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「ない」の中に「ある」もの

「できない」、「足りない」って思う感覚。
私、それあっていいと思う。

あるものに目を向けよう、
そう思ったときに自分が足りないって思うことが
すごく嫌になった。

今は
ないものやネガティブと感じる感情に目を向けた自分を
だめなものだって思って修正しようとしたり
なかったことにしようとすること自体が
最大の自己否定な気がしてる。

だってそう感じた自分がいたんだもん。
その自分をなかったことにしちゃったらかわいそうじゃんって
今は思う。


ダメな自分は存在するわけではなくて、
自分をダメだしする癖や
思考習慣がさらにダメな自分を創り出してるだけなんだと思う。


以前私の中では
人前で弱音を吐いたり怒ったり泣いたりすることは
禁止事項だった。
どんなにつらくても逃げるなんて許さない、
がんばってがんばりぬいて真向勝負をしなければと思ってた。

たまには泣いてもいいんだぜ
たまには逃げてもいいんだぜ

そんな歌の歌詞を聞いて泣けてきた私は
泣きたかった 逃げたかった そんな自分に気づくことができた。

そして徹底的に自分に泣くこと、
逃げることを許可することを意識した。

ほんとは今泣きたいんじゃない?
逃げたいんじゃない?そうやって自分に声かけながら。

そしたら今は
子供の前でもわんわん泣くし
後ろ向き猛ダッシュで逃げることもできるようになった(笑)

そしたら自分の中で選択肢が増えた。

泣いてもいいし、昔みたいに泣くのを我慢してもいい。
逃げてもいいし、昔みたいにつらいのに耐えてズタボロになるまで
戦ってもいい。
どっちの自分もありになった。
燃え尽き症候群の経験がある私は
いつも限界以上戦ってがんばって爆死してた(笑)。

逃げるから死なずに挑戦し続けられるのかってことも気づいた。



今までと違う行動をしようと思ったとき、
枠を広げてみようと思って行動を始めたとき、
色んな気持ちが行きかう。

あー、くやしい、うまくいかない。
めちゃくちゃ怖い!!
やっぱり無理かもしれない。
私はこんな現実に向かいたいのに、まだまだじゃん!!
本当にできるの?

できないとか足りないほうに目がいく。

そんなときは子供と関わる時も
学校の先生や福祉サービス関係の人と話をしたときも
自分の親としてのダメさをすごく感じて
荒れる(笑)

「ある」に目をむけようとか、
ポジティブでいようとか、
選択肢がひとつしかなかったときは
そっちの方向になんとか軌道修正することにエネルギーを使った。

前の自分とは真逆の行動もありって体感できて
選択肢が増えたことによって

今私のエネルギーは
「ない」の中にある自分の可能性を信じてあげよう。
そこに費やされるようになった。

できない、足りない、まだまだだと感じたことがあった。
その分だけ、自分の可能性を信じる機会が与えられた。

そんな風に思うようになって、
本当はこうしたいを感じる機会にもなった。

「ない」の中に同じ量だけ「ある」がある。
それを探すのも楽しいと思う今日この頃です😊












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