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甘辛の辛い過去

甘辛には辛い過去がある。

これまでの自分のことを世の中の言葉を使って表現するなら、虐待サバイバー、アダルトチルドレン、情緒ネグレクト、HSPあたり がいいだろうか。

結構過酷だった。
そしてタチが悪かった。

タチが悪いってどういうこと?

自分が育ったのは過酷な環境だったということが、大人になって相当経つまで分からなかった、ということ。

小さい頃から父からは普通に殴られてはいたが、周りの酷い環境の人たちのことを知って、大したことないと思っていた。

でも、目に見えないところでたくさんの傷を負っていた。
言葉や態度による心や情緒への傷。

目に見えることに価値を置いた環境にずっといたから、その傷に周りはもちろん、自分も気づかなかった。

食べる物寝る場所には困って居なかった。
いつも親からは、だから感謝しろ、と言われた。
確かに、世界中のゴミを拾って生きる子どもたちやガリガリになってお腹だけ膨れ上がった子どもたちの映像を見て、自分は恵まれている、感謝しなくては、感謝出来ない自分が悪い。そう思っていた。

でも、リラックスしてご飯のおいしさを味わうことはなかったし、ほっとして眠りにつけることがどれくらいあっただろうか?

何をやりたいか、なりたいか、と聞かれたこともないし、褒められたこともない。
自分に人生というものがあると思ったことがなかったし、大人になっても、人生ってなに?私にもあるの?と本気で思っていた。

毎日生きた心地がしなかったのに、それがスタンダードだと、生きた心地の自覚がないから、生きた心地がしないです、と話すことすら出来ない。

これがうまいね、向いてるね、という声かけも一度もされたことはなかった。

周りが、私はこれが得意好き、というころになって、自分でも得意や好きを見つけては、ちょっと家で言ってみたときも、‘生意気なガキ‘ 扱いだった。
周りにはいい人たちがいっぱいいたけど、家はいつも緊張の場所だった。

そんな過去を自覚するずっとずっと以前から、何かにつき動かされて、私のような思いをさせたくない、見えない傷を追う人を支えたい、と支援活動の日々を送っている。

支援するうちに、自分をもっと知らなくてはならない状況に追い込まれた。
自分の何か足りないものを満たすだけのための支援者にはなりたくなかった。
それから自分の過酷な環境とそれに対する傷を自覚するようになった。自分癒しも始めた。

そして、いまも子どもたちやかつて子どもだった人たちの支援と同時進行で自分癒しを続けている。

最近やっと自分らしくなりつつある気がする。


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