自分だけ…つらいと思うなよ…」
と、陽彩が風太や誰にでもなく、小さい声で言うと、背中から肩にかけて、どん、という衝撃があった。
「なんか言いたいことあるなら、言えよ!」
そう言ったのは、先ほど陽彩へ蔑むようなことを言った同級生だ。その腕は、自分の首に強く巻き付けられている。
陽彩の顔が、みるみる強張って行く。
「…お前、何してんだ!」
飛び掛かり、相手の腕を掴んだのは風太。
「やめろよ!」
「風太さぁ!俺たち、そんな奴だと思ってんの?」
同級生の一人、坂本敬之助が風太と揉めだした。
…やばい…何とかしないと…。
陽彩は慌てる。風太が喧嘩に巻き込まれてしまう…。また、自分のせいで…。
敬之助の腕から抜け出そうと必死にもがくと、締め付ける敬之助の力は強くなる。
「はなせっ…」
陽彩の声は小さい。本人は必死の思いで声にしたのだが、何か言おうとすると泣きそうになってしまう。今までもそうだった。それでも頑張って喧嘩をしようとするのだが、本気になればなるほど気持ちが先にいってしまい、号泣し、何を言ってるのかわからなくなる。感情が高ぶってしまい、嗚咽が止まらなくなり、相手が引くほど泣くときもあった。からかってくるような同級生ほど、そんな様子を面白がって余計に馬鹿にして、クラス中で笑いものにした。
冷静にしよう、感情を出さないように、泣いちゃダメだ…。次第に自分の気持ちを言えなくなった。今も、これ以上は何もできない。考えるだけで動悸がする。
「ちゃんと言い返せ!」
敬之助は言う。その言葉は、陽彩に向けられた。
「う…うう」
他の二人もバタバタとやってきて、陽彩は3人に囲まれる形になった。
「…や、やめ…」
陽彩が小さく言った。
「そんなんじゃダメだ!」
「なんだよ、ケイ!陽彩が可哀そうじゃんか」
と、風太が半狂乱で敬之助の腕を剥がしにかかる。それを他の二人が止めに入った。「なんだよ、お前らまで!」
やめてくれ…陽彩は泣き出しそうだ。
俺だけでいいのに…風太は、風太は関係ないだろう?
「可哀そうってなんだよ!言われっぱなしの方が可哀そうだろ!なあ、そんなこと言う奴らやっつけろよ!」
陽彩を抱える敬之助が言った。
…え?…
「そうだぞ。あんな、くぅだらない噂話なんか言う奴、うるせぇば~か、って言ってやれば良いんだよ」
そう続けたのは、桃山飛翔(つばさ)。小柄で眼鏡をかけた少年だ。彼はそう言うと、イヒヒ、といたずらな顔で笑った。
「そう。お前のお父さんかっこいいじゃん。良いだろ金持ちで、どうだ、お前ら羨ましいだろって、反対にこっちから笑ってやれよ」
もう一人、我妻佑真は高身長だ。大きな手のひらで、陽彩の髪の毛をぐしゃぐしゃ、とした。
「…お前ら、え?」
風太は目を丸くして立ち尽くしていた。
「ひどくなぁい?ふうちゃ~ん」
飛翔が、身体をくねくね左右に動かして、風太へ近づいてくる。
「僕たちそんな悪い子じゃないよぉん」
「だって…あんな言い方…」
「ああいう奴ら、この先めちゃくちゃ出てくる」
佑真は、高身長で細身の身体を風太に向けた。
「言われたままじゃ、馬鹿をつけあがらせるだけだ。今までもそうだっただろ?」と、ポケットに手を入れ、陽彩に問いかけた。
クール…な奴…。風太は少し悔しい。唇をへの字にして佑真を見上げた。
「どういうこと?」
風太と、そして陽彩はきょとんとしてしまった。
「俺たちから、やっつけ方を教えてやるぞってこと。」
と、敬之助は、腕の中の陽彩をのぞき込む。パーマをかけたような髪の毛は、強いくせ毛だ。佑真よりは小さいが、しっかりした筋肉質な体をしている。「でも、ちょっと荒治療だったかな?」
にっ、と歯を出して、敬之助は笑って見せた。飛翔はブイサインを作り、佑真は、ふっ、と小さく笑う…。
「な…んだよ、ごめ…ひどい…俺…だって…そんな」
うわあぁ!風太は号泣した。3人はそんな様子に笑いながら、風太の肩を抱いたり、ハンカチを渡したり…。
陽彩は、その渦中にいながらも、なんだ、これ。と、どこか他人事のように見ている。敬之助の腕の中で、ぼうっとしていた。
「なあ、お前言い返せよ。勝手なこと言う奴いっぱいいるぞ?この先、ずっと我慢するの?」
そんな陽彩に敬之助が問いかけた。
「そんなのバカみたいじゃん?何にも知らないくせにさ、簡単にそういうの広めて笑ってんだぜ?お前、関係ないだろって、言い返してやれよ」
「そっ。言い返してそれでも何か言って来たら、俺に言って。そいつの変な噂話、ぜぇんぶ調べてあげるから~」
と、飛翔は、パソコンのキーボードを打つような仕草をする。
「こいつのリサーチ力はすごいから」
と、佑真が飛翔を親指で示す。
「誰もが自分のことを、まともだって思ってるけど、実はそうじゃない。叩けば色々しょうもない噂やら、黒いものは出てくるんだ」
と、さらっと付け足した。
「それで、同じように、それ広めてやろうぜ。で、文句言ってきたらぁ、え?お前と同じことしただけじゃん?何が悪いの?って言ってやれないいじゃん。」
と、敬之助は笑って、ようやく陽彩を離した。
「な?」
そう、口角をキュッと上げて、陽彩の顔を覗き込んだ。やんちゃな少年のように…。
「…え、あの…」
陽彩は、まだ頭がぼうっとして働かない。なんなんだ、これ…。
「ま、たぶん、そんなことしないけど。くだらない奴らの真似なんかしても、しょうがねぇじゃん?」
と、陽彩をまっすぐ見た。3人は並んで頷いたり、相槌を売ったり…。
なんだよ、これ…。
胸の奥が苦しくて、陽彩は息がしづらくなった。なんで、こんな…。
「そんな奴らほっといて、俺たちと遊ぼうぜ。」
と、敬之助は、にっ、と歯をみせた。
「そうだよ、その方が楽しいだろ?」
と、飛翔はおどけるように笑う。
「笑える。その方がずっと意味がある」
佑真は、またポケットに手を入れた。
「お、お前らは、底抜けだもんなぁ…」
と、やっと声を出して風太が締めくくった。その顔はぐちゃぐちゃだ。
良いな、これ、こんなの…良いな。
自分もこんな風に…。
「…俺…良い、の?」
消え入りそうな、か細い声で陽彩は言う。
「そこに入っても…良いの?」。
良いのかな。俺みたいなのが…言っても良いかな…。
「一緒に…笑っていいかなぁ?」
と、声に出した瞬間、ボロボロと涙が堰を超えた。
たぶん、ひどい顔をしているだろう。でも、止まらなかった。次々に涙が頬を伝う。だが、こんなに泣いたらまた、馬鹿にされるかもしれない、心臓がバクバクと音を立てだした。はっ、はっ…息も荒くなる。また、みんなで笑いものにされてしまう…。
そんな陽彩を、風太がぐっと抱きしめた。
「…当たり前だよ…だって、俺、前みたいに笑って欲しくて…」
同じように、ボロボロと泣きながら風太は言う。
「泣けよ!笑えよ!怒れよ!ずっと…あんなに楽しくしてたじゃん、良いんだよ、お前は全部出して良い!」
「風太は泣き虫だよなぁ。」
と、敬之助は豪快に笑う。
「だから面白いんだよね、一緒にいて飽きない」
「ちょっとぉ、意地悪すぎちゃったかなぁ?」
飛翔が手刀を切る。
「泣こうが笑おうが、一緒ならなんでも良いだろ。全部出せばいい。でも、ここからが大変だぞ」
と、佑真は言うと、さりげない様子で二人の頭をぽんぽん、とした。
「うん…。なんとかする。陽彩、何かあったら…ていうかなんでも話せよ」
と、敬之助がさらりと言う。
陽彩…って、呼んでくれた…。
それでまた、涙が出てくる。
カッコ悪い…。俺って、やっぱり情けない…。陽彩はまた落ち込む。
「ひいろ…ヒーロー?カッコよ。ひいちゃんって呼んでいい?」
と、飛翔が目を輝かせる。
子供みたいで可愛いと、何気なしに陽彩は思った。
…あれ?
陽彩は、自分の感情が不思議だ。今の今まで泣いていたのに、飛翔のことを見ていたら、口元が緩んだ。
「なんだ…笑えるじゃん。じゃあ、大丈夫だ。本人が動こうとしてるならね」と、佑真は冷静だ。でも、その笑顔はやさしくて…。
…きれいな顔…。背が高くて、細くて、イケメンで、カッコいい…。なんだ、この人。きっとモテるだろうな。
背が低いのは陽彩のコンプレックスの一つ。しょうがないことだけど、佑真の姿に、少し悔しい気持ちが沸いた。
「なんかあったら言え!俺に言え!俺がやっつけてやるから、俺に言え!」
と、風太はまだ泣きながら、熱く言った。
「今までもあっただろうよ。でも、陽彩は言えなかったんだろ?風太にも」
と、敬之助。陽彩は小さく頷いた。が、敬之助は真顔になった。
「答えろ、陽彩。ちゃんと話せ」
え…?
少し、強めのそれは、また陽彩の心をざわつかせた。
「…うん…迷惑かけるし」
でも、努めて冷静に言うようにした。誰かに、感情を悟られない様にするのが常だった。やっぱり、なんとなくカッコ悪いから…。
「誰に?」
敬之助は、にこりともしない。 その、つっけんどんな言い方に、また、陽彩の心はざわざわする。
「…風太にだよ。関係ないから…」
陽彩は必死に感情を抑えている。だが、顔は強張っていて、少し震えているのがわかる。
「何で言わないの?風太のこと信じてないから?こいつじゃ役に立たないからか?」
敬之助が風太を指して言う。
…なんだ、こいつ…。
一瞬でも心を許した自分が馬鹿だった。結局、からかっているんだ。陽彩は眉間にしわを寄せる。
「むかつくだろ?」敬之助が言う。
「お前、今、俺にむかついてるだろ。出せよ、全部だせ!」
「…なん、なんだよ…」
陽彩は息苦しくて呼吸が乱れる…。でも、必死に敬之助を睨んだ。
「あ?聞こえねぇなぁ。風太、お前じゃダメみたいだぞ。信頼されてねぇなぁ…」と、敬之助が、風太を馬鹿にしたように笑った…。
なあんだ、つまんねぇ、みんなで風太をバカにしてる…関係ないだろ!ふざけんなやめろ、やめてくれ…俺のことで…風太が…
「いい加減にしろよ!」
自分から出た音だとは思えないほど、大声だった。そのままの勢いで、思わず陽彩は敬之助に飛び掛かっていた。
「なんなんだよ!なんで風太を馬鹿にするんだ!風太はいつも一緒にいてくれて、めちゃくちゃいい奴だよ…笑わせてくれて、一緒にご飯食べたり…俺のことで、風太を馬鹿にするな!」
「じゃあ、何でも話せばいいじゃんか」
「だから、心配かけたくないんだよ、風太を巻き込みたくないんだ…」
「巻き込めよ!」
そう言ったのは、風太。
「俺は…全部話してるよ?テストの点も、家族のことも、好きな子のことも…泣くし、怒るし…俺の方が迷惑かけてるじゃん、もしかして、イヤだった?俺…のこと…イヤだったのか?」
目を丸くして、立ち尽くす風太の姿が、陽彩の心にチクリと針を刺す。違う、違うんだ、俺は…。
「ちが、違う!…誰も信じられなくなって…。ごめ…ん。風太だけは違う。でも、風太は嫌なんじゃないかなとか、迷惑かけたら、変なこと言ったら嫌われるんじゃないかって、離れちゃうんじゃないかって…俺…どうしたら良いかわかんなくて…」
「そんなわけないだろう?俺しかいなかった?なら、俺に全部見せればいいんだ。一人で抱えんなよ…。カッコつけんな!」
「う…う、ごめん。風太ごめん。ありが…と、いつも…。俺…」
男子二人でボロボロに泣いた。廊下を通り過ぎる同級生が、心配そうに、時々、ニヤニヤしながら通り過ぎていく。クスクス笑ったり、大袈裟に避けたり。でも、そんなことはどうでも良かった。
「はいはい。これで大丈夫かな?」
と、敬之助が言った。
「もう、仲良しなんだからぁ」
飛翔がからかうように言う。
「少し、動いたかもな」
と、佑真が締めた。
「陽彩、もう俺たちの前ではカッコつけんな。素で行け。お前を出せ」
「そうだよ、その方が楽でしょ~」
「多少のことでは驚かないよ。俺たちはね」
「ほんとだよ!陽彩、今日うちに来い!寝ずに話してやる!全部話せ」
「え?俺も行きたい」
「もち、俺も~」
「みんな行くなら揃ってた方がいい」
「え…っと…」
彼らは自分をまっすぐに見つめている。陽彩は、いつもなら目を逸らしていたかもしれない。でも今は、自分も素直に相手を見れるようになっていて驚いた。
あれ?
陽彩は、目の前がぱあっと明るくなったような気がして、窓からの明かりのせいかな、と、思わず空を見上げていた。そしてもう一度、目の前の友人たちをゆっくり眺めた。
敬之助、飛翔、佑真…。風太は、ボロボロで、ひどい顔だ…。
「なんだよ、風太。ひでぇ顔だ。…うん。行くよ。俺も、話したい事いっぱいあるんだ」
と、精いっぱいカッコつけて笑った。つもりだ…。でも、その顔は、本人には見えないが、涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃだった。
「お、お前も、相当、ひどい顔だぜ?」
と、風太が泣きながら言って、全員で大笑いした。
感情が…全部出た。
陽彩はもう一度驚いている。
馬鹿にされて絶望し、からかわれて怒って、カッコいい友人に少し嫉妬して、親友の言葉に大泣きして、本気ぶつかってくれる友人たちと、大笑いした…。
なんだったんだ…。
突然現れた友人という存在に、翻弄された。でも、それはたぶん、陽彩自身が望んでいた世界なのだろう。本当に世界が見違えるように彩った。灰色の廊下も、ボロボロになった下駄箱の名前も、興味がなかった部活動の掲示物も、何もかもがくっきりと、クリアに見え、そして、なんとなくキラキラと輝いてみえるような…。
はぁ~…。風太たちと景色を見ながら息を吐いた。そして、肩の力が抜けると、口角が上がっていることに気づいた。
俺…笑えるじゃん…。
今まで、自分の中にあった黒い物が、すっかり消えてなくなったような気分だった。案外単純だな…。胸の奥にあった鉛のような重さも、軽くなっていることに気づく。もっと、話せば良かったのかもしれない。ば~かって笑っちゃえば良かったのかもしれない。一緒にいた風太に、少し甘えて見れば良かったのかもしれない…。
彼も、そうなのだろうか…。
目の前にいる温かい人たちを見ながら、自分の心が穏やかになってくのがわかる。こんなに、落ち着いているのはいつぶりだろう…。
「お父さんも…誰かに話してみれば良いんじゃないかな…」
陽彩は小さく、独りごちた。
「クリーム2」に続く