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人生最後に読む本はこれがいい


衝撃を受けた表現として”稲妻に打たれる”という慣用句がよく使われるが、この本から私が受けた衝撃は”滝に打たれる”ような心が静まり、それでいて高揚するものだった。

人生最後のとき、寝床に伏しているのか日向で椅子に揺られているのか分からないが、最後に心静かに物語を味わえるのならば私はこれがいい。
長年生きた体から抜け出ていくその瞬間にも、きっと安らぎこそあれ恐怖や惑いに囚われずに済むだろう。

売れない小説家の傍らで英語教師をしている主人公綿貫が、亡き友人の旧家に住んで家の手入れをしてくれないかと声を掛けられるところから物語が始まる。
経済的理由から嫌々教師業をしていた綿貫は、二つ返事で提案を受け専業小説家となる。(主人公にとって嫌なやつである校長の描き方がまた味がある)
ところがこの家、広い庭にとりどりの植物があるためか不思議なことがまま起きるのだ。

まず主人公は庭のサルスベリに思慕される。正確にはサルスベリの精に、だろうか。
他にも庭の池に河童の抜け殻が流れ着いたり、釣りをしているカワウソに魚を分けられたり、白木蓮の木に龍の子供が宿ったり、次々と不思議な体験をする。

極めつけは、死んだはずの友人が掛け軸から現れることだろうか。
その友人は湖でボートを漕いでいて行方不明になったのだが、かつてのままボートに乗って掛け軸から漕ぎ入れる。
飄々とした彼の言動を見るにつけ、生と死の境目は案外曖昧なものかもしれないなという気にさせられるから面白い。

死ぬ、というより旅に出る、という気持ちでこの世から脱皮できたら或いは楽しい旅路になるかもしれない。


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