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私がユウヤから離れられなかった理由

最初のカウンセリングで、ユウヤが抱えていた大きな心の穴に気づいた私。そして、その後さらにカウンセリングを受け続けることで、今度はなぜ私がそんなユウヤと出会い、さんざんな目にあいながらも離れられなかったのか。その理由が紐解かれていきました。


■ユウヤを助けたかった私

「ユウヤさんは、決して天宮さんを大切にしていたとは言えませんよね。なのに、どうして天宮さんは、ユウヤさんから離れなかったんだと思いますか?」

ある日のカウンセリングで、Ⅿさんはこう私に尋ねました。

これは、私自身がずっとわからなかったことです。

ひどい言葉を浴びせられたり、冷たい態度を取られたりしていたとき、あまりにつらくて、何度もユウヤから離れたいと思いました。

でも、心がべったりとくっついて、どうしても剥がせなかったのです。まさに、癒着という言葉がぴったりでした。

単純な好き。とはまた違う何かだと思います。でもそれが何なのか、当時の私にはまったくわかりませんでした。

そして、その私自身がわからなかった謎に、Ⅿさんはこんな答えをくれたのです。


「天宮さん、あなたはきっと、ユウヤさんを助けたかったんだと思いますよ」。

「以前のカウンセリングで、僕はユウヤさんは悪い人間ではないと思うって言いましたよね。きっと、天宮さんも、それをわかっていたんだと思うんです。そして、彼の心の穴にも、どこかで気づいていた。だから、そんな彼を助けたいって思ったのだと僕は思います」

そして、次に言われた言葉はとても印象的で、その先もずっと私の心に残り続けました。


「彼はきっと、あなただったんですね」


■ユウヤを助けたかった本当の理由

カウンセリングを受け始めた頃。私はⅯさんに、ユウヤの話ばかりしていました。

「ユウヤがこう言った」
「ユウヤがこんなことをした」

主語はすべてユウヤです。

あまりに苦しかったので、とにかくユウヤの言動の答え合わせがしたくて必死でした。

しかし、カウンセリングを何度か繰り返すうちに、この主語がだんだんと「ユウヤ」ではなく、「私」になっていきます。

Ⅿさんが「私」の話をさせようと、少しずつ方向転換してくれていたのです。

こちらの記事に書かせていただきましたが、私の子どもの頃は両親が共働きでほとんど家におらず、少なからずさみしい想いをしていました。

そして、父親が理不尽に手をあげることも少なくありませんでした。

私が大人になってからは、父が自己破産し
母はうつ病を発症します。

実際のところ、私はこれらの出来事を、それほど大ごとと捉えていませんでした。

子どもの頃親がいないなんていうのはよくある話ですし
父親が手を上げるなんてことも昭和の家庭ならよくあった話です。

父親の自己破産、母の鬱は、
私が実家を離れたあとのできごとなので、
私自身の暮らしに大きな影響を与えることはありませんでした。

なので、ほとんど忘れているくらいだったのです。

この話をⅯさんにしたとき
「それは本当に大変だし、辛い経験ですよ。そのことに自覚はありますか?」と聞かれました。

正直、自覚はまったくありませんでした。

しかし、これらの出来事が無意識下で私の心に大きな穴を空けていたのだと、Ⅿさんのカウンセリングを通して知ったのです。

とくに大きな影響を及ぼしたのは、幼少期の出来事でした。

父が手を上げ、
母親・祖母がそんな父を止めなかったこと。

これが、子どもだった私には、とてもショックだったようで

Ⅿさんはこれを、「家のなかに誰も味方がいない状態だった」と表現してくれました。

その頃から私はなんだか感情を出さない子どもになっていき、さらに大人になってからは、1対1で親密な関係を築くことができず、複数の男性と付き合うような人間になっていくのです。

そう。心に大きな穴が開いていたのは、実は私の方でした。そして、私はまるで私の鏡のようなユウヤと出会い、彼を助けようとしていたのです。

でも本当に助けたかったのは、
ユウヤではなく
ユウヤの奥に見ていた、私自身だったのだと
Mさんは教えてくれました。

私自身が、何があっても私を見捨てないひとが欲しかった。だから私は無意識のうちに、ユウヤにとってそんな存在になろうとしていたのです。

ユウヤを捨てることは、自分を捨てることに等しい。だからどんなに苦しくてもユウヤを捨てられなかったのだと、私はこのときはじめて気づきました。



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