この世の形容について
例えばこの世を山のようであるとか川のようであるとか形容するけれど、わたしにとってこの世は夜の海なんだ。
冷たい海の中で息が出来ない上に水圧で苦しい。誰かに何かを伝えようとしても言葉は泡になるばかりで誰にも届かない。そうした泡が砕ける先には船がある。小さい船、大きい船、ボロボロの船、新品の船、形は様々である。ある程度同じ価値観を共にしていたり、会社のコミュニティであったり、たった一人きりの乗船員だったり、規模もまちまちである。つまりこの船たちは属する生活圏のようなもので大体の人間が乗っているものだ。であるから乗船員たちは海に沈んでいる人間たちをちっとも理解が出来ない。どうして海なんかに沈んでいるんだ、そんなに苦しいなら船に乗れば良いじゃないか、と。わたしにとってはお金の使い方がどうだとか健康になるためにはどうだとか生活のことをひっきりなしに考えてどうも楽しそうに見えない。だったら苦しくとも海の中の美しさを知っていて、海底の見えない恐怖心を知っている方がよっぽど豊かではないか。海の中は芸術の世界だ。沈めば沈むほどこの世の真理というものに近づいてゆく。しかし沈む方法は自己破壊である。全ての固定概念を消し去って、この世を素のまま見つめる恐ろしさは正に足のつかない海のような恐怖。芸術家はこの恐怖と睨めっこをして張り詰めた緊張感と生きている。