【感想】関心領域【音で知る映画】
たまたま新聞を読んでいたら、話題にあったので気になって鑑賞。
しばらく映画館を離れていたので、鬼○とか○術とかの劇場版の副題か何かだと思っていましたw
6/1に鑑賞したのに、感想を書き上げるのに結構タイムラグができてしまったのが、今回の反省。
上記の新聞記事で、ある程度の概要を知ってから鑑賞したということもありましたが、開始数分でもう嫌な感じがヒシヒシ、ヒシヒシ。
見終わってから、しかし、これは確かに賛否両論、全国ロードショーでやる映画にしてはかなりニッチな作品だな、という印象もありました。本来は、ミニシアター系だろうに。
映画の意図としてはわかりやすい。しかも、映画館で見たのなら、なおさらに。キーは「音」。戦時下の日常を淡々と過ごすヘス一家のBGMは何なのか。ここに尽きる。
ヘス一家は、夫婦と乳飲み子含めた子ども5人、そして黒い犬と、数人の使用人たちで暮らしている。「音」さえ除けば、物語はどこにでもある普通のご家庭の話である。
象徴的なエピソードは、家長ルドルフの配属先が変わった時のこと。夫の仕事の都合で、僻地に引っ越してきた。当初は原っぱでしかなかった場所も、夫人が苦労して庭に整え、プールをこしらえ、子どもたちを養育するのにも「理想の環境」を作り上げた。その途端、再び、夫の転勤話が出る。「あなただけがそこへ行けばいい」なんて、まさに単身赴任で揉めるご一家そのもの。
しかし、映画を見ている側としては、「え? 収容所の横が、子どもを育てるのに最高の環境?」と目をひん剥いてしまう。常に響く機械音、銃声、誰かの叫び声。常にその音が耳につく。画面越しなのでわからないが、きっと匂いもそれなりにあったと思う。
彼らがこの環境を享受できたのは、壁の向こうに「無関心」だったからだろうか? タイトルをもじって、このキーワードをよく見るが、私は逆だと感じた。彼らは、壁の向こうに「関心」はある。ただ、それは搾取できる対象として。
映画冒頭の毛皮をまとう夫人、ご近所さんたちとの会話で出てくる「カーテン」の話、夜中にベッドの中で囚人から取ったであろう金歯を眺める息子。他にも、一家の豊かな生活を支える様々なもの。これらが収容所の搾取から得られたものだろうことは、想像に難くない。
夫人の母が家を訪れたことがあったが、当初の予定よりも早く、メモだけ残して、早々に帰ってしまった。彼女は壁の向こうから聞こえてくる「音」に耐えきれなかった。
娘の一人は夢遊病のような症状を見せているようで、玄関の出入り口で寝入ってしまう(この子と、作中のリンゴ少女は別な子?)し、一家の中で一番小さい赤ちゃんは夜中ずっと泣いている。単なる夜泣きなのか、異常さを感知してなのか。
この環境で、しれっと生活している人たちは、耳が悪いわけじゃない。彼らが音を頼りに生活していることは明らか。物音で犬や子どもが悪さしていることを、母親や乳母は感じ取っている。だから、意図的に壁の向こうの音は切り離している。
やだなぁ、と思ったのは、ルドルフが転勤した後、雪降るその地を歩くシーンで、なぜか耳にこびりついた壁の向こうの音がずっと耳についていたこと。あれはそういう演出なのか、私の「体験」なのか、あるいはルドルフ自身の「体験」なのか、もうよくわからない。
この「境界が崩れる」ということを、映画は手を変え、品を変え、まざまざと鑑賞者に突きつける。パーティーの最中、狭い部屋の中にいるたくさんの同僚やその家族の群れを見ながら、「どうやってガスで全員を殺せるかを考えていた」というルドルフには、もはや収容所の外と中の境界がない。自身にその自覚があるからか、その帰りの長い長い階段を降りるシーン、彼は何度も嘔吐する。そして、長い廊下のその先には、現在のアウシュビッツ収容所に繋がる。映画と、現実の境界すらも、もう曖昧だ。
「壁」の向こう側の悲惨さに気付きながらも、あなたたちもまた搾取しているのではないか。
この映画は明確にそうしたテーマを突きつける。