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こころの行き先

心の底から安心して「ただいま」って言える場所が欲しいと願っているはずなのに、気兼ねなく身を委ね、委ねあえる肩があればいいと思うのに、結局わたしはどこにも留まることができず、じっとしていられず、ひたすらに歩き続けてしまうのだろうか。ひとりが良いのかふたりが良いのか、そんなことをぼんやりと、もう長い間考えている気がする。
わたしはどうなりたいんだろう


実はいま、会えたら少しだけ嬉しくなる人がいる。それは恋なのかと聞かれると曖昧でよくわからない。ただ会えたら少しだけ嬉しくなる、その文字の通りに感じる人だ。自分にもまだ、こんなふうに誰かを思える心が残っていたのかと驚く。泣いていた時間が長すぎて、もう誰かを理由に心が動くことなどないかもしれないと覚悟を決めていたから。「ああもう本当に、暗闇の底からは抜け出せたんだな、人と場所に恵まれているんだな」としみじみしてしまう。ちょっとだけあの人と、あの人の隣で笑ってた自分を思い出して泣きそうにもなる。目が潤む。


会えたら嬉しくなる人とは知り合ってからすぐ、近づきすぎないように堅く気をつけていたけれど、それでも少しずつ距離が縮まってきてはいて。そしてつい最近その人からひとつ相談を受けて、それがちょっと詳しくは書けないけれど、お互いの今後にも関わってくる話だった。私は静かに見守っているしかないのだけど、やっぱりそわそわして落ち着けない。ただどんな結果になろうとできるだけ、誰ひとりも後悔に苦しまないでいてほしいと願ってる。
これからどうなっていくかなんてわかりっこない。相手の心の行方はもちろん、私の心の行き先さえも、何もわからない。それなのに根拠のない予感に揺らいで、手を伸ばしたくなる。伸ばした手をとってもらえる保証などないし、手を繋いだら繋いだできっとまた悩んで、たくさん笑って傷ついてを繰り返すのに。怖いのに、それでも揺らぐんだから心って本当に厄介だな、呆れちゃうな。どうしようもなく生きてる。
だれかと心の距離が縮まるのは確かに嬉しくて、少し苦い。


今この間にも状況は進んでいるんだろう、その人はもがいて傷ついているかもしれない。今のその人が、過去の自分に重なって見えて胸が痛む。わたしまで過去を思い出す。似ていても全く違うことはわかっているんだけど、どちらも苦しいのに変わりはないでしょう


揺れているけれど、なにが起きようと私はわたしを生きていくだけだよね。今のわたしならきっと大丈夫。どうなっても受けとめられるし、自分を大切にできる。大丈夫。
縁があるならきっとそのうち、一緒に居るようになるだろうし、そのへんのことは流れに身を任せる。縁はなるようになるから。
ひとりでいようとふたりになろうと、明るく生きていけるよ



そう信じることにした


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