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ハウスとYodと私─占星術事始記①

 平松愛理さんのヒット曲に『部屋とワイシャツと私』というのがある。

 なかなか怖い曲、である。男性にとっては(気になる方は歌詞をネットなどで探してみてほしい)。

 このタイトルをもじって言えば、筆者が占星術を始めて最初に悩んだのが、「ハウスとYodと私自身のこと」なのであった。

2023年3月、占星術に回帰した

 占星術に特化した専門のTwitterアカウント(@amanjyoshi)を2023年3月24日13時ちょうどに始めた。魚座♓️に入った土星♄の光を、月が品位の良い金星♀にトランスレート(送光)していて、また獅子座♌️0°にあるネイタルの木星♃も上昇している星まわりだ。

 実は、ほぼ思いつきで占星術アカウントを登録した感じだ。その瞬間のチャート(ホロスコープ)が以下になる。

@amanjyoshi(Twitterの占星術アカウント)のオープン日時(場所:東京)

 筆者は1992年から、某新聞社の記者として働いてきた。生まれが双子座♊️であり、水星(☿)も同じ♊️でパワーがとても強力な出生図を持っている。それもあり、記者としての仕事には熱中し(もちろん就業期間中のストレスやパワハラ上司との葛藤など普通にありがちな苦労はあったものの)、ありがたくも楽しく生きてきた。

門馬本でハマり込んだ占星術「沼」の奥深さ

 一方で、なぜか、なぜか占星術にも長らくハマってきた。実は占星術も水星☿の扱う範疇である。実際、双子座♊️生まれが誕生日を迎える5月下旬から6月20日ごろまで、Twitterで仲良くなった占星術系ガチ勢の多くは、この生まれが実に多いのである。たぶん統計をとっても有意に多い(ドタ感ですが)。

 筆者も昔から占い系は好きだった記憶があるが、占星術に染まり始めたのは大学生も後半の頃だったと思う。サークル活動の拠点であったBox(と当時のウチの大学では読んでいたが、いわゆる部室のこと)内に置いてあった、占星術の本を手に取ったのがきっかけだった。

 門馬寛明(もんま かんめい、1921年1月18日〜2008年8月25日)氏という、今でいえば鏡リュウジさんのような占星術界の大御所が出版していた、サイン(星座)ごとの解説本があった。『双子座の本』みたいなヤツである。

 双子座♊️生まれだったので、そういう本が近くに置いてあると、つい読んでしまう。

 そこに載っていた、円を描いた中に見慣れない記号がたくさん書いてあった図――これを「いったい何だろう?」を思って調べようと思ったのが、人生の分かれ目だった。

 まわりに訊いても、当たり前だが誰も知らない。☽はわかるかも、☉もなんとなく、でも♂♀は「オス・メス」くらいの理解だし、☿、♃、♄、♅、♆、♇なんてものは、誰しも皆目見当がつかない。

 これが占星術の何かを表す「記号」だというのは、本を読むとおおよそ分かる。それを何で調べるか――。

 インターネットもない時代である。1990年前後のことだ。書店で探すのにも苦労する時代である。だって、「この『☿』って分かります?」と書店員に尋ねても、普通の人であれば全く分からない。

 しかも当時、筆者(アマンジョーシ)は地方の小さな県庁所在地にある大学にいた。東京で占星術の専門書を置いてある書店と違って、そういう専門的な知識のある人に巡り合うのは「皆無」といっていい時代だった。

地方の小さな街で見つけた『占星学教本』

 その中でも、街で一番大きな書店で、占星術の本を見つけた

 『占星学教本』(JICC出版)という、流智明(ながれ・ともあき)先生の本だ。

流智明・著『占星学教本』(JICC出版、1992年4月)

 今、調べてみたら1992年4月に出版の書籍だという。いや、違うと思う。もっと前にあったのではないか。もしくは卒業するころに出版された同書を偶然のタイミングで手に入れたのか……。

 記憶があいまいだが、就職してからもこの本をよく読んでいた。なんならマーカーで線を引いて、思うところは書き込みなどしていた。「獅子座♌️の木星♃」の項には「生まれながら鷹揚な性格で〜」とか書いていたのを思い出す。

 ここから占星術の勉強が始まった。

 だが頭が悪いせいなのか、それとも情報量が足りないのか、同書だけをいくら読んでも、自分も他人も、未来予測はできないのである。書かれている項目を並べていけば、性格などはある程度は判る。

 だが当時、パソコンもまだないだけではなく、その時に天空を動いていた惑星の位置がどうのこうのと言われても、「トランジット? は?」という時代である。エフェメリスのことも当時は知っていたかどうか……。

 就職して東京には出てきていたが、まだ緒についたばかりの占星術学習は、全くわからないことばかりなのだった。ネットもスマホもない時代を、今の人は解らないのではないか――おっと、そんなことを書いてしまう歳になっていたか。

「伝える者」の自覚と宿痾

 その初学者の時代にぶつかった最初の壁が、①ハウスシステム②YOD(ヨッド、ヨード)③“私(わたくし)自身を読むことだけが占星術なのか――ということだった。この悩みの変遷を、おいおい書いていく。

 英ロックバンド「クイーン(Queen)」とそのメインボーカリストであるフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)の生涯を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』。エイズに罹患したことを、フレディがバンドの仲間に打ち明ける場面がある。

 そこで彼は「I decide who I am. I'm going to be what I was born to be. A performer, who gives the people what they want.」(字幕「俺が何者かは俺が決める。自分が生まれた理由、それは『パフォーマー』だ。皆に望むものを与える」)と、自分の“役割”を語る。

「ライブエイド」で歌う前の決意だ。初めてこれを観たとき、ものすごく感動した記憶がある。当時、治療法のなかった病いを自身に承けたフレディが、今生での“ミッション”を覚り、打ち明けた瞬間をみた思いがしたからだ。

筆者アマンジョーシのNativity(出生チャート)

 その流儀で自身のこれまでの人生を振り返るなら、自分は「伝達者」であると思う。英語で考えても適切な言葉が浮かんでこない気がしているが、あある種の「メッセンジャー」であり「コミュニケーター」なのだ。

 新しいもの好きな面は、確かに子供の頃からあった。人の知らない「ニュース」を伝えるのも面白いが、ほかの人が気づいていない価値を見つけて伝えるのも好きだし、きっと「得意だ」という自覚がある。

 ゆえに、本業であったメディアの仕事に「やりがい」を感じられた。それが占星術の関連でも出始めることになる。まだ何も知らないゆえに、知りたくなる。知ってしまったら、伝えたくなる。その“宿痾”とも呼ぶべき性癖をその後、占星術を通して実感していくことになる。

(その①了)

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