「宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧」柳田由紀子:弘文さんに会いたい!
弘文さんは曹洞宗の僧侶でアメリカに渡り、禅師をなさった方で、かのスティーブ・ジョブズとも深い交流があったことから有名になった。
ジョブズが亡くなる一年前に不慮の事故で亡くなられた。彼の訃報を聞いたジョブズはさめざめ泣いたという。
弘文さんは京都大学大学院を卒業したお坊さんの中でもエリート。
しかし、弘文さんが渡米した70年代のアメリカはヒッピーとドラッグとセックスの蔓延した自由主義の時代だった。
弘文さんは、欧米女性と2度の結婚を経験し、アルコールにも溺れ、最期は64歳のときに知人の家にあった池で溺れた5歳の愛娘を助けようとして自らの命を落とした。
衝撃的な末路だが、禅師としてジョブズをはじめ多くのひとに慕われた僧侶でありながら、自身の家族は幸せにできなかった。
なぜ日本ではエリート僧侶であった彼がそのような人生を送ったのか。
本書を読み通すとみえてくるものがある。
日本ではエリートで真面目一本だった僧侶が、アメリカに渡ってカルチャーショックを受け、酒と女に溺れたんだろうかと思いきや、話はそう単純ではない。
まさしくその謎に弘文さんの魅力があった。
弘文さんを知る曹洞宗住職の話が心に響く。
”あぁ……あぁ、ともに地獄に堕ちたんだね……弘文さんは、女性たちとともに自ら、”願って”地獄に堕ちたんだ……。”
弘文さんは日本からアメリカに渡ったとき、日米の文化の違いに気づき、アメリカ人にも受け入れてもらえる禅を考えた末にいたった結論が彼の生き様に現れていたといっていい。
自分の知らない土地や場所にいけば、そこでのルールやしきたり、空気があって、それに抗ってばかりいては受け入れてはもらえない。
だが、周りに迎合ばかりしていては、自分がそこにいる意味がなくなってしまうどころか、自分自身さえをも見失ってしまう。
だからこそ周りに受け入れてもらえるところと、自分を見失わないところとで折り合いをつけながら、できるだけギリギリのところを生きていくのがよいのか。
もちろんそれだけが正解でもないだろう。
しかし、弘文さんの生き方をみるとき、私も彼と同じように、自らを取り囲む周りだけでなく、時代ともうまく溶け合いながら、自分がそこにいた意味や自分そのものを探索するように気持ちで生きていたい。
弘文さん破天荒な人生がいろんなひとを通して語っていく本書を読んでいると、生きていることそのものが怖ろしいものに思えてきた。
現に2回ほどとんでもなく嫌な夢を見てしまい、目覚めてもなお暗澹たる気持ちがしばらく続いたほどだった。
しかし、読み進むにつれ、私はすっかり弘文さんにファンになった。
弘文さんは自身についてこう語っていた。
”私は、木々を跳び回る猿だ。この猿は、木の上から救いを求める人を見つけると、飛び降りて、抱きしめ、放さない”
その言葉に「慈悲」の精神が溢れている。
ひと助けとはどうするのがベストだろう、と訊かれた弘文さんはこのように答えた。
”笑わせてあげることだよ”
私も小説を書いてひとを笑わせることができたら、と思う。