ささいなこと。
この なんでもなさ にみている
さまざまな 出来事/現象すべて
ささいなこと。
ささいなこと=どーでもよい と言ってしまうと
ちょっと乱暴なかんじになってしまうけど
どっちでもいい。
どちらでもいい。
どれでもいい。
なんでもよし。
たとえば、
一流とよばれているようなホテルや旅館にいくと
お部屋もロビーも庭もサービスも
スーーーッと ピターーーっと
収まるべきところにすべてが収まっていて
それをよく
「 洗練されている 」
とか表現したりするのだけど
この状態にもっていくには
このどーでもよい「ささいなこと」に気づいて整えていく
ということをしていくと、そうなる。
禅寺のお庭なんかもそう。
お寺って隅々まで掃除が行き届いていて
とても澄んでいて、気がいい。
逆にそのどーでもよい「ささいなこと」に気づかなかったり、
ささいなことを「 放置する 」ということが極まっていくと 汚部屋 になる。
ここが なかなか面白いなー とかんじるところ。
結局、そのどちらでも、どれでもいい。
どちらでもいいというか、
良いとか悪いとかを超えてそうだから。
ささいなことを「ささいなことではない」
としている観念があったりなかったりするだけ。
そうであるだけ。
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