クーピーでいえば白(漆1)
【漆1】
「なんで?俺も行きたかった!」
雄三が叫ぶ。
「なんで母ちゃん一人で行ったんだよ。俺、明日行く。」
「雄…お前が行けばややこしくなるだけだ」
漢が、日本酒のお猪口を口へ運びながら宥めた
「喜美江も一緒なんだしよ…」
「だから、俺も行きたかったのに!ばあちゃんとキミちゃんと遊びたかった」
雄三は、口を尖らせて、地団駄を踏む。
「いい加減にしろよ、お前、来年中学生だぞ」
と、次男、卓二が参戦した。夕飯は近くのすし屋から出前を取り、男だらけの食卓。リビングに隣接する和室に全員が揃っていた。一枚板で作られた大きな和テーブルは漆塗りで、部屋の照明に鈍く光っている。
「中学だからなんだよ、関係ないじゃん。色々聞きたかったんだよ。何があったのか、どうしてシャワー浴びてたのかとか、なんで髪の毛切ったのか」
「聞くなって言われただろ?お前何もわかってないな」
「言うなって言われたんだろ?みんなに言うなって。俺が連れてきたとか、うちにいるとか、熱はないけど休んでるってことは。でも、聞くなって言われてない」
雄三は、自分だけ知らないことが許せない。どうしてみんな、自分を仲間外れにするのか。母親だってそうだ。俺には知らせてくれなかった。京志郎も知っていたのに…。
「…喜美江に聞くつもりか?」
と、漢は、くいっと手首を返して、お猪口の酒を飲む。
「そうだよ、キミちゃんしか教えてくれないだろ?みんな俺のこと仲間外れにするしよ。」
「はっ、仲間外れって、ガキくせぇな。そうだよ、あの子だって言わねぇよ。お前に言ったら、みんなに言いふらすからね」
あからさまに馬鹿にした顔をして、卓二は雄三に噛みついた。
「言っちゃダメなことは言わない!それくらいわかるよ。秘密だろ?キミちゃんと俺の秘密にすりゃいいんだ」
「あ~、なぁにが秘密だよ!気持ちわりぃな。お前、あの子を何だと思ってんだよ」
卓二は、さらに顔を歪めた。
長男、浩一郎は静かに鮨をほおばり、末っ子の京志郎は、二人を眺めながら事の成り行きを見ている。毎回のことだ。どうにも次男と三男のウマが合わない。年齢的な物もあるのだろうか、家族の中では慣れっこだった。
「…友達だろ?」
「友達ね…。お前はそう思ってても向こうはそう思ってないかもな。京志郎の兄貴ってだけだ。そんな人に秘密なんか教えてくれねぇよ、ばぁか」
「…なんでだよ!じゃあ、一緒に京志郎に聞いてもらう。友達なら言いやすいだろ?」
「お、俺、やだよ!別にほっとけばいいじゃん。ばあちゃんちから帰ってきたら、あいつ家に帰してよ!あんな女と一緒に住んでるのなんか、やだよ」
京志郎が慌てた。
いつもそうだ、いつも二人のいざこざに巻き込まれてしまう。関わりたくないから、なるべく遠巻きにして状況を見てるのに、どういうわけか雄三が自分の名前を出してくる。京志郎が遊びたいって、京志郎も言ってた、京志郎と一緒に…。
俺をダシにしやがって…。
京志郎は、雄三が苦手だ。浩一郎は優しいが、年が離れすぎていて遊べない。卓二は自分が一番だし、雄三は年上のくせに自分より幼い。両親も、末っ子の自分より雄三を可愛がっているような気がするし。なんとなく、雄三のせいで、自分の立ち位置が不安定で落ち着かなくなるからだ。
「…じゃあ、良いよ。俺が聞く。キミちゃん優しいからな、教えてくれる」
「聞くなって言ってんだよ!わかんねぇ奴だな。人には言いたくないこともあるんだよ。まして女だし、あんな母親の子供だし、お前が聞いたって意味なんかわかんねえよ!」
「どういう意味だよ。じゃあ、なんで警察に言うのか教えろよ!俺が連れてきたから?誘拐したことになってんの?俺、捕まるのか?」
アッハッハッハ…。
雄三を除く全員が大笑いした。
「え…?」
雄三は、ぽかんとした顔で立ち尽くす。
「お前…ほんとに馬鹿だな」
卓二は唇の端をあげて言う。
「なんっにも、わかってないんだぁ」
と、テーブルを挟み、雄三に向かって身を乗り出した。いよいよ、本格的に卓二の攻撃が始まりそうだ…。
「やめろ、卓。」
長男、浩一郎が卓二の胸の辺りを手で制すと、ぐっ、と卓二が口をへの字に閉じた。浩一郎の顔は穏やかに見えるが、自分を見る目は鈍く光り、奥にある強さ、そして内に秘める怖さをどこかに感じてしまう。
なんとなく、兄には逆らえない…。
そんな自分の不甲斐なさに、ふん、と卓二は、強い鼻息を吐いた。
「…雄三がしたことは良いことだよ。連れてきたことが問題じゃない。安心しろ。でも、喜美江ちゃんには聞いちゃダメだ。母親の彼氏って言う男が、喜美江ちゃんの身体に触ったんだ。それが問題なの」
と、浩一郎は雄三に優しい声で説明した。
ちっ…。また、俺が悪役だ。
卓二は、内心毒づいていた。
いつも、自分が止められる。あいつが何にも解ってないから、兄として教えてやろうとしてるだけなのに。兄貴はできるヤツだけど、優し過ぎて強く言えないから、雄三にもなめられてんだ。賢いだけじゃダメなんだ、男たるもの、ある程度毒気もないと、競争社会では生き残れねぇだろ…。
「雄…親子でも、親戚でも、兄弟だとしてもしちゃいけないことってのがあるんだ。子供を大事に抱きしめることは必要だ。でも、それ以外の感情で体を触ることは違う。」
これまで静観していた漢が話し出した。こうなると、兄弟たちは聞かざるを得ない。これまでが日々の流れだ。
「それ以外の感情?」
「雄、こっちへ来い」
漢はあぐらを掻いて手招きをする。雄三は、素直に従った。漢は雄三を膝の上に座らせ、後ろから抱きしめた。
「…どんな気分だ」
「ん~…安心する。かな…」
「おう。これは、親の愛情だ。お前が大事だから、な…お前を愛してやる…」
そう言いながら、漢は突然、雄三のハーフパンツの上から、股間のあたりをゆっくりと撫でるようにして触りだした。
ん、ん~ゾゾゾゾ…。
「何すんだよ!」
雄三は慌てて、膝から逃げ出した。父親だけど、何故か体中に鳥肌が立ったのだ。
「何で逃げる。お前を愛してんだよ…。だから触らせろ、ほら」
漢はなおも、雄三の足を引っ張り、ズボンを下ろそうとする。
「やめろよ!…気持ち悪いよ、なんでそんなこと…」
バタバタと抵抗し、雄三は暴れ出すが、はた、と突然動きを止めた。
「…そう。嫌がってるのに、無理やり触ろうとする。服を脱がそうとする…笑いながらよ。大人の男が、子供の身体を弄ぶことは犯罪だ。」
「…そんなことされたのか?きみちゃん…」
雄三は、目を丸くして立ち尽くした。
「あんなのわかるだろ?普通じゃねぇよ。気持ち悪っ!あいつやべぇよ」
京志郎が叫んだ。
いつもそうだ、雄三は何もわかってない。俺だってわかることなのに、周りが噂して、悪口言われてる奴なのに、仲間外れは可哀そうだからって、いつも誘うんだ。俺の友達だろって、俺の名前出して!
「あの母親の子供だぞ!そういうことしてるのわかるだろ!なんで、俺よりモノ知らないんだよ!だからあいつと遊ぶなって言ってんのに…」
「きょうしろおぉっっ!」
漢の声が部屋中に響いて、全員が身体を震わせ、息を止めた。
「喜美江と母親のことを一緒にすんな…。勘違いすんなよ?悪いのは襲った男だ。小学生のガキの身体を触って喜んでる異常者だよ。犯罪者だ。その男に金で体を売ってんのが母親だ。大人が悪い。喜美江は悪くない!覚えとけ」
また、俺が怒られる…。
京志郎は思っている。
雄三が正しいのは知ってる。喜美江が悪くないことだってわかる。でも、俺だって学校で変なこと言われる。喜美江と付き合ってるとか、好きなんだろとか。だから遊びたくないって言ってるのに、両親はわかってくれない。じゃあ、と、雄三から離れようとすると、今度は怒りだす。雄三を仲間外れにするなって…。俺は、どうしたら良いんだよ。
京志郎は、力なく項垂れた。
「…だ、けど、やってることは一緒だろ?イヤなら逃げりゃいいんだよ、馬鹿みてぇ」
卓二は、ふん、と少し鼻で笑った。一瞬でも、父親の威圧感に怯える自分が悔しかったが、隣で兄もビクッとしたのには内心ほくそ笑んだ。偉そうにしてたくせに、父親には何も言わないし、やっぱり怖いんだな。と。
だが、自分は違うのだ、強さも賢さもあるのだ、そう言いたかった。
「…卓よ、お前はホントに馬鹿だなぁ」
漢は言う。その声は低く、少し口の端は笑っているように見える。
「お前ら良く覚えておけ。人間の本能だ。男ならだれでも持つ欲望だ、お前らもあるだろ?それは、隠すことでもないし、普通のことだ」
静かだが、ゆっくりと卓二を睨みつけながら話す父親の目が怖くて子供たちは動けなくなった。浩一郎が弟たちを手で制して、テーブルを挟み漢の前に静かに正座した。これも、いつものパターンだ。
「好きな女がいてよ、…男でも良いけどよ、そいつに触れたい、抱きたい、それは普通だ。だからお前らが出来たんだ。子孫を残すという動物の本能だしよ、やるなとは言わない。雄…なんで喜美江に話を聞きたい」
「…俺?」
突然聞かれて雄三は目を丸くする。だが、考えなくても答えが出た。
「心配なんだ。いつも笑ってて優しいきみちゃんが、あの時泣いてた。涙の跡があって…。なんかあったんだろうけど、すぐには聞けなかった。きみちゃんの、目が良くなかったから」
「目?」
卓二は片方の眉を上げた。
何言ってんだこいつは…なんで聞きたいのかを聞かれてんだよ、その答えになってないだろう?どんなことされたのか、詳しく聞きたいって素直に言えば良いのによ。カッコつけやがって…。
雄三の言動が、卓二にはイライラしてしまう。うそつくな…と、言おうかと思って息を吸う…。
「良く見てたな。偉かったぞ」
漢が雄三を褒めた。
なんで?卓二のイライラは止まらない。えらい?何が偉いの?は?
「あの時、お前が喜美江に何も考えず何があったのか、なにをされたのか、色々聞いてたら、今あの子は生きてないかもしれない。」
「どうして?」
「友達に知られたくなかったんだろ?シャワーしたり髪切ったり…なかったことにしたかったのによ。お前らに知られて、そのまま他の子に知られたらよ…。京、あの時、お前だけならどうしてた」
「…」
京志郎は答えない。きっと、友人たちに言いふらして、馬鹿にして笑っていただろうからだ。あの母親のしていることも、出入りする男たちの噂も耳にしていた。まさか、喜美江も?と、子供の面白い噂話の一つにして大騒ぎしていた。
「助けないでほっておいて、友達に面白おかしく言いふらしてただろうよ。なあ?」
「…はい」
京志郎は、消え入りそうな声で答えた。雄三は目を丸くする。
だって、友達なのに?体が冷たくて震えてて…
「ほっておいたら死んでたよ。良いか?雄は、まず喜美江の命を守ろうとした。それがどういうことかわかるか?京、卓二もよ…」
当たり前だろう?泣いてたんだ、やさしくて可愛いきみちゃんが。弟の友達で、仲良しの子で、いつもと様子が違ったからびっくりしたけど…。
雄三は、京志郎たちが何故怒られているのか、わからない。
「雄、今どういうことかわかったろ?この後どうする。喜美江に話聞くか?」
「…うん、でも、きみちゃんが言いたくなったらでいい。」
「それまではどうする?」
「元気になるようにする。きみちゃんいつも笑ってたから、笑わせるよ。俺…カッコいいこと言えないからさ。面白い顔とか、漫画見せて話する。」
「卓二よ、お前は何て言った?」
「…いつの話?」
「馬鹿みてぇって言っただろうよ。喜美江のことを…」
「だ…ってそれは、イヤならやめてって言えば良いじゃん。暴れて逃げれば?大体、あんな母親の子供だしさ、やってみたかったんじゃないの?自業自得だよ。なのになんで助けようとするの?なんで庇うの?あいつらが悪いんじゃん、なんで俺が怒られるの?」
なんで、急に俺が攻撃されてんだよ。
卓二は、慌てた。ちょっと迂闊な言葉を発したかもしれない。
「何について怒られてんだよ…」
「馬鹿みてぇって…言ったから。悪い言葉でした、すみません。…でも、俺たち関係ないじゃん。うちと違って貧乏だし、片親だし、下品だよね。だからあんなことになってもしょうがないよ、あんな家の子、やられて当然…」
バチーン!
音と共に、卓二が畳の上に飛んだ。
食卓の寿司桶の一つがひっくり返り、テーブルにぶちまけられる。艶のある黒く光るテーブルに、ゆらり、と、漢の姿が映り込んでいた。
「な…んで?」
卓二は、目を丸くして横たわっていた。自分の状況が良くわからないでいる。兄弟たちは硬直したまま、目玉だけキョロキョロと動かした。
「偉そうなこと言ってんじゃねぇよ。お前、何のつもりだ。」
漢は、ふらふらと身体を揺らせて、ゆっくりと卓二へ向かってくる。
卓二は、じんじんする左頬を抑えながら、横向きのまま身体を引きずっている。
早く…逃げないと…。
兄弟たちも卓二自身も思うが、漢の雰囲気に飲み込まれてしまい、思うように体が動かない。
「やられて当然?ああ、てめぇはそういうヤツか…。よぉく、わかったよぉ…」
漢は、逃げようとする卓二の腹に、ドン、と、またいで座った。
「う、な…なにすんだよ…やめろよ」
「イヤなら逃げりゃ良いじゃんよ。おら、暴れろよ。お金持ちのおぼっちゃまぁ」
言いながら、漢は突然、Tシャツをビリビリと手で引き裂き始めた。
ヒィッ…。
恐怖で声にもならない音が漏れる。細身の卓二の身体は、あばら骨が浮き出て、色白で華奢だ。
「な、何するんだ…」
それでも意地になって、手足をバタバタと動かして必死で抵抗するが、筋肉質な父親の身体は重く、びくともしない。うん、ああ…変な声も出る。
漢は片方の腕で、卓二の両手首を床に押さえつけ、もう片方でジーンズのベルトに手をかけ、はずし始めた。
「ひぃ、やだっ、何だよ…」
いつも強気の卓二もさすがに半狂乱だ。中学生男児…こんな辱めを兄弟の前で受けることなど、一番のストレスだろう。必死の抵抗もむなしく、ジーンズのジッパーは開けられ、トランクスがあらわになる。漢はおもむろに、そこへ手を…
「ひやぁあ…」
顔をこわばらせ、卓二が声にもならない叫び声を出した。
やべ…、へんな声出してやがる。いつも偉そうにしてるからだ、ばぁか。ざまあみろ。
そんな様子を見て、四男、京志郎は内心笑っていた。
下を向き、漢にバレないように少し笑う。小学生だ、いつもと違う出来事はイベントの様な物。しかも、こんな…。
男兄弟の末っ子で、雄三よりも下。いつでも馬鹿にされ悔しかった。特に卓二は自分が一番だと思っている。
浩一郎にはかなわないくせに、雄三と俺には強気で…。だけど、結局馬鹿なんだ。あんなことを父親の前で言ったら怒られるに決まってるのに、なんでわかんねぇんだよ、こいつもクソだな。勉強はできるかもしれないけど、賢くない。うまく隠してやり過ごせば良いのに…。
「やめてよ!」
そう、言ったのは雄三だ。漢は、ピタリと動きを止めた。
「可哀そうだ。父ちゃんはそんなことしちゃダメだろ?卓の記憶に残っちゃうよ…」
「こいつが逃げりゃいいんだよ…」
「動けないようにしてる。意地悪だ。父ちゃんは大人で、力が強い。そんなのずるいだろ」
漢は、すっと力を緩め、卓二から降りた。卓二は寝ころんだまま腕を顔に当て隠したが、悔しさと、恥ずかしさ、そして…。
なんでだよ。なんで雄三の言うことなんか…。
いろんな感情が湧いてきて、卓二は泣き出した。
「…どんな気分だよ、卓二。気持ちいいか?」
「…う、う、むかつくよ!ぶん殴りてぇよ!あああ!」
卓二は、全身をバタバタと床に打ち付け叫んだ。
「…小さい女の子が、どんな思いでいるかわかるか?しかもよ、一番近くにいた母親にまでひっぱたかれて…それでもお前は、しょうがないって言うのか?」
浩一郎が、自分のはおっていたYシャツを卓二に掛ける。卓二は、胎児のように、丸く小さくなって泣いた。
「こういうことがあって当然だなんて思うな!気づいて良かったな。お前も犯罪者になるところだったかもしれねぇよ…」
と、漢は自分の定位置に戻ると、ドスンと胡座をかき、日本酒を飲みだした。
雄三は、ふと思い立って、部屋の押入れを開けた。
確か…ここにあったはずだけど…。
何かを探しているようだ。漢は、卓二を見据えながらも、そのほかの兄弟の動向も、横目で見ていた。
「性欲って言うのは人間が生きているうちに必要不可欠だ。関わらないわけにはいかない。ただ、それをどうとらえるかで変わってくんだよ。卓、男だからって勘違いするなよ。良いか?相手をきちんと思ってするSEXと、自分の欲を満たすだけのSEXは違う」
せっくす?
雄三は聞いたことがあるが、あまり良くわからない。でも、たぶん子供を作る行為のことだろうとは思うが…。
「欲望のままくだらない男になるな。自分の下半身に責任持て。かっこいい男でいろ。京、まず、人を思いやれ。噂話に振り回されるみっともねぇ男になるな。家がどうとか…金があるとか、そんなもんで差別するような奴らは、人間として恥ずべきことだと、覚えておけ」
「…はい」
「今、何で笑った。」
「…え?」
「卓二を見て何で笑ってたんだよ。」
「笑ってない…」
「俺が気づかないと思うのか?にやにやしやがって、卓二が俺にやられて泣いてるのがうれしかったのか?」
「…違う」
「なんて言うんだよ。」
「ごめんなさい」
「違う…。」
「…もう、しません?」
「何を」
「二度と、笑ったりしません。」
「簡単に言いやがって。なんで笑って怒られてるのか聞いてんだ。いつか、足元救われるからな?良く考えろよ。人がいじめられてるのを見て笑ってるのは、異常だ。お前も紙一重だと思っておけ。」
「…異常?」
「人を泣かせて楽しむなんてのは、病気だ。心と頭が病んでる。狂ってるんだよ。そういうヤツになりたいのか?」
「なりたく…ないよ!」
「誰かを馬鹿にして笑うほど、お前はすごい奴なのか?お前に何ができる?この先どういう大人になりたいのか、よぉく考えて生きろ。」
卓二は泣き、京志郎は落ち込んだ。
雄三は、京志郎が可哀そうに見えた。4年生だもん。そういうの良くわかんねぇよな、と…。
「…警察にはね、雄」
静まり返った兄弟たちを横目に、浩一郎が、穏やかに話し出した。
「喜美江ちゃんのことを伝えるのかってこと。相手の大学生と母親を警察に突き出すかどうかって言う話。」
「でも、犯罪…なんだろ?言わなきゃダメだろ」
「それによって、喜美江ちゃんがされたことが、いろんな人に広まるんだ」
「それは…良くないのか?」
「あたり前だろ。学校中で噂になるぜ。」
と、言うのは京志郎。雄三は、さっき聞いたセックスのことを、京志郎は分かっているのかが気になった。
自分も良くわからないのに、京志郎は知ってるのかな。そういうの、どこで教えてくれるのかな…。
「母親が捕まれば、喜美江ちゃんは親戚の家とか、どこかの施設に行かなきゃいけない。引っ越しとかもあるかもしれないね。心の状態も不安定だし」
「…キミちゃんいなくなっちゃうのか。でも、悪いことは悪いだろ」
「そうだな、喜美江がどうしたいかだけどな…。おい卓!悪かったな。お前は少し自分を過信しすぎだ。勉強ができることと、利口なのは違う。お前も自分のことを良く考えろ。」
小さくなって寝転がる卓二に漢が言う。卓二は、ふてくされてはいるが、兄弟たちのやり取りを冷静に考える時間が出来た。
自分を過信しすぎ…。
私立の中学校を受け、都内まで通っている。地元の公立の奴らとは違うのだ、親父は社長で強く、地域でも一目置かれている存在だ。
その息子、家は大きく、裕福で幸せ、自分たちは特別な存在だ、そう思っていた。兄弟の中でも…浩一郎は優秀だが、雄三は馬鹿だ。自分と一つしか違わないのに何も知らないし、勉強もできない。ノートを取ることすら下手だった。その下の弟の方がまだいろいろわかっている。
親戚の間でも、父親の会社の人間からも、上二人は優秀、京志郎も将来有望、でも雄三は…。最初は戸惑ったが、次第に自分はすごいのだと思い始めた。
なのに、両親はことあるごとに雄三を褒めた。
祖母の誕生日に手紙を送ったとか、道端のゴミ拾いをしたとか、動物に優しいとか…。
そんなの、どうでもいいのに!生きていく上でどうでも。
勉強ができて、良い大学へ入って、大きな会社へ勤めて金を稼ぐ…それが価値だろう。良い女と結婚して、跡継ぎを産ませりゃ、男として最高だ!
自分を考えろ?知ってるよ、優秀だろ、頭は良いし、運動もできる。
雄三はどうだっていうんだ…。
「心配なんだ。目が良くなかった」
「元気にするよ。笑わせる。」
「可哀そうだ、卓の記憶に残る…」
「意地悪だ、ずるいよ」
「犯罪だ、言わなきゃダメだ」
まず、喜美江の命を守ろうとした。それがどういうことかわかるか…。
…ああ…
そういうことかなぁ…。
ふわりと、卓二の身体に優しい温かさが降りてきた。淡い黄色の…薄手の毛布の様だ…。
なんだ?
「これサンキュ、でも風邪ひいちゃうからさ、このくらいかけた方が良いよ。」
言いながら、浩一郎にYシャツを返したのは、雄三だ。さっき、押し入れでこの毛布を探し出していたのだ。
京志郎は、雄三の姿に、また落ち込んだ。
なんだよ、こいつ…。いっつも、おいしいところ持って行きやがる。
「卓、Tシャツ持ってくる。部屋入るけど良い?」
と、ドアを開けて自分の部屋へ向かっていく雄三の姿を、卓二は、寝転びながら静かに目で追った。
俺、馬鹿みたいじゃん…。また雄三が褒められる。ずるいよな、良い子のふりしちゃってよ…。そんなに褒めてもらいたいのかよ、俺、あんなひどいこと言って馬鹿にしたのに、ほうっておけば良いだろう…。
俺のことなんかさ…。
思いながら、目に涙が溜まってきて、卓二は慌てて毛布にくるまった。
「漆2」に続く
※お暇なら読んでね話
この話の設定は、喜美江さんの幼少期、昭和40年~50年代くらいです。躾の一環で子供は良く叩かれたり、罰を与えられたりしました。学校でも、家庭でも大人には逆らえない環境が普通でした。
また、女の子、女性という存在が今よりも雑に扱われていて、喜美江さんのようにつらい思いをした人は多かったと思います。学校や警察などに言っても取り合ってもらえないことがほとんどで、恥ずかしいから言うな、黙っていろ、良くあることだ…。ここでの表現で不快な部分があったのなら、そういう時代だったと思って読んでいただければと思います。
今、あらゆることが明るみになる世の中で、過去の記憶が蘇ってきている人が多いのではないでしょうか。あの時声を上げていれば今の自分はもっと違っていたのではないか、今なら自分も言えるのでは、と思う人がいるから、これから先、もっといろんな物が湧き出てくるかもしれません。
その反面、忘れているだろう、もう、忘れてくれよ、と思っている人もいるでしょう。過去のことなんだから、今更…と。
ですが、あったことは事実で、なかったことにはなりません。
忘れよう、赦そう…。それはつらい思いをした人たち、が決めることなので、誰かにそれをした人たち、は大変だろうなぁ、と思っています。
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