立ち止まって向きを変えたら、向かい風が追い風に変わる。
いきしぶり長女のねっち。
今日は保育園に行くことを後押しした。
行きたくないというねっちを
保育園に送り出した私の理由。
自分の想いを周りに伝えられるようになるチャンスだと思ったから。
いきしぶりや不登校の原因って、これってしぼれるものはなくて、
積み重なったものが
たまたまある出来事がきっかけとなって
あふれでたもの。
その中のひとつが、
「○○くんに押されるのが怖い」ということだった。
ねっちは、その子に対して
「私は押されるのは嫌だからやめてほしい」と
怖くて言えないそうだ。
伝えたところでその子の行動が変わるか変わらないか、
それはわからないし、そこはどっちでもいい。
別にその子が悪いわけじゃない。
押したくなる気持ちが起こってくることも、
その行動をとってしまう理由もあるはずだから。
行動はダミーで、その奥にあるもの、
そこからさらにまた、
自分自身の中にあるものをみること。
それはくうちゃんやたけさんから学んだこと。
ねっちにはこれを機会に、
自分のこうしたい、をしっかり伝えること、
自分自身とのコミュニケーションと、
相手とのコミュニケーションを学んでほしいなと思った。
保育園や学校に行かせることを目的にしてた時期は、
嫌がる子供を連れて行った罪悪感がすごかった。
「行かせる」ということは、とてつもない向かい風だった。
でも、今日は罪悪感はない。
きっと私の中で連れていく目的がはっきりしたから。
ねっちにとったら
私の思っている目的とは合致しないままだから
納得はできてないだろうけど。
ねっちが保育園で何を感じてきたのか、
これからどういうプロセスをたどっていくのか、
帰ってきてからねっちと話をするのが楽しみです。
不登校やいきしぶりって、チャンスだ。
くうちゃんが不登園、不登校のときにはこんな風に思えなかった。
ただただ学校に行かない現状を受け入れるのに精いっぱい。
精神的にボロボロな子供との向き合い。
自分との向き合い。
次男ちーぼーが学校を行くか行かないか選択するときは、
学校に行かなくてもいいと思う自分と、
学校に行ってほしいと思う自分、両方あることに気づいた。
でも大事にしたかったのは、自分で決めること、だった。
いきしぶり経験3人目。
行くか行かないかということではなくて、
自分とのコミュニケーション、他者とのコミュニケーション、
それをするための機会として、今の状況を活用するって感覚になった。
私にとって苦しかった経験は、
立ち向かっていかないといけないもので、
向かい風のように感じてた。
進んでも進んでも、
進んだような戻ったような。
なんでこんなに辛いことばっかりなの?
自分、まだまだじゃんって感覚があった。
でもそういうことがある度に、
自分が自分を縛っている何か、
もういらないって思う何かが見つかった。
向い風に立ち向かって進むことをやめてみたとき。
違う方向から追い風が
しかもいろんな方向に吹いてることに気が付く。
向かい風と思える出来事は、もしかしたら、
方向変えるのもありなんじゃない?って
教えてくれているのかも。
どの向きの風を使うか、それは自分の自由。
風に抵抗するのも、のっかるのもあり。
私がたどってきたプロセスと、
ねっちのたどるプロセスも違う。
ねっちはこれからどの風を使っていくのかな。
そのプロセスを見守りつつ、
きっと本人にとっては、「余計なお世話」も時々いれながら
いきしぶりというチャンスを活用していこうと思う。
長男の時には激しい向かい風でしかなかった不登校。
ねっちがいきしぶって、それがねっちにとっても
私にとっても
追い風だと感じる自分がいた。
いろんな向きの風に翻弄される自分を
空の上から見てみたら、
楽しく踊ってるように見えるのかもね
結局何をしてても、
どんな自分でもやっぱりいいんだよなと思う。
色んな風にのって踊ってるだけ。
今日は風を感じた朝の始まりでした。
読んでくださってありがとう
今にちょうどいい風が、みなさんのところに吹きますように