見出し画像

生きてるだけで、頑張ってる

自分で言うのもなんですが、私はかつて、かなりの頑張り屋さんでした。北海道の普通の高校から、東京のある程度名のある大学に入り、大手出版社に入社。編集者として忙しく働いている間も、ダイビングのインストラクターの資格を取ったり、ファイナンシャル・プランナーの資格を取ったり。とにかく、「自分ではない何か」を目指していたように思います。

「いまの自分では足りない」。

「私ではない何かにならなくては」。

常にそんな想いに駆られて、何かにチャレンジし続けていました。

そんな私が頑張るのをやめたのは、5年前。大失恋を体験したことがきっかけです。相手がいつの間にか別の人と結婚していたことを知り

「こんなひどい扱いをされたのは、私に価値がないからだ」

と自分を責め、責めて責めて責め尽くしたとき。ふと思ったのです。

いや、私結構、頑張ってきたよ。ずっと、何かになろうと頑張ってきたし、努力してきた。そんな私に価値がないなんてこと、絶対にない! そして、同時に、こうも思ったのです。

確かに頑張ってはきたけれど…。

「どこまで頑張れは、私は私を好きになれるんだろう」と。

もっと難しい資格を取ればいいの?

もっとダイエットして、美しくなればいいの?

もっと趣味を増やせばいいの?

おそらく、この努力にゴールはなかったと思います。どんなに頑張っても、私は私を愛せなかったでしょう。なぜなら、いつだって私は、「いまの自分では足りない」と思っていたのですから。

このことに気づいてから、私は頑張ることをやめました。その代わりに、「いまの自分」を、とことん肯定することにしたのです。たとえ、1日中テレビを見ていようと、1日中寝ていようと。です。以前の私なら、生産性のない1日を過ごしてしまったと、自分責めをしていたところですが、「何かをしないといけない」、「頑張らなければいけない」という観念を、一度外してみることにしました。

そうしたら。面白いことに、仕事に、趣味に、めちゃくちゃ頑張ってる男性と出会い、ものすごいコンプレックスを感じるという現象が起きたのです。

頑張らないと決めたのに、頑張っている彼を見ると、どんどん自分がダメな人間に思えてきました。「私も頑張らないと、愛されない」と思い、また資格を取ろうか…とか考え始めたりもしました。

これってある意味、神様のテストなんですよね。自分を大きく変えようと思ったとき、「あなたは本当にそれを手放す気持ちがありますか?」と、お試しのようなことが、外側に起きるんです。

私は、何度も何度も、「いまの自分を愛すること」。を選び続けました。自分の全てに花丸をつける。と、本気で決めたのです。もちろん、頑張っている彼は素敵だけれど、頑張らないと決めた私だって、同じく素敵なんだと。



頑張らなきゃ愛されない。それは、悲しい思い込みなのだと思います。子どもの頃、良い子にしていたら、お父さんやお母さんが褒めてくれたから。勉強を頑張ったら、ご褒美をもらえたから。頑張れば愛されるんだって、どこかで思ってしまったんですよね。でも、お父さんもお母さんも、「頑張らないあなたは愛しません」。なんて、微塵も思わなかったはずなんです。

あなたが元気でいてくれるだけで、笑ってくれているだけで、きっと喜んでくれたし、愛してくれていたに違いありません。その証拠に、赤ちゃんは何も頑張らないけれど、めちゃくちゃ愛されていますよね。

先日、「今日も何もしなかったなぁ。何も頑張らなかった」とつぶやいた友人に、「生きてるだけで、頑張ってるじゃない」と答えた自分がいて、ちょっといいな。と思いました。

毎日生きることって、それだけでけっこう大変だと思いませんか? 笑って、怒って、悩んで、苦しんで、闘って。

そう。人って、「生きてるだけで、頑張ってる」んです。もしいま、頑張らないと愛されない、と、どこかで思っているなら、これまでの自分の日々を、思い返してみてください。そして、もうすでに十分頑張ってきた自分に、花丸をあげてくださいね。


いいなと思ったら応援しよう!