何が自分を変える勇気を生んだか?
何が勇気を生んだんだろう??
苦手なアウトプットが少しずつ楽しいものに変わり、解放感すら感じ始めている。その道のりでは、大きな不安と出くわした。初めて乗り越えた。
職業柄、自分自身を変化させるため癒すためのマニュアルやら地図はたくさん手にしていたけれど、自分の中をここまで旅したことはなかった。
ちょっとした冒険から帰った。そんな気分だ。
いま、この小さな冒険を振り返ろうとしている。
自分の中を冒険して変わっていく勇気。何がこの勇気を生んだんだろうか?
環境的なこと。
このいまのコロナ禍での世の中の流れ。自分に向き合う時間が増えた。
たとえば休日を自分自身と向き合って過ごすことに、何の躊躇いもなかったこと。せっかくお休みだからどこか行こう、と思うことがなかった。
さらに、
日ごろ自分が支援者として向き合う人たちもまた加速的に自らと向き合うことになってきたこと。
目の前の人たちも皆私と同じ状況だった。当然ながら人として同じ状況にいた。それに支援者としても一個人としても気付き、その変化の影響を受け、時に刺激になった。
そして…自分の成長欲。
きっとこれが一番大きい。
最近は支援者としてそこそこ動ける感覚があって、経験に甘えて怠けていたかもしれない。けれど、またむくむくとこの欲が出てきた。
生きづらさは自分の選択肢なく持っていたもの。
ただそれを、ひたすら自分事として癒して消し去ってしまうのではなく、最大限に活かしたい。自分癒しとともに、同じように背負ってきた人を癒したい。そうして共に成長したい。
そんな成長したいという気持ちがより明確になったことで、変わりたい、変わるための勇気につながった。
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ひとつ、常に心に留めていることがある。
自分を癒すために支援の環境を利用しない。
サバイバー支援者は、人の経験に寄り添い解決する機会が日常茶飯事だ。だからこの機会のひとつやふたつを、関わったときに思い起こされて沸いてきた、他でもない自分自身の辛い満たされない感情を埋めるためという目的にすり替えて、関わることが出来てしまう。
そのとき大抵は無自覚だ。
無自覚な状態で自分が変わるチャンスは永遠にやってこない。
そんな状態に陥らないためのセルフ・メンテナンスは意外と大変。これまでも時々乗り越えなくてはならない壁にはぶつかってきた。
そして、最近も、周りを反面教師にしても、自分で気をつけていても、新たな限界を感じ始めていたところだった。
限界突破のためにはどうしても必要だったのだ。これまでより自分の中でずっと大きな勇気が。
他の人から見たら、大したことのない、それが大きな勇気?と思われる程度のことかもしれない。でも、自分の中で今まで向き合ったことのない自分の一部分と向き合い突破した、という感覚を味わったとき、初めて、今までとは違う勇気を出した、と気づけたのだ。
だから誰が何と言おうと、自分が今回の勇気に一番納得している。
自己を満足させることが不得手な私だけど、今回しっかり自己満足できた。