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アメリカとの戦争に猛反対した曾祖母

写真の古めかしい建物は水力発電所である。
竣工 大正十五年三月 使用河川「宮川」 落差 は四百四十尺 出力五万kw 現在 関西電力(株)下に属する水力の中では 比較的小規模な発電所である。

そして 鉄管路を横断せる橋は「飛越線」とあり、飛騨と越中を結ぶ旧国鉄道の一つである。

写真の発電所を建設した日本電力株式会社は、当時の日本の技術では困難な発電装置の殆んどをアメリカ合衆国からの機械や部品と人材に頼っておりました。

曾祖母は、既に必要に迫られていたアメリカ合衆国からの技術者達の食事を含む生活に必要と成るサポート業務を蟹寺地区に住む他の婦人達と共に、彼らが彼らの必要とされた仕事が完了し、彼らが祖国であるアメリカ合衆国に戻る日まで御世話をしていたのだった。

それから時代は大正から昭和に移り、第二次世界大戦時代に入ると…
山深く分け入った様な小さな村にも大戦の様相が忍びより、曾祖母の耳にも日本がアメリカ合衆国に宣戦布告し戦争に入ったとの知らせが届く…

当時、その一報を曾祖母が聞いた瞬間の一言が「そんな馬鹿な事…」であった。

それは無理もない 一言なのである。

その頃の曾祖母は、息子夫婦の子供達に囲まれて平凡な祖母として田舎の畦道を毎日歩く様な日々を過ごしていたに違いないからである。

しかし、山深い田舎に暮らしていた曾祖母は、当時の日本人の誰もが、そうそう出逢う事の無い様な…インテリジェンスで貴重なアメリカ人達との体験談を語るに相応しい人物であり、当時のあらゆる主義主張をも論破する様な…子や孫達の将来を心配する日本婦人の一人であったからである。

当時、非国民の扱いをされるのではと心配する周囲の人々をよそに…

曾祖母は…
「あんなに大きい牛肉や沢山の野菜を喰うアメリカ人と戦争して勝てる分けが無い…」
「馬鹿なぁ…」
「大変な事に成る…」

まるで秘密裏に集められた軍人会議での…山本五十六 大将の思慮深い複雑な感情の一部を代弁するかの様な雰囲気だったと…曾祖母の多くいる 孫の一人であるところの 亡き父親より聞いた。

ちょうど、七十七回目の日本の終戦記念日の夜に…あらためて 写真の様に精巧に鉛筆で画かれた曾祖母の面影が脳裏に浮かぶのであった。

 令和四年八月十五日の夜十時十五分

追記…
曾祖母の旦那である曾祖父 は日本電力株式会社に蟹寺発電所を作る場所である土地を無償提供しており…この土地に暮らす家々の電気料金を無償にする交渉に成功した人物の一人である。

そして、その約束は父親が若い頃まで守られていた との事である。

その日本電力株式会社との電気料金を無償にするとの交渉結果の証文は、今でも地元の城ヶ山公園に残る大きな石碑に刻まれて存在しているのだ。

そして、曾祖父(石太郎)自身は…日本がアメリカと戦争する前年の歳暮れに亡くなっている。

子供の頃に山に登り、その石碑に刻まれた 御先祖様の名を見つけた時の小さな感動を今も覚えている。

後書き
「もしも、石碑に刻まれた『電気料金の無料を証明する証文』が無かったら、長きに渡って この地が電気料が無料だったかは定かではなかったかも知れない。」と生前の父は私に語っていた。
そして、更に『関西電力』に社名が変わった後も、「いったんは、電気料金を支払う事にして、後に電気料金の分を返金してくれるシステムに変わったが、その石碑に書かれている事は守られた」とも父は私に語っていた。

私は、『石太郎』の名は…そのまま、この石碑に刻まれた 文章と一緒に 彼の当時の思いが永遠に この地(蟹寺地区)に残る様に 一字一字 丁寧に深く刻まれている様に感じた。

『 石太郎が石に託した 未来への礎(いしずえ) 』


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