うつで何もできなかった私が植物に救われた話。(自己紹介)
初めまして。
天音と申します。
私は現在、大学3年生の20歳です。
今年の誕生日で21歳になります。
私は2024年に入ってから、何もやる気が起きない、何をしてもつまらないという症状に悩まされ、
2月に入る頃にはお風呂にも入れなくなるほどにひどくなりました。
同時期、電車で原因不明の不安と、それによる涙が止まらなくなったのをきっかけに、精神科の受診を開始しました。
受診から約半年の現在、かなり回復してきています。
それまでの薄れていく記憶を文字として残すとともに、私を救ってくれた植物を愛したい、植物の良さを広めたいという気持ちで、メンタルや植物についての記事を書いています。
今回は私の自己紹介を兼ねて、自分の今までの簡単な経歴と、うつで落ち込んでから、とある植物に心を救われ、そこから大きく回復できた話を書いてみたいと思います。
経歴
改めてこんにちは。天音と申します。私は現在、東京都の世田谷区にある、東京農業大学というところで大学生をしています。
ここでは、自己紹介と記録を兼ねて、私がどのような子どもだったのか、そこからどのような成長をしてきたのかを書いていこうと思います。
幼少期
自分の記憶では、ほぼ毎日、どこに行っても怒られるやんちゃでわんぱくな子どもでした。
好奇心が強く、なんで鉄は錆びると赤くなるんだろう?なんで雲は掴めないの?など、日常の小さな出来事に関することに対して、いつもなんで?と親や周りの大人に疑問をぶつけ、よく親が困らされたそうです。
小さな頃は沢山の場所に連れて行ってもらったらしいですが、正直全然覚えていません。
キラキラしたものが好きで、水面に反射した光や、光るおもちゃなどは常に何かしら持ち歩いていました。
でも好奇心が強すぎて、興味がすぐに新しいものに切り替わるため、何かを持たせると数分後には無くすという、物を無くす天才だったそうです。
義務教育時代
小学生の頃は、根は真面目なんですが、違う!と思った事があると先生にすぐ報告する、いわゆる「チクリ魔」でした。理科が大好きで、実験の回ではたくさん感動した記憶があります。
それに対し、人間関係ではどこに行ってもなんとなく距離を取られる人間でした。部活でも真面目すぎて同級生から猛烈に嫌われ、中学校で入っていたテニス部の新人戦の時期には、うつっぽくなって審判が出来なくなった経験もあったり。まぁ今の自分から見ても、当時の自分はかなりデリカシーがない発言を連発していたので、嫌われて当然ではありますが。
こんな変人とも仲良くしてくれた友人は、今だに定期的に遊びに行く仲なので、いい友人と出会えたことは、当時の自分にとっても大きな救いでした。
高校生〜
私は埼玉県出身の埼玉県育ちなのですが、高校は地元の県立高校に通っていました。
受験に対して、中学一年生の頃から通っていた塾からの志望校への圧力に耐えきれず、中3の4月に塾をやめると同時に、妹が当時通っていた公文式に半年間お世話になった結果、一時期落ち込んだ成績が回復し、なんとか滑り込んで受かった高校でした。
私の通っていた高校は、自由な校風を売りにしている事もあり、色々な経験をたくさんさせてもらいました。
一応自称進と言われるような、検索すると偏差値60は超える高校ではあるものの、自由すぎて勉強をサボって部活に夢中になった結果、模試での成績が平均偏差値38にまで落ちたのはここだけの話。
高校3年になり進路を考えた時、今までお世話になってきた理科の先生への憧れがあったので理科教職を希望し、東京学芸大を受けました。しかし共通テストの数学でやらかしすぎてしまい、科目を絞って共通テスト利用で受験、合格を頂いた東京農業大学に進学が決定。
今思えば、なんとなくカリキュラムの名前の響きが好きで選んだのですが、それが自分の好きな事にかなりフィットしていた結果、順調に学部3年まで進級出来ているので、案外そういう選び方も悪くないのかもしれないです。
大学ではアカペラサークルに所属しつつも、ほぼ活動には参加せずにバイトと課題に追われていました。(課題にはずっと追われてる)
結果忙しくしすぎて2024年年始から春休みにかけてうつ症状に悩まされ、精神科に通うことになりました。
疲れすぎて、うつになってしまった
先程、高校生〜の内容に書いた通り、大学に入ってからアルバイトを始め、大体週3〜5で働いていました。
そんな中、今年に入ってから、なんか疲れが取れない、趣味が楽しくない、といった不調を感じるようになりました。
そして昨年度の最終提出課題をやり切った後には完全なるエネルギー切れになり、その症状が酷くなるとともに、電車に乗ると原因不明の涙が止まらなくなってしまうようになりました。
今冷静になって原因を考えると、私の通っている大学は課題がかなり多い学校なのに対し、課題をやる時間と引き換えに睡眠時間を減らし、朝から晩まで学校の講義にアルバイトで動き回っていたことが大きいと思われます。
そんなこんなでこの春休みはほぼ寝るだけで過ぎていったと言っても過言ではないのですが、抗うつ薬が効き始めるまでとしばらくは、本当に死んでしまった方が楽なのではないか、と思うほど身体が重く、気分も最悪な地獄を経験しました。
幸い、精神科の先生の支えもあり、行動に移すまでには至りませんでしたが、自殺や自傷行為をしたい欲がふと沸いてきてしまう度に、さらに自己嫌悪に陥る、ということを繰り返していました。
うつで出来なくなったこと
眠れない
私の場合はまず不眠が症状として出てきました。
疲労感は元からすぐ感じる方ではあったため、日中活動して疲れるのは慣れっこではあるのですが、眠れないと何より疲れが取れない。
また、入眠に時間がかかると不安が強まり、さらに眠れなくなってしまうのです。
運良く眠れても、3〜4時間で目が覚めてしまい、そこからまた眠れない。これがまた不安なんですよね。
お風呂に入れない
当たり前と言えば当たり前ですが、身体が重すぎてまず起き上がるのが辛い。さらに歩いてお風呂場に行くのも大変。
服を脱ぐのにも一苦労。
頭を洗うだけで30分。
体と顔を洗うのにもさらに時間がかかり、腕を上げるだけで辛い思いをしながら、身体が痒くなるのが嫌だという一心で苦行に耐えていました。
こんな状態で外にも出歩かないのだから、毎日なんて入る気力は到底湧かず、2〜3日に1回がやっとの生活が約1ヶ月半続きました。
とにかく何にも集中できない
私は元々、かなり多趣味な方なのですが、その趣味にも集中できない、というかやる意味を見出せずただため息をつくのみ、という感じでした。
もちろん本を読んでも文章は頭に入ってこないし、テレビを見ても、虫の鳴き声を聞いているような感覚で、音が流れているようにしか聞こえないし、ゲームは1分もすれば集中が切れて飽き、ただ寝転がって天井を見ることしかできない状態でした。
回復するまで
私の場合、運良く(?)動けなくなり始めたのが春休みに入ってからだったので、丸2ヶ月ほど、ほぼ家の中で寝るか食べるか天井を見つめるか...というような生活を送っていました。
我が家ではフクロモモンガを一匹飼っているので、そのお世話だけはできる限り自分がやる、ということ以外は、ほぼ何もやらずに過ごしていました。
たまたま数ヶ月前に100均で見つけたフィカス・ウンベラータという観葉植物を部屋に置いていたので、暇な時にはその葉っぱを観察し続ける、という狂気じみたことをやっていた事もあります。
ごく稀に調子のいい日があり、そんな日は家事をやってみたり趣味の読書をしたり、YouTubeをボーッと見たりしていました。
私のお気に入りの本は「夢をかなえるゾウ」、「モモ」、「よろず占い処陰陽屋シリーズ」などです。
他にも、メンタル系や認知行動療法関係、薬についての本なども勉強として読んだりしていました。
どちらにせよほぼ寝てはいるのですが。
最近では気象予報士試験の参考書も難なく読めるほどに回復しました。
ある日の観葉植物に救われた
先程、回復するまでの一部にも書いたのですが、私は部屋に観葉植物を置いていたので、毎日その様子を見ていました。
冬の間は休眠期といって、植物によっては葉を落としたりして生長を止め、気温が上がるのを待つのですが、私の部屋にある植物も例外ではなく、葉を落としていました。
私はその葉がない状態の植物を毎日見ていたので、葉が落ちた姿を見る度に、自分の管理が悪かったからこうなったんだ、と思っていたりしたのですが...
気温が急激に上がったある日。
ウンベラータの新芽が出てきて、新しい大きな葉っぱが出てきました。
それを見た自分は、今を耐え凌げば、自分も復活できるのかもしれない、と、一株の観葉植物に自分を投影することによって、生きる希望を見出しました。
その日からは死にたい、と思う頻度がそれまでに比べて極端に少なくなり、植物の成長を見届けたい、という気持ちが、私の生きるモチベーションとなりました。
今とこれからについて
新学期が始まり、4月の間は適応するのに苦労してしまって体調を崩すことも多くありましたが、ここ最近(5月半ば〜)では、やっと気分の浮き沈みも小さくなり、なんとか日常生活に戻ることができるようになりました。
最近では気象予報士試験の勉強も本格的に再開し、次回の試験に向けて日々練習を続けるとともに、学校の研究室にも配属されて、新しい友達が増えたりして、充実した学校生活を送っています。
ついこの間まで2週間に一回だった精神科クリニックの通院頻度は3週間に一度になり、先生から見ても順調に回復しているのだな、と実感しています。
いつもお世話になっている主治医には、感謝してもしきれません。
そして、私の体の不調がメンタルからくるものだといち早く指摘してくれた耳鼻科の先生、本当にありがとうございます。
今後は少しずつ自分の能力を伸ばしつつ、どこまでが無理のきく範囲内で、どこからがキャパシティオーバーになってしまうのか、というのを探りながら、必要に応じて周りからの協力を仰いで相談することを意識して生活していこうと思います。
最後に、
長い自己紹介になってしまいましたが、
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
こんな少し変わった人生を送ってきた不束者ですが、
これから植物や気象をはじめとする、趣味についての記事をメインに書いていこうと考えていますので、よろしくお願いします。