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支援会議で図太くなる

昨日はくうちゃんの支援会議。
支援会議の経験を積み重ねたせいか、
図太くなった自分を感じた(笑)

「えー、そういうとこほんとめんどくさいぃ」
そんな言葉を発した自分に少し驚く。

学校以外の社会資源を考えていったとき、
その施設は○○課の担当でとか、
リスク管理を考えなきゃいけないとか、
そんな話題になったときに本当にめんどくさいと思った。
枠があることにため息をつきたくなった自分がいた。

でもここで諦めず、もう一押し。

子供たちの価値観と、大人の価値観は本当に違う。

私たち大人が子供たちに対してできることは何なのか、
今までの枠をとっぱらって考えていくことに協力してほしい
みたいなことを伝えることができた。

私としては意外とさくっと
「そこんとこ、もう一押し上の人にお願いしますね~」
って感じで言うことができた。

どう伝わってどう感じられたかはわからないけど。

以前は忙しい中時間を割いてくれている
関係者の方たちに、申し訳ないと思って
こういうことを言うことはできなかったな。

そもそもその場で、意見や疑問点がすぐ出てくるような
リラックス状態でいられる空間ではなかったから。

幼稚園で不登園になってから、
保育園時代には支援会議12回。

小学校入ってからも10回は会議を開いてもらってると思う。

最初のうちは困り果てて疲れてもいたし、
会議の内容と私の精神状態によっては、
うちの子は問題だらけなんだ。
他の子と比べたら
確かに出来ることも少ないし、
感情処理が間に合わないことも、
問題行動になることもある。
でも、くうちゃんはだめじゃないと思うんだよ。
確かに困ってはいるけど、
大変でもあるけど、
みんなそんなにだめだって言わないで。

そんな感情になったこともあったなあ。


今は会議にでてもそんな風には全然感じないけど。

小学校入ってからの会議は
関係者の人数が増えて、10人以上いる時もあった。

この場で意見を言うことが
そもそもかなりの緊張感があった。

対立してしまって
学校にケンカを売ったみたいになってたこともあった。

そんな状態だったのが、
経験値のおかげかリラックス状態で
「めんどくさっ」
って発するまでになった(笑)

自分の意見やスタンスも、
うまくまとまらなくても伝えられるようになった。
まとまらないまま話していても、
当事者でないからこそ冷静に客観的に
私のまとまらない話を
要点をまとめてくれる人もいる。

私の中身を全部出して話すこと、
それをしない限りは
きっと話し合える状態にはなっていなかっただろうなあ。
話し合いたいポイントがぶれぶれになるだろうから
支援会議が苦痛のままだったと思う。

だから、今支援会議が負担に感じているママさんいたら、
合ってるとか、間違ってるとかないし、
自分は専門家じゃないしわからないしって気持ちとか、
申し訳ない気持ちもわかるけど、

飾らずに自分の気持ちを話していいんだよ、
困ってるとか、悔しいとか、
私はそこはそんなに心配してないとか、
家族としてはこっちの方向で考えてるとか、
自由に発言していいんだよって言いたい。

それをすることで、話愛は育まれる。

私たち家族のことをわかろうと
時間をかけて聞いてくれる人たちがいる。
だから私も、
会議に参加してくれている人たちのことも
立場という枠や人間性も含めてわかりたいと思う。


制度や決まりに関してはその枠いらない、
めんどくさいって思うとこは多いけど。

でも、「個人」って枠は大事にしたい。

みんな、子供のこと真剣に考えてくれてるから、
うまくかみ合わないって感じるときあっても
いつか枠を重なり合わせて分かり合える時はくる。

枠を超えてできる何かも見つかっていくと思う。

見てる先が子供の笑顔ってことはきっと共通項だろうから。

年齢という枠、障害という枠、基準値とか平均という枠、
教育という枠、福祉という枠、いろんな枠があるけれど、
人間は枠でくくれるものじゃない。


昨日そんなことを感じてからの、今朝の猫トイレ掃除。

にゃー助はすごい勢いで穴を掘るから、
トイレからはみ出したトイレ砂が床に散乱してる。

トイレ砂は枠からはみ出ないでよ~って思ってたけど、
枠からはみ出てるトイレ砂もかわいく見えた今朝でした😊
ご協力お願いしますって、猫トイレという枠に
戻させてもらいましたが(笑)

当事者にとっては
なかなかパワーのいる支援会議。

私はそこを、発信の場として活用させてもらっています。

動くから何かが変わる。
私の内側から何かを出さない限りは始まらない。
小さなコツコツとした行動を起こしていきたいと思います。

一緒に顔晴りましょ✨


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