インナーチャイルド。心にポッカリと空いた穴のような気持ち。
今回はインナーチャイルドというテーマで書いていこうと思います。
別の記事にて親との関係を改善したい人のために、というテーマで記事を書いたのですが、今回はその続編で付随してお伝えしておきたいことがあるので、よければ合わせてそちらの記事もぜひ読んでほしいと思います。
その記事はこちら。
それでは本編に入ります。
タイトルにもある通り、インナーチャイルドというテーマで書いていきますが、知らない人のために簡単に説明をすると、あなたの心の中にいる幼い自分のこと。
そんな幼い自分が幼少期に親とか学校の教育を受ける中で
例えば、
なんで怒られてるんだろう?
なぜみんなが当たり前のようにできることができないのだろう?
なんで抱きしめてくれないんだろう?
なんで興味を示してくれないのだろう?
そう言ったことに対して不満を感じているけど、考える力のない幼いあなたは理由なんてわかるわけがありません。
理由はよくわからないけど、
怒られる
興味を持ってもらえていない
抱きしめてもらえない、だからきっと愛してもらえていないんだ
興味を持ってもらえないんだ
などと頭の中できっと世界はこうなっていると言う世界に対する捉え方が確立されて、それがさも真実であるかのように世界を捉えます。
でも、そのことに本当はフラストレーションを抱えているんだけど、それに自覚をしていなかったりするんですよね。
なぜそのフラストレーションに気づかないのか?
それは、感情よりも理性で押さえつけられるから。
幼少期の大事な時期に、感情や衝動を司る脳機能の部分の発達を完了させるよりも、〜してはダメでしょと、理性で押さえつけられて生きている。
そうすると何が起こるのかと言うと、心の中で
なんで怒っているの?
なんで興味を持ってくれないの?
なんで抱きしめてくれないの?
なんで愛してくれないの?
こう言った感情があるにもかかわらず、それを言葉にできないまま頭ごなしに否定されるから、ダメだと思って思考停止してそれを表に出さないようになり、ただダメなんだということだけを学習して、溜め込んでしまうんだ。
そうして感性より理性を優先させて生きているとどうなるのかと言うと、大人になった時に自分の感情に気づかず、
なんで怒っているの?
なんで興味を持ってくれないの?
なんで抱きしめてくれないの?
なんで愛してくれないの?
など、幼少期に抱えていた心の悲鳴は残ったまま大人になり、自覚されているにせよ、自覚していないにせよ、当時抱えていた不満を抱えながら生きていくわけなのです。
そして、長々と説明をしてきましたがここからが本題で、結局この幼少期の頃に抱えていた感情って、ストレスになっているんですよね。
本人は自覚していないかもしれませんが、心の奥底では
なんであの時愛してくれなかったんだ。
寂しい思いをさせたんだ。
興味を持ってくれなかったんだ。
こんなにも傷ついているのに!!ってものすごく恨んでいたりします。それはもうプンプンです。笑
そんな傷を癒そうと、認知行動療法などを使って幼少期に感じていた気持ちに気づいて本音を話して伝えたら、離れ離れになってしまった虚しさ、自分に興味関心を向けてもらえなかったことに対する悲しさなどが癒えるのかと思いきや、それが完全に消えるということはありません。
かくいう私も、親に対して色々と不満を持ってきた人生でした。長々と説明はしませんが、学生時代に部活動での大会に見にきてもらえなかったことや、受験勉強などで特にとやかく言われるまでもなかったことから、父は自分になんて興味がないのだろうと思ってきました。
そんな当時思っていたことを伝えたらどんな返事が返ってくるのだろうかと怖かったですが伝えると、父は仕事で忙しくて観にいくことができなかった。受験勉強についても興味がないのではなく、負担にならないようにあまり干渉しないでいたと言われ、自分の思い違いで父には父の理由があり、本当は気にかけてくれていたんだと泣きじゃくりました。
たしかに振り返ってみると、もっと幼少期の頃は外に遊びに連れて行ってもらえたり、学校の行事ごとの際に見にきてくれていたりしました。なのに自分はその一部分だけを切り取って、興味ないんだと思い込んでいました。
今では父は自分のことを愛してくれていたと本当に思っています。これまで生きてこられたのは間違いなく、親が衣食住を与えてくれて、学校にも行かせてくれて何不自由な生活をすることなく生きてこられたからこそだと思っています。
ただ、認知は書き換わったものの当時興味関心を示してもらえなかった記憶は残り続けて、やっぱりあの時〜してほしかったなと言うのは残ってます。
それを今更どうこうとほじくり返して、ずっとなんであの時〜してくれなかったんだと怒ったり、不貞腐れたりしたところで何も解決しないですし、それには理由があったので理解はしています。
ですが、どこかでやっぱりあの時して欲しかったんだよなという記憶は消えず、心の中にあの時寂しかったな、悲しかったなと感じる小さな自分は残り続けています。
この記事を読んでいる人の中には、同じように親との関係を改善したけどまだ心の奥底では時々泣いている自分がいると思います。
そんな時心の中にいる小さな自分を悪いにしないで、そっと優しく撫でておいて欲しいと思います。
その〜してもらえなかったという当時の欲求を解消するために、他人を使うとこれまで自分がどんな人生を歩んできたのかなんて相手には関係がないので、興味関心があるのかないのか、大切にされているのか否かというのを確認するようなコミュニケーションをすると不快感を与えかねませんので、しないようにしましょう。
自分の心のケアを他人に求めるだけでなく、自分でもケアをするようにする。自分のご機嫌を取るために相手がいるわけじゃない。だからと言って傷が癒やされないことに対してネガティブに捉える必要もない。最初に抱えていた恨み、悲しみ、寂しさ、怒りのエネルギーが下がり、解釈が少しでも変わったのであればそれで良いのです。
大分完治した自分ですが、時々やっぱり〜して欲しかったなという気持ちが出てくることがあるので、あなたにもそんな心の中にいる幼少期のあなたが泣いていることを悪いにせず、一緒に生きていって欲しいと思います。
それでは今回の記事はこれで終わりです。よかったらスキでも推していただけたり、一言メッセージでもいただけたら励みになります。
あと、いつでもメンタルに関する相談お待ちしてますので、お気軽に連絡いただけたらと思います。
ではでは。
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