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旅するスバル パリ日誌

1 . パリ6区とテュールリー・ガーデン

2020 年 1 月 24 日に最初のコロナ感染者がフランスで確認されてから、
1-2 ヶ月 間にフランス全土に瞬 く間に広まりこととなった。

ボクの生活は相変わらず楽しかった。日本人母の手作りごはん、
ボクの大好物はフランス風の牛丼かな?
オリーブオイルで炒めたビーフとブロッコリーの蒸しに、
イタリアン・リゾットライスが温かいうちに、
ノルマンディーのdemi-selのバターが溶けて、フワッと香るのが大好き。
毎日変わるご飯だけど、これが1番好き。

森への週3回のボクのドッグクラブ、アルファ・ドッグ・ハウスの送迎のバス付き朝から夕方までのウォーキングに同じエリアの友達、パリは20区で編成されてて、アルファ・ドッグ・クラブは8区にあるので、1区から8区の犬が多く、その
カルティエ(エリア)毎に、1人のエリア・ドッグウォルかーが6匹くらいつれ、合計8から10のカルティエ(エリア)で60匹かそれ以上になる時もあった。
夏にはノルマンディーの海、冬は主にノルマンディの山登り連れて行ってくれるんだ。
帰ったらすぐに、天然重曹とクエン酸のお風呂に入り、
食事をしてその後すぐにうとうと、朝まで眠ってしまうことがほとんどだった。

森のウォーキングがない日は、家の半分のアトリエで働くママと一緒にずっといた。ママはオーガニックの香水や化粧品、CBDソープのオリジナル・ブランド、SUILO(日本の水路から得たアイデア)の仕事と、
化粧品会社の広告の仕事をフリーでやっていた。
ランチにはボクのランチ・ボックスを持参して、カフェやレストランで
ママの友人の楽しいゲイの人たちとお昼過ぎまで、ランチと食後の散歩を楽しんだ。少し歩いて、セーヌ川の左岸側を歩く時もあれば、ルーブルまで行ってチュールリー・ガーデンでピクニックする時もあった。
パリでは、5スター・ホテルであれ、レストラン、もちろんカフェでは当たり前だし、ルイ・ヴィトン・グループが経営する百貨店のボン・マルシェであれ、路面店だって、エルメスでもシャネルでも、
どこでも犬は歓迎されるし、フランス人は大の犬好きが多い。
人間より犬が好きという人が多い素敵なところ、パリ。

2. 僕の愛する友人たち


朝のお散歩は、アパルトマンのジャコブ通り(rue Jacob)から、
同じ通りなのになぜか名前が変わる、
ユニヴェルシテ通り(Rue de l'Université )まで数分歩いて行って、
ジャックラッセルの女の子インディア(India) と
アーフェン・ピンシャーのミッツ(日本語で3歳という意味)
とその家族のアルノーやウェレナやパスカルたちと、どこかの家の下で落合い、テュールリー・ガーデン(tuilerie garden) まで
おしゃべりしながら行くんだ。グチも多いけどさ。
ボクもママもおしゃべりが大好きなんだ。朝からね。
その後、ボク達が森へ行くときは、アルファ・ドッグ・クラブ(Alfa Dog Club)
のオーナーでサントノーレ通りに住んでいる
ヴァージニがテュールリー・ガーデンに来て、僕たちをピックアップするんだ。
夏はエアコン、冬はヒータが車内のルームに行き渡り、新鮮な空気も入る、特別な建築家とデザイナーにデザインされたバスに乗って森か海に行く。
ママ達は僕たちを送り出した後、朝食を日本のカフェ、
cafe KITSUNEでとるようだ。
パリでジャポン=日本、のものはなんでも人気があるんだ。
犬のクラブのオーナー社長のヴァージョニはモードの有名なPR会社も経営しているのでいつも電話が鳴り続いていた。
彼女は有能なんだろな、きっと。素顔で綺麗だけど、怒ったら怖いんだ。
いつも彼女の養子犬のアルコは喧嘩早くって叱れているけど、ボクを守ってくれるんだ。ロットワイラーと喧嘩して耳が噛みちぎれてもまだ闘志を燃やし立ち向かって行った。
セクシーなアルコ。喧嘩で耳から血が噴き出した時は僕もママも泣いちゃった。
ヴァージニがドクターに連れて行ったので、今はもう完治しているけど。
知らない犬が僕に飛びかかってきた時なんて、その犬が僕に触れる前に
すごいジャンプでどこからでも入ってきてくれる。きゃーカッコいいっていつも思うの。 アルコが大好き 僕って男の子も女の子も好き。
憧れなのか、僕がバイセクシャル、エテロ・セクシャルなのかはまだ未経験で不明だけど。彼は僕がクラブに泊まりに行くときは、いつもお兄さんのように優しくって、僕は彼が眠っている間に彼のベッドに忍び込むの、彼の匂いが大好き。
ヴァージニのもう一人の犬で長女のマリスはダルメシャンで珍しい茶色の女の子。
彼女は恐るべき美しいリーダーで、全てを取り仕切るのが大好き。
よく新入りの他の犬を睨んでいるけど、綺麗な子だよ。
ダルメシャンはメディアのせいで、黒と思われ、茶色やグレーの子たちも殺されていたそうだ。今もね。
まだまだ残酷な人間も多いからさ。

そしてもう一人の友達、アフガン・ハウンドのバブ(Bab)はうちのお隣になる7区に住んでいる。彼は典型的なおぼっちゃまで、ママのフランシスもとてもパリ的で楽しくも強い人。彼女はいつも恋愛中さ。彼女のボーイフレンドは必ず(笑)超リッチで、ウチが近いから、夕方デート前に出会うことがあるんだけど、まーゴージャス!なドレスのお姿で、甘くてセクシーな香水が漂う典型的な左岸のパリジャンかな。

ボクが森のウォーキングに行かない日は週に四日くらいあるんだけど、そのときは、ママが外へRDV(ランデブー)に行くときはレストランであれ、ホテルであれ、ラボであれ、撮影であれ、植物園であれ、ほぼ全てにボクを連れて行ってくれるんだ。
いろんな人と出会うのも大好きだ。ボクはとても社交的だから。
天然植物やエッセンスをベースに香水やスキンケア、コスメ作りのママの会う人たちはみんなシックな人だった。だってパリだしね。女性は意識が高く、スリムで、もちろん美人。
香水やモード業界は、男性は綺麗なゲイの人が多い。ボクを撫でるその手も、
姿も美しい人が多かった。
ボクにたくさんのハグとキスをくれた。
いつもいつも。
僕はいつも彼らにハグされるのが大好きだ。
パリの友人たちは、犬も人間も僕にとっては、忘れられない思い出となった。

3. 新型コロナ・ウィルス


2020年3月 コロナをパリで実感する時間が来た。
ボクは3歳になる前だった。
誕生日は3月28日でボクは牡羊座だよ。情熱的なタイプなんだ。へへ。
ボクは3歳になる前だった。
3月が来て、誕生日になるころ、ママは急に忙しくなった。ママの国、日本へボクと行くようだ。
日本語でよく、日本へ電話をするようになった。
もちろん、ボクは行くんだ。一緒に。どんなところなんだろう、日本って。

2020年3月28日 僕の誕生日
ヨガの先生をやっている、元モデルのインディアのパパじゃない方の、
アルノーが来て、
僕の誕生日を祝ってくれた。
米粉とバターとお肉が入った、ミンス・パイにキャンドルが灯され、
なんか照れるよね。
アルノーが本当に日本へ移動するの?嘘でしょう?誰も知らないのよだって、と心配そうに、ママに聞いている。
きっと僕たちがパリから居なくなるのを寂しく思ってくれている感じかな。
 ママも日本への引っ越しはこれまで考えたこともないと思う。コロナが新しい発想を産んだ感じ。
次の日、僕は獣医のカムス先生のところへ行った。
日本への気が遠くなる書類と義務にママはすでに目が回っちゃいそうだ。ほんとにいけるのかな?
僕は日本行きの混合ワクチンと狂犬病ワクチンを接種し、2週間後と180日後に日本へ送る必要があるようだ。血液を日本へ送るそうだ。
抗体価を測定する理由は、予防注射により狂犬病に対する免疫を獲得できたことを確認するためで、
されにそれら証明された後、ボクは再びカムス先生のところへ行き、精密検査が行われる。
ぼくが血液を注射で抜かれていた時、少し痛くて泣いたんだ。ママも泣いていた。
“スバル、ママここにいるよ、ごめんね、ごめんねスバル“ って言いながら。
なんだか僕たちかわいそう。
ママ、泣かないで、
ボク頑張って一緒に行くから。
愛している、ママ。
ママの言うように、僕はマザコンだから、ママがいないと死んじゃうよ。

その次の日パリ時間の朝の5時から日本への電話と、飛行機チケット探しが始まった。
エアフランスと日本の航空会社ではボクは地下の荷物置き場の横の専用エリアに乗せらるという説明を受けた。
それを聞いたママは静かな怒りのエネルギーを発していた。ちょっと怖いけど、ボクは、ま、慣れてるからさ、ママは、きっとこのエネルギーでなんとかするんだって。
でも、やっぱりちょっとキレそうなのか、
朝からシャンパン飲んでオーガニックのCBD大麻を巻いて、
中庭の窓の前に行ってしまった。
日本ではCBDは許可されているから大丈夫だそうだ。
少ししたら落ち着きを取り戻し、ボクが寝そべっていたソファに来て、
ボクを抱きしめてキスをしてくれた。
ママの香りと愛情エネルギーが伝わってきて、
ボクは前の二つの手でママを優しく押したんだ。へへ。
その後、どうすればボクが客室で一緒に旅が可能にできるのかを、
狂ったようにネットで探し、
その方法は見つかったようだ。ホッ。ありがとうママ。

貨物室で一人ぼっちでなく、ママの横で旅するため、ボクはセラピードッグの
資格を取ることになった。
そしてドイツのルフトハンザ航空で日本までママと隣の席で眠りながらいくことが出来るそうだ。
プレミアム・クラスでボクにストレスを与えたくないママは予算作りに、
いらなくなったブランド品や家具、ビットコインを売ったりして
お金を作り出した。ママって逞しい。

4. 日本への引っ越し

海外、日本への引っ越しの支度が始まった!
ママは朝からずっとカートンに荷物を整理している日々が始まる。最初はノスタルジックな気分になったけど、日本への引っ越しまで、あと1ヶ月くらい。
その夜から、ママが僕にネットで引っ越し先の日本という国を見せ始めた。
まずは、1番最初に滞在する予定の、藤沢市のドッグ・デプトっていう
ワンちゃんファーストの素敵なマンション・ホテルだった。
なんて楽しそうな窓から見えて、広がる、サーファーがたくさんいるビーチ。
淡い色彩で、富士山が見える湘南海岸をネットで見せてくれて、
なんかとっても楽しい気分になってきたよ!

その次の日の夜には、湘南から移動して宿泊する沖縄を見せてくれた。
なんてロマンティックな空と海なんだろ、
パステルカラーとビビットの両方が存在する世界。
早く香を嗅ぎたいし、空気にも触れてみたい!
宿泊先のアパルトマンも素敵だ。とにかくママは僕を海に連れ出したいんだな!きっと自分自身も。
パリは最もチャーミングな街だけど、海はないからさ。

5.僕たちの家を出る日

朝から日本の引っ越し屋さんが来て、次々に荷物を出していく。
家具や売れるものは全て売り、残ったか家具や電化製品は大家さんに差し上げることにして、感謝された。
空っぽになった僕たちの家。
ママが掃除機と拭き掃除をしてピカピカにしていく。
そうすると家に感謝することができる日本の儀式のようだ。
パリの6区にあり、両面が中庭のスーパー・ポジションでどんな日もここがパリという都会であることを忘れさせてくれた家。
パリに30年住んで、20回くらいの引越しを繰り返したママがどのアパルトマン
よりも好きだった僕たちの家。
小説家のコレットさんが住んだ家。
たくさんの美味しい料理を食べた家。
寒い日には暖炉の前で暖まった家。
暑い日でも石造りのおかげで涼しくて、エアコンが不必要な家。
たくさんの人が訪れてくれた家。
いつも香りの漂うお花が全てのお部屋にあった家。
中庭では季節の木々やお花が見える家。
なんだか、悲しいのかな?という気分になりそうな時、
イザベラとグザヴィエが車で迎えに来てくれた。
ありがとう!二人のおかげでメランコリックな気分は
すぐに新しい時間への楽しみ入っていった。
家の引き渡しや出国書類の2週間の間、彼らの二つあるうちの一つのお家にお世話になることになった。
毎朝の散歩のチュールリーガーデンのすぐ横で、サンジェルマンの左岸から
セーヌ川を越えてすぐの彼の家、右岸へ。

6.パリの左岸から右岸へ


車でpont-royal (ロワイヤル橋)を渡り、ゆっくり左岸から右岸へ入る。
オルセー美術館から、ルーブル美術館サイドへのこの橋の真ん中で時空が変わるような、この瞬間を愛している。
パリには左岸的なタイプと右岸的なタイプの人、犬、猫がいるけど、
僕はずっと左岸のサンジェルマンデプレで育ったから自然と左岸的な犬だったのかもしれない。
何が左岸的?そうだなぁ、哲学的で詩的でシックな振る舞いができるような?へへへ。
右岸ではパリの政治のセンターであり、ビジネス展開も中心なので、ダイナミックで男性的と言えるかなぁ。セクシーが右岸なら、センシュアルが左岸? 個人的な意見だけど。僕って洞察力ある方だってよく言われるからさ。
セーヌを右と左に分けたパリのどちらにも両方の異なるエネルギーが漂うため、
そこに生きする生物もその空気を吸って生きるため似てくるんじゃないかな?
これって科学的じゃないかな?

このあと、ボクとママの海を越えての引っ越し大作戦はスタート切った。
パリの左岸から右岸への引っ越し。
イザベラとグザヴィエのお家へ。
2週間滞在

パリからドイツのフランクフルトへ。
乗り換え
森のホテルに一泊滞在。

ドイツから日本の羽田、そこから湘南海岸へ。
日本 地上の水の中 湿気

湘南海岸での暮らし。コロナの対策で2週間の二人っきりの生活。

鵠沼から沖縄へ。
移住計画だった。けど、ママは気が変わって
湘南海岸へリターン。湘南海岸の人々は犬に優しく、意識もパリと似ている感じだから、気に入ってしまったんだ、僕たち。

そこからまだまだ僕たちの旅は続くんだけど、とりあえず今はこんな感じ。
さて、ボクたちは、日本でどんな生活を送るのか、楽しみにしていてね!

続く


 


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