【輪るピングドラム】映画前編と展示会を見て。【サンちゃん愛が爆発】ペンギンちゃんたちについて。
ペンギンちゃんたちを中心に。
展示会、映画ともにネタバレしてます。
ペンギンたちって決して対応する四者の性格に対応はしていないのですが、彼らの魅力を引き出す意味で非常によい働きをする。
例えば、1号と冠葉なら、冠葉は1号もといペンギンたちを「パシリ」としつつも、その一番近いところにいる1号の手を絶対に離さないのですよ。
トラックに引っ掛かったペンギン帽子を追いかけるときも、テロリストとして重傷を追って真砂子に庇われ退陣する時も。食卓を共にする存在が、彼にとっては「家族」にも等しい存在なのかもしれません。
メタ的な視点になって申し訳ないですが、「懐に入れた人物は(雑な扱いをしつつも)大切にする」って姿勢、まんまジ◯イアンなので、そういう意味での採用もあったのかなと今では思います。
まだ駆け出しだった頃、一新した「ドラえもん」の主要人物として抜擢された彼の、次作がこのピングドラムでした(そこまでも数年間がある)。ドラえもん起用時は未成年でしたっけ?
私は(これまたあまり)声優さんにも興味がないので、ピングドラム放送当時にTwitterをやってて彼が「きれいなジャイアン」と言われなければ、その関係性に気付けなかったと思います。現に、キャストの中では一番若く、演技も(正直)拙かったように思うのですが、10年の時を経て、その表現力、演技は軒並み持ち上がり、(音声全取り直しであろう)リサイクル劇場版と放送版では明らかにその表現の幅が異なり、示される先のテーマについても期待値が爆上がり調子です!
そんな中での我らがサンちゃん。3号ペンギン。
この子だけ、ペンギンずの中で愛称がつけられています。それが、幼少期に晶馬と共に匿い育てていた子猫の「サンちゃん」に通じ、その由来は陽毬の名前の由来である「太陽」に繋がります。
さらにいえば、あのラーメン屋さんも元の名前も「三ちゃん」なのですよね。「3」はさまざまな宗教において神聖な数字ですが、やはり母神的な存在なのかなとわりとマジに考えてしまいます。
編み物もできるし、料理もできるし、おしゃれもできる。実に多才なペンギンちゃんです。いつも一緒にいてくれるサンちゃんと陽毬はとても仲良しです。元々友達が少ないこともあってか、冠葉と1号以上の関係の深さを感じます。
ペンギンたちの生命もまた彼らに連動していて、陽毬が死にかけるとき、サンちゃんの体もまた透けていくのですが、あのシーンは本当に何度見ても心に悪いです。病院では、心配するように1号2号が寄り添っているのがまた辛い。
陽毬が冠葉を助けるためにその命を返すシーンで、倒れながらも「ごめんね」というところ、そのサンちゃんの慈愛に満ちた表情よ…!
そして、2号もとい晶馬です。
この一人と一匹の関係はどうにも曖昧で、晶馬は陽毬や冠葉ほどペンギンたちを受け入れているように見えません。
元々ネガティブなタチなので、晶馬サイドの話は苹果ちゃんのエキセントリックさと冠葉のスケコマシエピソードを抜くと、暗くなりがちです。その緩衝材の役目は果たしているのかな、と。池の鯉を食べたり、ゴキジェット振り撒いたりと、わりと自由に動いています。
なんかこうやって書き出してみると、もしかして晶馬がいるから自由にやれるのかもしれないなとも思うので、2号は反面的なキャラなのかもしれません。
同時に「得体の知れない他者を受け入れるかどうか」の姿勢の違いでもあるのかとも感じました。陽毬や冠葉はそれを自然と受け入れている。なぜなら、彼らには過去に養子として高倉家に受け入れられた経験があるからです。
晶馬が剣山と千江美の実子ではない可能性も考えたことがあるのですが(ブロイラーらしきところにいたシーンで邪推してしまった)、エピソードの弱さから逆にそれはないだろうと感じました。アニメの中で高倉家の父と母の話を支えているのは養子である冠葉と陽毬で、このエピソードは彼らに血の繋がりがないと明かされる前に出てきます。彼らにとって「良き両親」は多くの人間を無差別に殺すことができた「テロリスト」だったというのが、だからこそ辛い現実として立ち上がる。どんな親でも、彼らは父を、母を、それでも慕っているわけです。
一方で、実子たる晶馬はかなりはっきりと両親に対して「拒絶」の意を見せます。両親の罪を、血の繋がりゆえに一番逃れられない位置にいるのが彼です。両親のエピソードは他の二人に割かれましたが、そこに現れる晶馬の姿もまた「愛されている子ども」として充分に考えられます。潮干狩りのエピソードも、水族館のエピソードも。嵐の夜に飛び出す瞬間、母に抱き止められた姿も、彼が普通に愛されて育ったことを裏付ける。
ゆえに、晶馬は両親の罪で他者から糾弾され、偽りの家族である陽毬と冠葉と生きていくしかなかった。家族を最も必要としながら、その根幹である両親を拒絶するという矛盾が、彼にはある。
そう、晶馬だけ「家族以外の人間に受け入れられた」という経験がないのです、おそらくは。2号に対する彼の距離感はそんな「他者」との距離感に通じているように思えます。
そこを踏み込んでくるのが、荻野目苹果なのですよね。ぐいぐい来ます。一度は拒絶されますが、想いは止まらない。強いです、この子。
そんな苹果のまっすぐな気持ちを受け、晶馬も「他者」を高倉家に引き入れるようになります。
さて、最後にエスメルダについて。
真砂子のパートナーペンギンですが、一人だけ種類が違うこともあり、3匹からあぶれがちです。ですが、彼らが来たところは帰るところが一緒なので同じ存在なのだろうということはわかる。
アニメ版の消化不良な点ですが、陽毬にはサンちゃんがいるのに、マリオにはペンギンがいない。夏芽家サイドでペンギンがいるのは、真砂子だけです。
「エスメラルダ」という愛称も、その真砂子がつけたのかな? エメラルドという意味らしいですが、戦艦の方を思い起こしてしまいました。「運命の子ら」とされる冠葉、晶馬は緑の目をしています。関連があるのかな?
高倉家の3匹ほど描写がありませんが、その関係性の在り方は1号3号に近いものがあります。冠葉の実の妹としての、その片割れとしての混合のようで興味深い。
マリオのエピソードがともかく弱いので確かなことは言えませんが、夏芽家サイドは最初から桃果の「運命」ではなく、眞悧の差金で現れた対抗勢力なのかも知れません。だから、陽毬のペンギン帽を模してはいても、真の力はないし、マリオの生存云々も元から眞悧が裏で操っていた可能性も高い。
このあたりも、劇場版ではきちんと明かされるんでしょうか?
後編に期待ですね!